139_エリスについて
10《ツェーン》に告げられた任務に従い、田中とハイネは神殿から神殿へと駆け抜けていた。
「1《アイン》、3《ドライ》がそれぞれ交戦に入ったようです」
跳躍を繰り返す中、ハイネが田中へと告げる。
カーバンクルらがそれぞれ敵の隊を抑えている。彼らの目的は敵戦力の撃破ではなく、分断にある。
「敵戦力はしばらく合流も、相互の援護もできなくなっています。
ここで各個撃破──特にあの隊の象徴ともいえる“翼つき”を墜とします」
ハイネの言葉に田中は何も返答しなかった。
他の隊員以上に“翼つき”──キョウを撃破することの優先順位は高い。
YUKINO隊の敗退、そしてそれによって聖女を引っ張り出すためにも、この戦場において派手な戦果を上げた彼女の撃破、死が必要になる。
ぐっ、と田中は偽剣『エリス』を握りしめた。
YUKINO隊として分断されたキョウは今、“眼”による援護を受けることができない。
そこを田中とハイネという、“十一席”における最高戦力をぶつける。
「──しかし、10《ツェーン》さんも強情だなぁ」
ふとそこで、小さくハイネが苦笑を浮かべていた。
無論は足は止めてはいない。迷いなく、提示されたポイントに彼らは向かっていた。
「10《ツェーン》さん、どうやら、貴方にだけは直接命令出したくないようで」
戦場に到着するまでのつかの間の会話として、彼はそんなことを言ってきた。
事実田中の仮面には10《ツェーン》から何も印が来ていない。
任務前に、最低限の言葉を交わしたのみだ。
「あの人、落ち着いてみえますけど結構、頑固ですから、まぁその、きちんと仕事はする人なんですよ?」
「知っているよ」
ハイネの言葉に対して、彼は大きく息を吐いた。
あの薄紅色の髪の彼女の、田中への当たりの強さは身を染みて知っている。
しかしそのことに対して、苛立ち、不快感あるいは恐れといった想いを抱くことはない。
寧ろ、やれやれ、といった懐かしさに近い想いがこみ上げるのだ。
そして恐らく、そういう田中の態度こそが10《ツェーン》に拒絶される一番の理由でもあるのだろう。
「誰にだってあるさ。
正しくはない。でも、切り捨てられないものくらい」
「…………」
降り積もる雪の中、跳躍の鈍い音がしばらく続いたのち、
「ねぇ、8《アハト》さん。一つ聞いてもいいですか?」
「何だ?」
「いえ、ふと疑問に思いまして。その偽剣『エリス』の奇蹟は使わないのですか?」
『エリス』の日記、『アマネ』の手紙、『ミオ』の歌。
田中が手に入れた聖女の言語から、その奇蹟を再現することができた。
そして今までの戦闘でも、『アマネ』の“理想”や『ミオ』の“堕落”を使ってきた。
しかし、その言葉通り『エリス』の“犠牲”だけはまだ使ったことはなかった。
その気になれば発現できるはずだった。
工房の分析結果を信じるならば、他の偽剣とさして違いはないのだから。
「……僕は昔、前代の第六聖女と戦ったことがあります」
ハイネは思い返すように言った。
前代の第六聖女。それはあの活発な少女ではなく、また別の者だったのだろう。
しかしその身に宿す奇蹟は共通の筈だ。
彼女は己の大切なものと引き換えに、その空想はカタチにすることができた。
おそらくこの偽剣もまた、同じ力を持っているだろう。
「俺には、ないんだ。“犠牲”にできそうなものが」
田中はハイネに“犠牲”の聖女『エリス』のことを告げた。
「情けない話だが、怖いのかもしれない。これ以上なくしてしまうのが」
エリスは記憶を喪い続けた結果、最初のはじまりすら忘れていた。
あの末路のことを思うと、他の偽剣以上に『エリス』の奇蹟は発現しづらかった。
「いえ、情けなくはありませんよ。
喪いたくないものがあるのは、当然ですから。それに……」
ハイネはわずかに逡巡して、
「いや、なんでもありません」
「うん?」
「目標の近くまで来ました。武装の用意を」
ハイネの言葉に穏やかさが抜けていた。
田中もまた思考を切り替える。これから、殺し合うのだ。
この虚構の世界で、何時の日か現実のものを手に入れるために。
「8《アハト》さん、これからの闘い、一点提案があります」
「なんだ」
「お察しの通り、僕はあのクリスという敵と因縁があります」
YUKINO隊との戦闘において、あの聖別処置を受けた少女は、ハイネに対して明確に憎悪を見せていた。
ハイネは“十一席”にあって、聖女戦線に張り付いていた審問官。
その間に、きっとあの少女と何かがあったのだろう。
しかしそのことを田中は触れなかった。
「そして、貴方があの“翼つき”と何かあるのも把握しています」
同時にハイネもまた、田中のことを詮索しなかった。
お互いのことを踏み込まないこと。その奇妙な共犯関係が、二人のおいて無言のうちに構築されていた。
だから田中は、ハイネが何を言いたいのかも察していた。
「あの敵は、僕が相手をします」
「わかった。その間に“翼つき”を俺が
それで二人の会話は十分だった。
田中とハイネは共に神殿を滑るように跳躍し、目標へと襲い掛かった。
「──来ると思ってましたよ! ロイ君!」