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虚構転生//  作者: ゼップ
虚構都市“東京”
146/243

145_初台・幡ヶ谷


顔を上げれば無骨な造りの首都高が見える。

新宿から初台、幡ヶ谷へと続く通りは、行きかう車がひどく騒々しい音を立てていた。


幻想リソースはからっぽなのに、物が動くんですねえ……」


キョウはガードレール沿いを歩きながら、道行く車を物珍しそうに見ている。

実際珍しいのだろう。

田中が言語船テクストシップを見たときと同じ立場なわけだから。


──とりあえず、調布までは歩いていける距離か。


少し、というかかなり遠いが夜明けまで歩けば何とか間に合うだろう。

戦場での行軍を思えば、敵に襲われない分楽だ。


「ロイ君、ちなみにこれ、どこに向かってるんですか?」


ふとキョウが尋ねてきた。

ちなみに彼女は田中の後ろを歩きつつ、カソックの袖の端を指先でつまんでいる。

そのつまみ方が、彼女の心細さを感じさせ、田中は少し笑ってしまった。

とはいえ気持ちもわかるのだが。


「……家だよ、俺の」


田中はキョウの問いかけに、わずかに戸惑いを滲ませて答えた。

とにもかくにも、一文無しではこの街ではどうにもならない。


だからあの“家”まで“帰らなくては”ならない。

そう考えつつも、その表現に違和感と当惑を覚えている自分に気がづいた。


「へ? 家? なんでロイ君の家が、物語の街の中にあるんです?」

「俺がその物語の住人だからだ」


そう突き放すように言うと、キョウはいよいよ首をかしげていた。

無理もない。

と思うと同時にうまく説明する自信もなかった。


カーバンクルもかつてこんな気持ちだっただろうか、などと田中はふと紅い目の剣士のことを思い返した。

何も知らない田中に対し、彼女はうまくやっていたのかもしれない。

いまさらになって、コンパクトにあの世界の情勢を語ってくれたことに感謝した。


──世界観説明か、この現実の。


変な話だが、キョウにもいずれしてやる必要があるだろう。

それよりまず、夜明けまでに拠点になりそうな場所を確保したかった。

となると他に候補はなかった。


──いや、あるか。


考えつつ、田中はふと思い立った。

調布の自室以外に、実のところ彼にはもう一つ“家”があった。

父と母と、そして彼がいた場所。

もう二度と戻りたくないと思っていたところ。


「……やだな」

「え? どうしたんですか?」

「なんでもない。いろいろ考えたが、やっぱり他に行く場所がなさそうだ」


そこで田中はあえて口を噤んだ。


それから二人は黙々と歩くこととなった。

夜の住宅街、くすんだ色をしたアパートがずらっと並んでいた。

新宿から離れたことで人通りは激減している。

たまに傘を指す人とすれ違うが、キョウにも大して視線を向けなかった。

思えば、妙な髪色の外人、などそう珍しいものではなかった。


──そういえば。


歩きつつ、田中はふと思った。

空からは雪が降っていた。

ぱらぱらと降り続ける雪の勢いは弱く、傘なしでもさして気にならない。


聖女戦線からの流れで、雪が降っていることを当然のように考えていたが、よく考えるとこれは奇妙な話だ。

田中の記憶通りならば、この“現実”から、あの“虚構”へと転移したのは、春のことだった。

となれば、あれから雪が降るまでほどの時間が、現実では経っていた、ということなのだろうか。


エリス、アマネ、ミオ、トリエ、そしてニケア。

“虚構”においての闘いの時間の経過は、あまり意識はしていなかった。

だが体感としては、確かにそれほどの時間が流れているようにも思う。


もしかするとその間、ロイ田中という人間は行方不明になっていたのかもしれない。

そうぼんやりと考えたが、どうにも現実感がなかった。


「あの」


と、そこでキョウが声を上げた。

「なんだ」と問い返すと、キョウはぎゅっと袖を握りしめ、


「いや、不勉強なもので申し訳ないんですが、その、東京にも出るんですね」


キョウの視線の先を見て、田中は思わず目を見開いた。


そこは、場所としては代打橋あたりだっただろうか。

先ほどのアパート群よりもしっかりとした造りの一軒家がそこでは立ち並んでいた。

閑静な住宅街において出歩く人はほぼ見えなかった。


代わりにそこにうごめく、真っ黒な異形バアバロイがいた。


「mi@taj8via0[^j59j0[qhsolb;e\」


言葉ではない。

意味のないうめきをまき散らす、その異形バアバロイは、数にして三個体。

輪郭シルエットの安定しない四足の影は、明らかに世界から浮いた異様な存在である。


「なんで、ここに……!」


東京にこんなもの、いるはずがない。

否、現実にいてはならないもののはずだった。

こんなものがいる場所は、現実とは絶対に呼べない。


田中の中で強烈な想いがわきあがる。

だが実際にそれらはいる。田中とキョウは呆気に取られていたが、彼らが動き出したのを見ると、はっと顔を上げた。

そしてすぐさま思考を切り替え、戦うべくソードリストを抑え、


「って、今出ないんでした!」


キョウが声を上げる。それは田中の想いの代弁でもあった。

偽剣ソードレプリカもなければ、跳躍ステップもない。


──当然だ。だってそれは弥生の小説の中の話。現実にはないものなのだから。


そんな考えが脳裏を過る。

しかし、異形バアバロイは今目の前にいるのだ。

そこに憤りを覚えたところで意味はない。

田中は仕方なく駆け出していた。

異形バアバロイたちは、知性を感じられない動きでこちらに突っ込んでくる。


「剣もなしで、こっちではどうやってアレに対応してるんです?」

「さぁ、銃とかじゃないか?」

「銃! そんなお芝居じゃないんですから……!」


言葉を交わしつつ、二人はアスファルトで舗装された道を並んで走る。

幸い、異形バアバロイとしては大したことがない個体らしく、跳躍ステップなしでも逃れられる。

とはいえそれも、戦場に身を置いていた田中とキョウだからこそ。


──あんなものが東京がいたら、すぐに大混乱になる。


夜な夜な人を襲う理性なき獣。

今日日はやりそうもない都市伝説だが、だからこそこの東京にいてはいけない存在なのだった。


「って、前にも!?」


田中とキョウは足を止めた。

視線の先に、さらなる異形バアバロイたちが浮かび上がってきていた。

やはり物質フィジカルとして不安定なのか、立ち上る影は不定形に揺らめいている。


「囲まれてるな……」


真夜中の住宅街にて、田中はキョウと背中を合わせた

背後に三、前に五。

ふと現れた異形バアバロイたちは「ms@oiyms0uhbwno」「m@osrj[t o9nb[o」とわめいている。

偽剣ソードレプリカさえあれば、すぐさま切り捨てることができるようなものだが……


「多少の傷は覚悟で、左右に散るか」

「ええ! ロイ君と離れたら私どこに行けばいいんですか!」

「知るか! 警察に突っ込めばいい。異形バアバロイよりはマシだ」

「質問です。ケーサツってなんでしたっけ! なんか聞いたことはあります」


キョウと馬鹿な言葉を交わしつつも、田中はこの状況を打破する方法を考えていた。

対抗する力がないなら、逃げるか、それこそ声を上げて助けを求めるか。

ここは東京だ。荒れ果てたあの“虚構”とは違うのだから。


──そんな時だった。


「いやいや驚いた」


そんな声が道路の向こうから聞こえてきた。


「パトロールの甲斐もあるもんだねぇ、雪乃ゆきの


ぱちぱちと明滅する街灯。

そのもとで、二つの影がある。

異形バアバロイの不安定なそれとは違う、はっきりとした人間のものだった。


「……知ってる人、なんです?」

「ええとまぁ、なんというかねえ」


二人のうち、長身の女性の方が、ばっ、と地を蹴るのが見えた。

カーキ色のダウンジャケットが舞う。

あっという間に距離を詰めた彼女は、異形バアバロイの中に飛び込んできた。


「少年少女、真夜中によろしくやってて楽しそうだこと!」


颯爽と現れた紅い瞳。

あまりの突然のことに田中とキョウは反応できなかった。

そんな二人を面白そうに見ながら、彼女はニッと楽し気に笑って見せた。


そして、異形バアバロイへと向かっていく。

ただ、その手にあるのは剣ではなかった。


──スマホ?


田中は、ぼう、と光り輝く小さな画面に見覚えがあった。

彼女は、異形バアバロイの懐に飛び込み、スマホを掲げるのだった。


「配信スタート」


愉快そうに彼女が言った瞬間、ぴろ、と電子音が響く。


そして、異形バアバロイたちは霧散していた。

不安定な影たちが飛び散っていく。剣も何も使ってはいない。

にも拘わらず、異形バアバロイはあたかも最初からそこにいなかったように、消え去っていた。


「こっちも!」


キョウの声が響く。

その様子を呆気に取られていると、背後の方にいた異形バアバロイが迫っているのに反応が遅れてしまった。

それらの爪が田中たちへと向けられる、その直前、


「大丈夫」


そんな声と共に、もう一人の闖入者によって異形バアバロイは消し去られていた。

少女だった。真っ黒な髪をした学校の制服の少女。

その手にもやはり、スマホが握られているのだった。


そして、異形バアバロイたちは消えていた。

何一つ残さず、当たり前のように静かな街並みが戻ってきていた。


「……いやいや驚いた」


ちっとも驚いているようには見えない風に彼女は言った。

こつ、こつ、と静かになった街に靴音が響き渡る。


「なんで当たり前のようにいるんだ」


田中は自然とそう尋ねていた。

助けてもらった立場の者としては、不躾な問いだとは思ったが、しかし彼女はさして気にした様子もなく、


「あら、私がいちゃダメなの?」


そこで紅い瞳の女、アカ・カーバンクルアイは手をゆっくりと伸ばしてきた。


「ようこそ、現実へ」





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