135_白の塔
マルガリーテは、吹きすさぶ風の中、白金の髪を抑えていた。
その日は幻想が濃い日であった。
振り続ける雪は時節、ぼう、と肉眼でもわかるほどのきらめきを見せる。
そのきらめきの中、“眼”として高所に陣取っている彼女は、補助ユニットである本を開いていた。
届けられる情報が普段以上に雑音塗れであり、雪の影響を感じさせた。
──とはいえ、失敗はできませんわ。
マルガリーテは、ちら、と背後を窺う。
そこには、高所にあってなお、見上げる高く伸びた巨大な塔があった。
旧世紀の巫女たちが造り上げた神殿の中でも、目を引く外観をしたそれは、“白の塔”と呼ばれている。
神話に刻まれた塔を再現したものであり、このエリアはその塔を中心に道が走る構造になっていた。
もう一つ、この戦場には“赤の塔”と呼ばれる塔があり、この二つは対になっているのでは、と考えられている。
この塔はいかなる理由か、幻想の流れの中心になっていた。
塔を中心に雪と風が吹く、と言っても過言ではない。
そうした理由から、単なる歴史的価値でなく、戦略的な意味としても重要なエリアと言えるのだった。
──こんな場所を、任されるのだなんて。
そしてそこにYUKINO隊が配置されたことには、意味がある。
YUKINO隊は独立遊撃部隊として転戦を繰り返し、おおむね順調に戦果を上げていた。
異端審問官との戦闘以来、一時はどうなるかと思ったが、むしろ敗北を受けて陣形が強固になった節すらあった。
特にクリスは、なおもマルガリーテに対し悪態を吐きはするものの、キョウとは密に連携を取るようにはなった。
補給や整備も問題なく回してもらっている。特にフュリアには工房の新型が与えられたほどだ。
やはり上手く行っている間は、周りも助けてくれるものだ、と彼女は思う。
ここで失敗すればどうなるかは、言うまでもないだろう。
故に敗けられない。
マルガリーテの理想のためにも、クリスたちのためにも、だ。
「戦士フュリア、先の神殿に突入を。その一帯、雪の干渉がひどくて視えませんわ」
そう印《マーカーを伝えながら、マルガリーテは戦局を窺っていた。
同時に隣に立つ護衛、ヴィクトルへと声をかける。
「──貴方はいつも通り、私を守ってくださいね」
陣形の都合上、戦場において並び立つことが多い彼とは、意図的に交流を図っていた。
とはいえ彼からマルガリーテに口を開くことはほとんどない。
今でも彼は一言も発することなく、顔を俯かせ足元に立つ猫を見ていた。
それでもマルガリーテは朗らかに、満面の笑みを彼に向けるのだった。
空疎だとなじられようとも、彼女はそれを演じ続けるつもりだった。
◇
フュリアは走っていた。
雪をかきわけ、壁を蹴り上げ、連続の跳躍を敢行。
跳んで、跳んで、跳び回る。
思った瞬間にはすでに身体がついてきている。
その開放的な感覚に、フュリアは自然と笑みを浮かべていた。
その手に握られているのは、不揃いの双剣であった。
『ベルゾマ』。
それはナイフ型の短剣と、刀身が反り返った湾曲剣の二刀一帯の偽剣だった。
それが中破した『ウイッカ』の代わりに彼女に与えられた偽剣であった。
工房において開発されていたwic系列の騎体らしく、もともと同系列の『ウイッカ』を扱っていた彼女には手に馴染んだ。
聖女ニケアのはからいであることに、複雑なものを感じてはいたが、この圧倒的な機動性には満足していた。
せいぜい利用してやるさ。
そう思いつつも、少なくとも今のフュリアに聖女への翻意はなかった。
自分のようなものを直属においておくニケアはやはり信用ならないが、しかしこの場は従った方が得策だろう。
──それに飯のタネもいるしね。
そうシンプルに考えつつ、フュリアは『ベルゾマ』を駆っていた。
彼女の役割はマルガリーテの“眼”に情報を上げることだった。
戦場を駆け抜け、索敵する。
そんなフュリアにとって、『ベルゾマ』の機動性は、斥候として単騎で動くことが多い彼女には合致してあり、YUKINO隊の陣形としても、有効な強化であった。
ダッ、ダッ、ダダダダと跳躍の乾いた音が響く。
それに被るようにフュリアの息が重なった。
戦場を軽快に駆け抜けた彼女は、目標のポイントまでたどり着いた。
神殿の内部、静かな場所であった。
吹き抜け構造となっており、見上げるとはめ込まれた水晶の窓がぼんやりと発光している。
雪が積もらない構造になっているのか、はたまた何か魔術を刻んであるのか判別はつかない。
「…………」
『ベルゾマ』を握りながら、フュリアは周りを窺う。
誰もおらず、一切の音がしない場所であった。
構造もあり、一歩でも動くと靴音が異様な響き渡った。
視界の隅で何かが動いた、と思うも、見ればそれはごみが転がっていただけだった。
どこかからか風が流れ込んでいるらしかった。
「おい、誰もいないじゃないか」
バイザーを抑え、“眼”へと印を送る。
欠かさずあたりのデータを収集する言語を展開しておく。
眉をひそめながら答えを待っていた、その時、
閃光が四方よりフュリアに襲い掛かった。
色は青。速度を優先しているのか曲がらず単純な軌道であった。
フュリアは反応と同時に『ベルゾマ』で跳躍し、攻撃から逃れた。
──そこに配置されていた部隊が沈黙しています。何者かが潜んでいる可能性あり。
遅れてマルガリーテから言葉が表示されていた。
敵が待ち構えてたのか。フュリアは一気に思考を切り替える。
「『クィンネル』のデータ確認、普通に避けられました、と」
カツ、カツ、と靴音を立てながら、その敵はやってきた。
水晶の明かりに照らされた敵の姿は──剣が刻まれた仮面と灰色のカソック。
その手には刀身の長い見慣れぬ偽剣が握られていた。
その姿を見たフュリアは呟く。「なるほどね」と。
「そろそろ来ると思ってた。露骨にこの隊、泳がされてるだけだったしね」
ふふん、と敵は楽し気に笑った。
あのブレードハッピーや紅い女ではない。初めて遭遇する異端審問官だった。
とにかくフュリアは“遭遇、異端審問官”と報告を上げた。
そして明らかに向こうがこちらを待ち構えていたということも。
「お嬢ちゃんがそっちの隊の穴を埋めてるのはわかってる。
10《ツェーン》の言う通り、まずはお前から落としてやるよ」
……そう粗野な口調で語る異端審問官、3《ドライ》は『クィンネル』を抜き、フュリアと相対した。
◇
「……異端審問官、そう、来ましたの」
印を受けたマルガリーテは頷いた。
ついに、というべきだろう。
そしてまず最初にフュリアに仕掛けてきたということは、向こうはこちらの陣形を把握し、分析も怠っていない。
「それでも──越えますわよ」
おそらく、敵の次の一手は“眼”、マルガリーテへの強襲だ。