137_少女、踊り続ける者
「また、持ってきてあげたよ『メルレピオン』」
少女の異端審問官、4《フィア》は両手に握られた偽剣をこれ見よがしに振り上げた。
拷問用の偽剣に多く見られるギザギザと波打つ刀身は、マルガリーテも見覚えがあるものだった。
先日の接敵で使っていたものとはまた違う。
それは、“たまご”にて異端審問官、4《フィア》が使っていた偽剣なのだった。
この偽剣で、マルガリーテは傷をつけられた。
えぐられた。切り刻まれた。痛みを与えられ、でも血を流すことは許されなかった。
覚えている。
一時は同じ隊にて同行していたマルガリーテを、4《フィア》はなんの躊躇いもなく拷問したのだ。
そしてその最中の彼女は、ほんの少し、楽しそうだった。
普段はぼうっとしていた彼女は、その退屈そうな態度はそのままに、人を傷つけている間は少し昂っていた。
そんな態度の彼女に、マルガリーテはひどく屈辱的な想いを味あわされた。
そして聖女戦線での遭遇で、その恐怖が未だにこの身に残っていることも、認めざるを得なくなかった。
「……くっ」
マルガリーテは胸にあふれる様々な感情を押し殺し、努めて冷静に剣を抜いた。
『ルーン・ガード』、指揮官用ブレード換装モデル。
刻まれた言語が通常騎種に比べて強化された騎種で、何とか自衛をしようとするが。
「さすがに敗けないよ」
跳躍でやってきた4《フィア》が、彼女の剣をやすやすと弾き飛ばした。
きゃっ、とマルガリーテは声を上げ倒れ伏す。からん、と手からこぼれた『ルーン・ガード』が音を立てるのが見えた。
「私、確かに弱いよ。
ロイ君とかハイネ君とか、ああいう頭のおかしい腕のひとと一緒にしないでほしいっていうか。
でも一応、新型の模倣品もらってるし……一山いくらの劣化品には敗けないっていうか」
ぶつぶつと彼女は言い訳するような言葉を上げていた。
その声色も、仮面から覗く若草色の髪も、どれもマルガリーテの本能的な恐怖を呼び起こす。
その恐怖がマルガリーテの剣を握る手をぶれさせてしまった。
たとえあの時のように『リリークィン0』がこの手にあったとしても、今の彼女に対抗することはできなかっただろう。
「じゃあ、またやっちゃおうかな。私、あの時から嫌いだったんだ……貴方とか、あの翼の剣士みたいな、薄っぺらいことばっかり言う人。
現実的じゃないっていうか、テキトーな嘘しか言わないじゃない。
私、必死に現実に合わせてるのにさ……ヤダよ」
そう口にしながら、ゆらりと彼女は迫ってくる。
「…………」
その様子にマルガリーテは恐怖を覚えていた。
あの剣は怖い。あの痛みの記憶はいまだに脳裏にこびりついている。
振り続ける雪にこの身が沈み込みそうだった。手が震え、視界がぶれそうになっていた。
「ふふふ」
マルガリーテはそれでも、微笑みを浮かべていた。
「うん、どうしたの。ここでも空元気、余裕ぶったふり? また嘘?」
「いえ、いいえ。怖い。貴方のことが怖いんですの。それは事実です。でも──」
4《フィア》とこうして間近で相対して、気づいたことがあった。
「……私のこと、見ている人がいますの。
私が、貴方の痛みに屈して、また“堕落”してしまわないか」
マルガリーテは思い返していた。
かつて“たまご”で向けられた、あのぞっとする表情を。
溌剌と、気丈に歩んできたあの人が、そんな眼でマルガリーテを見てくる。今でも見てくる。
そのたびにマルガリーテは恐怖を感じていた。
いつも自分の生き方を見る者がいるという事実は、本当に頭がおかしくなるほど恐ろしいのだ。
そう端的に言ってしまえば、
「──貴方より……キョウさんの方が、ずっと怖いんですの」
キョウ。
彼女の生き方と、マルガリーテの生き方は決して相いれない。
しかし、だからこそ彼女はマルガリーテのことを見ている。
リューを、たった一人の家族を殺したマルガリーテのことを許さないからこそ、だ。
その視線を、マルガリーテは何よりも恐ろしく感じている。
まったく不誠実なことだと思う。
自らが痛みに屈し堕落すること以上に、それを見ている人の視線が怖いだなんて。
でも怖いものは怖いのだ。
あの“たまご”の“堕落”をまた繰り返せば、果たして今度はどれほどの軽蔑を、彼女から受けるのかわからない。
「でも、わかりましたわ。これで、貴方の気持ちが」
「……うん?」
意図がわからない、とでもいように4《フィア》は首を傾げている。
それを無視して、マルガリーテは呼びかけた。
「貴方が言ってた言葉の意味。
私は、私の生きざまを見ている人が怖い」
なるほど、と彼女はこぼす。
「舞台にて踊り続ける主役は、観客のことを恐れていた。
でも、だからこそ、観客に去られてしまうということは、それ以上に恐ろしいこと。
ふふふ、確かに……こういうことでしたのね……」
恐怖の中、彼女はようやく理解できた彼の名を呼んだ。
──ヴィクトルさん、と。
「貴方もいい加減、認めなさいな! すでに貴方に観客はいないことを」
……その時、倒れていた彼の肩がぴくりと動いたように見えた。