14_リジェクション
……どこか遠くから声が聞こえてくる。
「それで珍しく鎮圧に制圧したと」
「うん、とりあえず一人は逃がして、もう一人はこの通りです。とりあえず、二人は生かすことができました」
誰かと誰かが話す声だった。
よく通る少女の声と、落ち着いた男性の声。
「その割には死体が転がっているが」
「そっちは私が来た時にはもう駄目でした、残念残念」
「そうか、私がここを見つけてから特急で駆けたのだな」
男性の方が大きく息を吐いたのがわかった。
そこにはどこか呆れの響きが混じっているように思えた。
と、そこまで意識したところで、ゆっくりと瞼が開いていった。
そしてバカみたいに広い、がらんどうの空が目に入った。
場所は朽ちた城であり、血肉の生々しいにおいが漂っている。
わかってはいた。
夢ではないことくらい。
消えてしまった弥生を追ってこの世界にやってきて、エリスを殺した。湧き上がる殺意に従い、また三人も殺した。
すべて現実のことだ。ここで確かに起こった、否、起こした現実の出来事。
数時間前の自分の態度を思い出す。
何が――殺してくれ、だ。
いざ殺されそうになれば嬉々として刃を取り、それを楽しんだ。
俺のせいじゃない、と抗弁したかった。
あの男の、この身体を押し付けたあの人斬魔の罪だと。
――しかし、彼はもう俺なんだ
混ざりあっている。そんな感覚が強くあるのだ。
少なくとも、田中だってあの時人殺しを楽しんでいた。
その事実がある以上、潔白を叫ぶことはあまりにも厚顔に思えた。
ははっ、と田中は思わず笑い声を上げていた。
「わっ、突然笑い出しましたよ」
「気をつけた方が良い、話によれば、彼はかなり情緒が不安定だったのだろう?」
そこで彼は声を挟んだ。
「ただ……おかしいだけだよ、俺が」
バカみたいに広い空の下、ふざけたように笑う。
「悪いのは俺なんだ、たぶん、きっと、弥生も、エリスも……」
「あのー」
少女、キョウは田中の顔を覗き込んできた。色素の薄い髪がだらりと揺れるのが見えた。
「大丈夫ですか? 記憶あります?」
その大きな瞳で田中を見下ろしながら、彼女はこちらを気遣うようなことを聞いてきた。
そこまで来て、田中は自分の頭が彼女に膝に乗せられていることに気がづいた。
ちら、とみれば鎧らしきものが隣に置いてあった。ご丁寧に膝当てを取ったうえで、介抱してくれていたらしかった。
「殺してくれ」
そんな彼女と目が合った田中は、問いかけを無視してそう告げた。
「ダメです」
そして表情を変えずに即座に拒否された。
またか、と田中は思った。
カーバンクルの顔が浮かぶ。彼女と同じくキョウは、そんなことは絶対にしない、という風にきっぱりと断って見せた。
田中は諦観の面持ちで、ゆっくりと身を起こした。
後頭部がずきずきと痛かった。キョウに剣で思いっきり殴打された個所をさすってみたが、しかしコブ一つできていなかった。
もちろん血など一切流れておらず、ただ痛みがだけがあった。
「人殺しはいけないことなんです」
起き上がった田中に、ずい、と詰め寄ってキョウは告げてきた。
鼻と鼻がくっつかんばかりの距離に、彼は思わず後ずさる。
「そこで全部終わりになってしまうのって、とても悲しいことだと思うんです。
だから落ち着いてください剣士さん。大丈夫です、きっとなんとかなります。人殺しだって幸せになれるんです」
おもむろにキョウは田中の手を取って言った。
その熱心な語り掛けには、あるいはカーバンクル以上の話の通じなさを感じ取っていた。
「君こそ落ち着け、キョウ」
ぱたぱた、と羽ばたく音がして、一羽の鳥がキョウの肩に乗った。
一見してそれは烏のようだった。しかしその目は小金色にあやしく光っており、極めつけに全身にぼんやりとした光を纏っていた。
「コミュニケーションができていないぞ。こういうときはまず相手の言葉を聞くものだ」
そしてその鳥は当たり前のように喋ってみせた。
紳士然とした印象を与えるその声色、先ほど寝ているときに聞こえたものと同じだった。
「私はリュー。霊鳥のリュー
キョウの保護者に当たる。彼女の強引さを代わりに詫びよう」
そういってリューと名乗る鳥は、こくり、とその頭を縦に振った。
その様を見て、キョウは不満顔を浮かべながら、ゆっくりと田中から身体を離していった。
「叔父様、やっぱり強引だったですか? 私」
「ああ、とても。見たところ心身共に彼は傷ついている。まずはそのケアをしてあげるべきだ。
君の信念の押し売りをする前にね」
キョウは肩に乗ったリューと会話をしたのち、ごくり、と息を呑んだ。
「キョウです。不束者ですが、よろしくお願いいたします」
そして仕切り直しと言わんばかりに、彼女はそう挨拶をしてきた。
そのとぼけた言動に、田中は思わず「ああ、よろしく。ロイです」と返してしまう。
「さて、とロイ君。
いきなり戦場に乱入して申し訳なかった。
まず我々の素性から話すべきだろう」
リューの話し方はゆっくりとよどみのないもので、聞き取りやすかった。
「……しかし、実のところ我々にはさほどバックボーンがない。
隠している訳ではないのだが、別に何か所属がある訳ではないんだ」
「旅人なんです、私と叔父様は」
キョウが何故か胸を張っていった。ぴょこん、とその頭のリボンが揺れた。
「帰る場所がない根無し草といった方が正確だ、キョウ。
ともかく私とキョウは、特に目的もなく旅をしている訳だが」
「目的はありますよう、叔父様。私は私がやりたいことを探してるんです」
「私ではなく彼を見て言うべきだ、キョウ」
諭すように言われ、キョウはバツの悪そうな顔を浮かべて田中を見た。
どうにも彼女はこの鳥、リューに対して頭が上がらないらしい。
「この娘は剣の腕は立つんだが、どうにも無鉄砲で、そして見ての通り人殺しが許せない質だ。
それでぶらぶらとしながら、戦場を見つけては介入して、可能な限り双方の被害を少なくしようとしている」
「双方の……」
それはまた、傍迷惑な話ようにも聞こえる。
争いごとに逐一顔を突っ込んでは、先の戦いのように場をかき乱しているということらしい。
そんなロイの印象が顔が出ていたのか、リューは息を吐いて、
「短絡的、と思うだろう? 私も同意見だ。
とはいえ今の世の中、何をするにも自由だ。力ある限りね。
そしてキョウは強い。身内びいきを差し引いても、我を通すだけの剣を持っている」
先ほどの戦いを思い出す。
田中の刃にキョウは抜け目なく対応していた。しかも、もう一人偽剣使いがいる状況でだ。
彼の中にいるもう一人の声もまた“彼女は手練れだ”と評していた。
恐らくは相当の研鑽を積んだのだろう。
ちら、と田中は彼女の腰に刺さっている剣を見る。
鞘におさめられた細身の偽剣――『ネヘリス』と彼女は呼んでいた――もまた相当の高性能騎に違いない。
また彼女は薄い金属を重ねた鎧を着こんでおり、関節部には伸縮性のある皮生地の防具を備えていた。
おそらく魔術を弾くMT加工がなされている、と田中はかつて小説で読んだ知識を基に推測した。
田中の視線に気づいたのか、キョウは薄く微笑みを浮かべた。
気まずく思った田中は思わず視線をずらした。
彼女を今ここで殺せるか──自然とそう見聞していたことに、彼は気づいたのだった。
「……とまぁ、ざっくりこのようなところだ。
本当に何もなくて恐縮だが、私たちは怪しい者だが本当に敵意はない」
リューは落ち着いた口調で話を続けた。
真摯な話しぶりで、そこに偽りがあるように思えなかった。
「可能であれば、君の話も聞かせてはくれないだろうか?」
「……俺は」
尋ねられた田中が、わからないなりに今の状況を説明しようと口を開く。
「俺は幼馴染の弥生が、突然消えてしまって、それを追っていたら、この世界に来て」
「この世界? ううん?」
「現実だ。現実の東京から俺はいたんんだ」
「東京? えっ、何を言っているんです? それってお話の中の街ですよね」
キョウは目をぱちくりとさせた。
「違う。東京という街は本当に存在したんだ。虚構なのは、この世界の方なんだ」
「は、はぁ……?」
「俺は訳のわからないまま、ここに来て、そしてエリスを――弥生だったかもしれない誰かを殺したんだ。この手で」
田中は愕然とした表情を浮かべて、血で汚れた己の手を見た。
「俺が――何故か、殺したいと思ったから。あの男のせいで。
違う、あの時俺は確かに。あいつを斬りたいと思って」
田中の口調は徐々に早口になっていく。
フラッシュバックする過去。
自分がエリスに対して行ったこと。
殺してくれ、と懇願しておきながら、またしてもここで刃をふるってしまったこと。
「俺は、おかしいんだ。頭が変になってる」
「…………」
「何時だれかを殺すか、わからない」
田中はキョウに対し、再度懇願した。
殺してくれ、と。
今の自分のまま生き続けること以上の責め苦はないと、彼は本気で思っていた。
「キョウ。彼は衰弱をしている」
それに対し、リューが釘を刺すような口調でキョウに語りかけた。
「精神が不安定になっている。どこかで休ませて上げた方がいい」
「殺してくれよ!」
田中は思わず声を荒げた。
「あなたたちは、人が死ぬのが厭なのだろう?
だったら、俺みたいな危ない奴は、放っておくべきじゃない」
「残念ながら、キョウはそう思うまいよ。
そして君は一度落ち着いた方が良い。君は疲れ切っているんだ。
まずは休める街を探そう。私たちが案内する」
優しく諭すような口調で言うリューに、田中は苛立ちが高まってくる。
何故自分の言っていることがわからないのか、まったく理解できなかった。
「リューを殺すのはダメですよ、ロイ君」
キョウがそこで口を開いた。
はっ、として田中は手元を見る。自分は知らぬ間に、あの長刀を手に持っていた。
『イヴィーネイル』と呼ばれたその剣は、乱暴に扱ったこともあり、既に刀身がゆがんでしまっており、剣としてはガタが来始めているのが見て取れた。
しかし、凶器としては十分な代物だった。
これを自分は、苛立ちのままに振るおうとしたのか。
「俺は……!」
その事実を意識したとき、田中は心の底から自分自身を恐れた。
「私、決めました!」
対するキョウが大きく声を上げた。
「ロイ君! 貴方、超危ない人なんですね!」
何故かそう意気揚々と言った彼女は、何かを決心したようにうなずいた。
「あーら、やっぱり随分と派手にやったものだね、少年」
と、そこで聞き覚えのある声が響き渡った。
彼女は、しゅた、と上空から中庭へと降りてきて、そして座り込む田中たちを見渡して、
「えーと、誰? こいつら?」
アカ・カーバンクルアイは、訝し気に首を捻った。
「キョウです、こっちは霊鳥のリュー。
ロイ君のお連れさんですか! これからよろしくお願いいたします!」
キョウは、手を上げ元気よく彼女に挨拶を返した。
「うんん? うん?」
戸惑うようにカーバンクルの瞳が揺れた。