123_神隠し
「昔、僕はこの近くに住んでいたんですよ」
「ふうん」
「今思うと吹けば飛ぶような小さな村でした。
そして当然のように、僕が五歳になる頃には戦火に巻き込まれてなくなりました」
神殿の屋上にて、座り込んだハイネは穏やかな口調で語った。
「みんな、どこかに行ってしまった。僕だけが“教会”に保護された」
その言葉に、田中は返す言葉を持たない。
同情も共感も、すべきところではないだろう。
この時代、この世界において、その程度はもはや普通のことなのだと、すでに田中は知っている。
それにハイネは別に悲観している様子もなかった。
ただぼう、と立ち並ぶ神殿を眺めているだけだ。その前髪が風に吹かれ、さらりと揺れている。
その日、戦場の空は変わらず曇天で、降り続ける雪も変わらなかったが、ただ何時もと違う点として、風が吹いていた。
びゅうびゅうと音を立てて吹きすさぶ風が、カソックの袖を揺らしていく。
それも夜分である。
風と雪でかき乱された薄暗い戦場はひどく視界が悪く、この分では魔術帯の干渉もひどいだろう。
ひとたび足を踏み出せば、遭難してそのままどこかに消えてしまいそうだった。
元々、この戦場においては夜分の戦闘は少ない。
ただでさえ雪で探知魔術が効かない中、複雑に入り組んだ市街戦を強要されるというのに、視界の悪さまで加わればもはや戦闘どころではなくなる。
今夜はもうこの一帯で戦闘はないだろう。
“十一席”は到着以来、多くのエリアにて散発的に動いている。
あるエリアでは敵を遊撃したかと思えば、別のエリアでは味方を見殺しにしてでも情報を持ち帰れ、などと言われる。
その動きの全体像を田中たちは知らされていない。
ただ黙々と彼らは戦場の影で動き続けていた。
今日も友軍には知らせずに、田中とハイネは二人でこのエリアの偵察としてやってきていた。
戦闘が起こっていれば介入しろ、とのことだったが、場は静かなものだった。
となれば、もう今日の仕事はこれで終わりだろう。
田中は大きく息を吐いた。すると仮面の中が籠ってしまい、不快な心地になった。
──不意に奇妙なものを見た
それは顔に包帯のようなものをぐるぐる巻きにした少女であった。
和装に似たゆらりとした衣装に身を包んだそれは、ぼう、と世界に浮かび上がっていた。
向かいの神殿にて佇むそれは、じっとこちらを見つめているようだった。
「あれは」
田中が指で指し示そうとしたその頃には、すでにそれは消え去っていた。
はっとしてもう一度窺うが、そこにはもう誰もいなかった。
「何か見ましたか?」
「いや……」
田中が言葉尻を濁すと、ハイネはくすりと笑って、
「8《アハト》さん、それはきっと過去ですよ」
「うん?」
「この聖女戦線は、かつて“春”の巫女たちが集っていた場所です。
かつて世界を書き換えようとした巫女。彼女たちの祈りの残滓が、ここでは漂っているのです」
だから変なものが見える。
ハイネは静かに言った。
「巫女たちだったり、どこぞの剣士だったり、あるいは子どもだったり……ここでは別の時間の者たちの姿が見えます」
「時間……」
「さて、理屈はわからないのですが、どうもここはそういう場所らしいんです。
長きに渡る戦いがこうしてしまったのか。それともこういう場所だから、戦いが終わらないのか」
ふと遠くで、崩れ落ちた神殿の姿に変化があった。
「ああ、あれもそうですね。過去がおかしくなってるんです」
ぼう、と一瞬光が灯ったかと思うと、その神殿に石片が集っていき、廃墟だったそれは瞬く間に、破壊される前の姿を取り戻していた。
その奇妙な“巻き戻し”は、田中からすると出来の悪いCGのようだった。
破壊された神殿が、気が付くとああして修復されているのだという。
すでにこの世界の法則が、現実のそれとは大きく違うことにはなれていたが、それにしたってメチャクチャな話のように思えた。
とはいえ、事実としてそうなのだから受け入れるしかないだろう。
破壊された戦場はこうして歪な形で修復され、その度にまた少し違った構造になるのだという。
先日聖女によってまるごと消滅させられたエリアT3も、気が付くと別の神殿が現れるかもしれない、などという話も聞いた。
「色々と曖昧な場所です。何が現実で、何が過去なのか。
幻想純度……幻想の濃さが不安定の場所だと、何が起こるのかわからない。
だから、ここで遭難すると大変なんですよ」
「どうなるんだ?」
「“神隠し”に遭うそうですよ。神様の方が、もうずいぶん前にお隠れになったはずなんですけどね」
ハイネは薄い笑みを浮かべている。
「でも、こんな場所だから、僕はつい探してしまうんですよ。自分の知ってる過去が、どこかに転がってるんじゃないかって。
例えば、もう消えてしまったあの村の人たちとか──また、会えたらいいなって」
「…………」
田中の沈黙をどう感じたのか、ハイネは「すいません」と顔を上げ、
「辛気臭い話になってしまいましたね。いや、別にお気になさらずに。僕は今この“教会”での居場所を気に入ってますから」
「いや」
田中はそう短く返して、その会話は終わりだった。
が、実は本当はこう言おうとも思っていた。
自分がもしハイネの立場だったら、きっと同じことをしていただろう、などと。
田中自身、この東京のような戦場で、弥生や友人たちと過ごした見知った通りがないか、つい探してしまっていたからだ。
それから次の日、田中たちには10《ツェーン》より命令が下された。
明日、エリアD9に来る敵の精鋭部隊を強襲しろ、とのことだった。