146_三軒茶屋から徒歩10分
……空に夜明けの予兆が見えてきた頃、彼らはようやくその部屋にたどり着いていた。
「ささ、上がって」
そう言いつつ、カーバンクルは慣れた手つきで玄関口の電気をつけてみせた。
雪乃と呼ばれた少女も無言でそれに続く。
田中は「お邪魔します」と思わず口にしつつ上がり、最後にキョウが彼の袖をひっぱりながら、おずおずと入ってきた。
その部屋は十畳のほどのワンルームであった。
窓はきっちり南向き。キッチンはコンロ二つ。
エアコンも完備。もちろん風呂・トイレは別。
家賃がいくらかは知らないが、随分と好条件の物件だった。
田中は冗談のような気分でそんなことを思った。
そこは東京、世田谷区に位置する学生寮であった。
三軒茶屋駅から徒歩十分程度らしいその寮は、目の前に立つ中高一貫の女子高の寮である。
「いや、意外と遠かったじゃない。まぁとりあえずコタツの中でも入ったら?」
……そんな部屋で、カーバンクルはさも当然とばかりにくつろいで見せている。
ジャケットを脱いだ彼女は、備え付けられたコタツに身体を入れ「あー寒かった」と身を倒している。
自宅のような、というか自宅でのくつろぎ方そのものだった。
「馴染み過ぎだ」
呆れたように言って田中もまたカソックを脱ぎ、コタツに足を入れていた。
じんわりと温まる感触は、記憶にあるものそのままだ。
その動きを見た後ろで見ていたキョウも彼の動きを真似して、おそるおそる、といった形で入ってくる。
「おいおい足が当たる」「あ、すいません!」
流石に掘りコタツではなく、三人の足が入ることで随分と窮屈に感じられた。
「いくらなんでも生活感がありすぎる」
ぼそりと、田中は率直な想いを口にした。
「アンタにとっては異世界だろ、ここは」
「来ちゃった以上は謳歌しないと損でしょ、こんないいとこ」
そう言って彼女はウインクして見せた。
カーバンクルの記憶通りの所作を前に、田中は思わず安心感に似た感覚を覚えていた。
「む、なんか変な顔するじゃない」
「いろいろと意味がわからないんだよ」
「何でよ、田中君にしてみれば、勝手知ったる場所じゃない」
「だからこそもっとわからない。
俺の感覚じゃ、さっきまで聖女戦線で」
そこで田中は、ちら、と先ほどから首をかしげているキョウを一瞥し、
「戦っていたんだ。そしたらなんか東京にいて、異形に襲われて、それをアンタが倒している」
「あーなるほどね。アンタたち、今来たってこと訳だね」
ふと男性口調になったカーバンクルは腕を組み、
「と、なるとこれからぞろぞろと出てくる可能性もある、って訳か。敵も味方も……」
「説明してくれよ。得意だろう、アンタ」
明らかに何かを把握しているカーバンクルに対し、田中は問いかけた。
何にせよ──こういうときの彼女は頼りになる。
先ほど“世界観説明”の難しさを感じたばかりだけに、彼女が事情を把握していることは安堵につながった。
「……うん、まぁそれはおいおい説明するさ」
説明好きのカーバンクルは、しかし、何か考える素振りを崩さない。
「今日はもうこの時間だ。転移したばかりで君たちも疲れてるんじゃないか?」
そう言ってカーバンクルは部屋の隅に置かれた時計を示した。
キャラクターが拵えられた妙に可愛らしい文字盤は、4時過ぎという時刻を伝えている。
確かに相当な時間だった。
時計を前にすると、“現実”での時間の感覚が田中の中に一気に戻ってくる。
疲れ。疲れ、という意味では確かに相当なものであることも事実だった。
無論戦い続けようと思えば、戦えるのではあるが──
「だから雪乃も一度帰っていいよ。あんまり昼夜逆転はするもんじゃない。まぁもう遅いがね」
そこでカーバンクルは、一人コタツに入らず立ち尽くす少女へと声をかけた。
「……そうですね」
その少女は、長く黒い髪をした女学生だった。
学生とわかるのは、こんな時間だというのに、彼女が制服を身に纏っているからだった。
臙脂色のブレザーは皺一つ見えず、几帳面にもリボンまでしっかりと結ばれている。
田中は知らない制服だったが、そのどことなく上品な佇まいから、私立高のお嬢様という印象を覚えた。
「雪乃……さん、というのですか?」
キョウが不思議そうに尋ねると、彼女はこくりと頷き、
「六反園雪乃です。以後、お見知りおきを」
「あ、はい! キョウ、何者でもないキョウです」
「まぁしっかりとした挨拶は明日でいいだろう」
カーバンクルがあらためて口を挟むと、雪乃は「そうですね」と言って、
「……結局、味方でいいんですよね?」
「ああ、もちろんさ。私と同郷で、私の味方、つまりは雪乃の味方だ」
カーバンクルが相変わらずの口調で告げると、雪乃はそこでほんの少し笑った。
そしてかけていたコートを手に取り、コタツに入ったままの三人に大きく礼をした。
「それでは、また明日」
「はいよーおやすみなさい」
……そうして雪乃という少女は部屋を後にしていった。
がちゃり、と玄関が閉まる音が鈍く響き渡った。
「…………」
しばしの沈黙が下りたのち、コタツに入った三人は互いに顔を見合わせ、
「とりあえず明日ね。私は眠い」
……カーバンクルのそんな言葉と共に、その一室での奇妙な生活は始まったのだった。