149_異形狩り
夕食として出されたレトルト食品を片付けたのち、カーバンクルがすっと立ち上がって言った。
「さて、行こうか」
田中は久々に味わったカレーライスの味に奇妙な感動を覚えながら尋ねた。
「どこへ?」
「戦いに、よ」
「戦いって、それはあの異形をか?」
「そそ、君もそろそろ身体動かしたくなってきたんじゃない?」
そこでキョウも便乗するように顔を上げて、
「わ、私も行っていいですか?」
カーバンクルはそこでにっこりと笑った。
朗らかに、楽し気に、しかし本心を感じさせない笑みはいつも通り。
「君はダメ」
そう言って突き放すのだった。
「え、な、なんでですか? 意地悪言わないで連れて行ってくださいよう」
「やれやれ、いちおー敵軍の私に軽いノリで言うものだね」
でもダメ、とカーバンクルはもう一度言った。
そして、彼女はキョウの額、正確には髪を指さした。
「だって君のその髪、こっちの世界じゃ長すぎるし、色も派手過ぎるからね。隠すのが面倒なの」
確かに真紅の瞳こそ目立つが、カーバンクルはそれ以外はさほど珍しい存在ではない。
少なくとも銀色にも見える色素の薄い、それも腰まで伸びた長髪のキョウに比べれば、その差は歴然としているのだった。
「君の髪、“現実”的じゃないみたいだから」
カーバンクルは自らの黒い髪を弄りながら言うのだった。
◇
「ぜ、絶対に戻ってきてくださいね。頼みますよう……」
そうジャージ姿で頼み込むキョウを部屋に置き、田中とカーバンクル、そして雪乃は夜の東京へと降り立った。
今頃彼女はテレビでも見ているのだろうか。
まぁ一人で知らない街、知らない世界にいることの恐怖は理解できる。
そういう意味で感謝してもいいのかもしれない、と田中は隣に立つカーバンクルを見た。
「ん、なんだい?」と見返され、田中は一瞬心がざわついてしまった。
「なんでもない」
結局、そう返すのみだった。
「…………」
そんな二人のやり取りを、雪乃は一歩下がった位置で無言で見ていた。
その様子は、どこか緊張しているように見えた。
「その服も、似合ってるじゃないか」
「気持ちが悪いよ。こんなの」
ちなみに田中はカソックは目立つということで、代わりに雪乃から渡された制服を身にまとっていた。
雪乃のものと同じえんじ色のブレザーの感触に、田中は困惑をしていた。
「第一、こんな時間に学生が出歩いているのもおかしい」
「別に悪いことするわけじゃないんだからいいじゃない」
今、三人は三軒茶屋近くから新宿方面へと進んでいた。
まだ21時前とはいえ、歓楽街や駅前の方に行けば補導されてもおかしくない。
幸い、というべきか、カーバンクルが向かっているのは都心から外れた住宅街だった。
時折見える牛丼屋やコンビニエンスストアの明かりを除けば、ほの暗く静かな街並みが広がっている。
ネオンの明かりに当たらない。ごみごみと入り組んだ無言の街。
ぼうっと浮かび上がる月と、明滅する電灯にのみ、そこは照らされていた。
「今、この東京では異形が出現する」
田中の脳裏に、昨夜遭遇した影が過る。
ものとしては大して強くはない。輪郭もあいまいで、物質を維持できていないような存在。
そんなものは、本来東京にはいないはずだった。
「いないはず。でも、今はいるんだよ」
カーバンクルはそう言って、手元にパッと明かりをつけた。
それはスマートフォンのディスプレイだった。
夜の勢いに対して、そのちっぽけなライトはあまりにも心許ない。
「それが、武器になると」
「ああ、アイツへのね」
カーバンクルはそう言って、不意に立ち上った気配へと視線を向けた。
「え」と雪乃が漏らした。その間にも、田中とカーバンクルは彼女を守る位置まで下がっていた。
ごみごみとした街の影に溶け込むように、異形が立ち上っていた。
今度の個体は人のような形をしていた。だが決して人ではない。
人の縦横比を縦に引き延ばしたようなカタチをした、ペラペラの何か。
「tんうお@s9t8しゃいお:んb」
その理屈を伴わない不気味な外見と、言葉とは決して言えない意味のない音声は、“虚構”の世界に跋扈する異形の特徴をすべて兼ね備えていた。
「あれと戦えばいい。それはわかったし、従おう」
「へぇ、えらい従順じゃない」
「一応上官だからな。それに、今回もアンタはいろいろ知ってそうだ」
だから戦うことはいい。
問題はただ剣がないことだった。
手首に巻かれた鞘は沈黙し、剣を抜くことさえ叶わない。
「で、これのどこか武器だと?」
スマホに明かりを灯しながら田中が尋ねた。
同時に異形が迫ってくる。無言の街の中、音もなくその影は田中たちへとにじり寄ってきた。
「ま、いいから私を信じて試してみるといいわ」
カーバンクルはそう言って、慣れた手つきでスマホをスワイプした。
カメラ起動、SNS連携、ビデオモード。
その一連の動きののち、彼女は駆け出していた。
「異形なんてものは東京になんていない。
君の考えは正しいよ、それが現実だ」
そしてカメラで、迫りくる異形を捉えようとした。
「だから、この“現実”に弾いてもらうのさ。“虚構”の搾りかすをね」
途端、カメラに映った影はぐるりとねじれ──霧散していった。