142_新宿
仲が良かった父と母があんなことになって、一人で生きたいと思った。
でもそんなことは結局できなくて、だらだらと助けられている。
他の誰よりも、そのことに慣れていく自分のことが嫌いだった。
だから、弥生と肩を寄せ合ったのだ。
同じように周りから弾かれて、でも自分以外の誰かなしでは生きていくことができない。
彼女もまた同じことを考えていて、同じように嫌悪していた。
思えば田中は、何故彼女が小説を書き始めたのかを知らない。
気づいたら彼女は書き始めていた。
きっとそこには何かきっかけがあって、彼女なりに何か思うところがあったはずだ。
でも、田中は何も知らなかったし、聞きもしなかった。
そして弥生もまた──
「──厭な、音だ」
幻想の渦に巻き込まれた彼は、そうこぼした。
騒々しい雑音が聞こえてくる。
重なり合う靴音、溢れ出る人々のささやき、ぴーぴーとうるさい電子音。
嫌いだった。嫌いだったんだ、この音。
“転生”してから、異端審問官となってから、ついぞ久しく聞かなくてもよかった。
あそこは静かで、広々としていて、息を吸うだけで苦しくなるなんてなかった。
だからここまで戦い続けることができたのに。
「…………」
うっすらと目を開けると、そこには無数の神殿が立っていた。
何時しか風はすでに止んでいた。
降り積もる積雪はどこかに消えてしまっている。白い色彩は変わらず振り続けていたが、しかし、色褪せたアスファルトに触れるたび、消えていく。
「ここ……」
乱立する摩天楼の表面はガラス張りになっていて、街灯を受け、夜だというのにてかてかと光っていた。
道歩く雑多な人々の表情はさまざまで、彼らが流れていく様は、あらゆる感情がかきまぜられていくような感覚さえ覚える。
田中は、ロイ田中はその世界を知っていた。
それこそいやというほど触れてきた。あの虚構の世界以上に、長い間田中はここにいたのだから。
あの聖女戦線における、現実の残骸などではない。
あれはただの物語の再現だ。
田中の知るものと近い、しかし似て非なるもの。
しかしこれは──
「東京、か」
田中は意を決してその名を呼び、存在を認めることになった。
東京、新宿。
灰色のカソックを纏った田中が、そうして彼の知る現実へと迷い込むこととなる。
◇
聖女戦線における、聖女ニケアと騎士エル・エリオスタの激突は、莫大な量の幻想の衝突を起こした。
その余波は両軍へと多大な影響を及ぼした。
それは単に物質的な損害に留まらない。
多くの兵士が“神隠し”に遭い、忽然と姿を消してしまったのだという。
彼らがどこに消えたのかは、未だわからないまま──
(『虚構都市“東京”』へつづく)
ニケア編前編・聖女戦線編、完結です。
ニケア編後編・東京編はやっぱり月末あたりにスタートできればと思っています。