133_聖女の瞳
現れた聖女とフュリアは相対していた。
ゆらめく長い髪の向こう、碧色の瞳がこちらを捉えている。
聖女の手にはこの百年の間、幾度となく改修を施された偽剣『パルスマイン改・3rd』が握られていた。
燐光をまとう大剣は、現存する偽剣の中にあって、随一の精度を誇る一振りであった。
対するフュリアは劣化品に過ぎない『ウイッカ』。
その性能差は圧倒的であり、何より、先の一撃で既に『ウイッカ』の剣身が半分に折られてしまっていた。
絶体絶命。しかしフュリアはだからこそか、胸の奥から掻き立てられる衝動に従い、中破した『ウイッカ』を正眼に構えた。
「私は死ねないよ。死んだら、父が生きていけなくなる」
そして棘のある口調で、彼女はそう言い放った。
「うん、強いのだな。君は」
一方のニケアは特に大きな反応をすることなく、鷹揚とそうフュリアを評した。
彼女を軽んじるような響きは感じられず、純粋に感心した、とでもいうような趣だった。
そんな態度にフュリアは反吐が出る想いだった。
何故ここにタイボでなくニケアが来たのかはわからない。
だが今ここでそんなことを考えている余裕はない。
「怒らないでくれ、傭兵殿。私は別に、君を切り捨てようとは思ってないのだから」
「はっ、それはそれで信用ならないね。私みたいな奴を放っておくなんて」
「正確には斬り捨てようとしていたんだが、うん、なんだかやる気が出なくなった」
そう言って、ニケアはあっさりと鞘に『パルスマイン改・3rd』を仕舞ってしまう。
「……太母、お母様はここには来ないよ」
そして、目を細めて、そんなことを言うのだった。
「今は別のところに言ってしまった。
あのネタバレ聖女から何かを聞いて以来、何やら準備を始めた」
何、とフュリアは声を漏らした。
信用できるできないは置いておくにしても、聞き捨てならない情報だった。
まずタイボはここにはいないということ。そして、もう一つ。
「お母様だって?」
「うん、そうだ。あの人は私の母であり──だよ。
他の聖女が忘れてしまっても、“転生”していない私だけは、そのことを覚えている」
ニケアは意味のわからないことを言いながら、ついには座り込んでしまった。
壁にもたれかけたニケアは、なおも剣を構えるフュリアに砕けた口調で言った。
「……君は、私よりも強いよ。君は親を離れても生きている。
でも私は、まだあの人のゆりかごの中にいるのだから」
フュリアは眉を顰める。この女は一体何を言おうとしているのだろうか。
「聖痕、“教会”が私の力を何と言ってるのか、知っているかい?」
「……“希望”とか、聞いたよ」
「うん、そうだ。私にはどうやら、諦めるということができないらしい。
同様に私に関わった者全員が、どれだけ不利な状況であっても戦うことを選ぶようになる」
「はん、大層なことだね」
フュリアはクリスやマルガリーテの顔を脳裏に浮かべる。
確かに彼女らは、共に“教会”との戦いを絶望的なものとは考えていないようだった。
そうフュリアは納得していたのだが、しかし、ニケアは首を振って、
「さぁ、あくまでそれは“教会”から見てそう見えただけのことだ。
結果的にそうなったに過ぎないよ。私の力を見たら、誰だって少しは戦意を出すさ。
だから私の奇蹟……力はもっと単純で、ただの我儘だよ」
そこでニケアはまた別の表情を浮かべた。
それはいつも飄々とした様子の彼女らしくない、ともすれば疲れているようにも見える表情だった。
「その我儘を叶えてくれたのさ。お母様と、そしてお父様が」
フュリアがその言葉の意図が掴めないでいると、ニケアはすっと立ち上がって、
「お母様、太母には繋いでおこう、君の要件を聞くようにな」
「……いいのかい、私をつるし上げなくて」
「うん、私はそういうのに興味がないからな」
去っていくニケアに対し、フュリアは動けなかった。
この聖女の意図は掴めない。しかしこちらの敵意を、ニケアはまともに取り合わないようだった。
釈然としない想いは当然あるが、しかしここで不用意に反発することは、流石に悪手に思えた。
「ああ、そうだ、傭兵殿の剣を壊してしまったな」
部屋を出る直前、ニケアが思い出したように、ぽん、と手を打ち、
「あとでコルノボーグに支給するよう言っておこう。確か新型が一騎が転がっていた筈だ」
◇
それから整備を終えたYUKINO隊は再び遊撃部隊として前線に加わることになった。
陣形を整えた彼らの部隊は、安定を取り戻し、着実に戦果を上げていった。
聖女直属という立場も功を奏したか、周りから疎まれることはそう多くはなかった。
そうして戦っているうちに、YUKINO隊は聖女軍における精鋭として認識されていた。
とはいえ、最初の接敵以降、異端審問官との戦闘はなかった。
以降も戦場にて審問官と思しき部隊は確認されていたが、大きく表舞台に立つことはない。
その上で隊全員がわかっていた。
この隊は今、彼らに見逃されている立場にあることを。
──ロイ君。
戦いの最中、キョウは彼の姿を常に探していた。
ここで戦っていれば、確実に彼とはもう一度出会えるはず。
そう思いながら、戦っていた。