121_力あるもの
聖別計画。
それは聖女がもたらす奇蹟の複製すべく始まった計画であった。
聖女がもたらす言語自体はある種神聖なものとして、魔術的な観点から解剖することは禁忌とされていた。
しかし聖女軍が現体制、メロン将軍とコルノボーグが力を握った十数年前より、この計画はスタートしている。
場合によっては奇蹟が解体されたしまう。
そう宣言された上で、実際的な戦力増強を目的として行われたこの計画は、しかし、思ったようには進まなかった。
──私の力は、聖女様の力じゃない。奇蹟でもない
髪を揺らし、クリスは『ルゥン』と共に戦場を駆け抜ける。
rUn系列偽剣の総決算として、再び神剣を一から模倣する、というコンセプトで造られたこの偽剣も、彼女専用にチューニングがなされている。
──ただの真似事。でも……!
クリスは純正の人間であり、そこに鬼や巨人などの強固な肉体を持つ種の血は混じっていない。
故に本来ならば、それほどの大きさの剣を持つことなどできはしないし、戦士としての経験値もそう多くはない。
それを可能にするのが聖別である。
聖女の言語構成を模倣した特殊な言語を人間に存在に書き込むという、特異な実験。
聖女軍の兵士たちの多くは、この聖別によって戦力を増強していた。
湧き上がる力がその足を軽くし、明瞭な視界と高速な判断力を確立させる。
あのマルガリーテも聖別を受けている。
少女の身でありながら、一人でこの荒れた時代を旅できる程度の力を身に着けたのも、彼女が優先して聖別を受けることができる立場にあったからだ。
適正と時間さえあえば、幅広く転用できるこの技術によって、物量で圧倒的に勝る“教会”と戦うことができていた。
無論、実験のすべてが上手くいった訳ではない。
特に初期の聖別実験においては、寿命の減少や記憶の欠損、果てには拒絶反応による異形化まで見られたのだという。
そうした試作段階である、レベル1を経て、マルガリーテらが受けたレベル2聖別は確立された。
レベル2聖別において、目立った障害は見られていない。
自我の強化が起こる、という意見も見られたが、あくまで俗説だ。
それを発展させたレベル3聖別は一部の精鋭にのみ与えられているが、さらにその上のレベル4にまで到達したのは、まだクリス一人のみであった
──みんなのために、私は力を見せつけなければいけない。
幼少期、クリスは聖女軍と“教会”の闘いの最中に家族と離れ離れになって以来、天涯孤独の身として聖女軍に育てられた。
こんな時代において、身寄りの彼女を育ててくれた聖女軍の者たちに、クリスは深く感謝していたし、愛情も感じていた。
だからこそ、ある種実験体として扱われたことも、不満はなかった。
むしろ積極的に協力もしたいと思っていた。
もしかすると、そういう思考自体が、教育によって与えられたものなのかもしれない。
そのことは誰に指摘されるまでもわかっていたし、聖女軍という環境が彼女という人格を形作ったことも確かだ。
だが、だからなんだとも思っていた。
少なくともクリスには今愛すべき者がいたし、成し遂げたいと思う使命もあった。
“教会”の言葉を借りれば、それこそが“希望”なのだった。
「見せてやるんだから! あのコネ女と違うって!」
メロン将軍らの顔を浮かべつつ、クリスは重い剣をその手に駆け抜けていた。
“眼”であるマルガリーテの言葉なしでは、索敵に問題が発生することも理解していた。
単騎で飛び出したところでできることはたかが知れている。
これがきちんとした指揮系統に組み込まれた部隊であれば、たとえ不満のある命令だとしても、従っただろう。
だがYUKINO隊が、聖女直轄という、非常に特異な立ち位置であり、このエリアもマルガリーテの息がかかった戦場。
そのことを把握しているからこそ、クリスは飛び出したのだ。
このままでは、マルガリーテによって自分の力が封殺されてしまう。
そうなる前に、力を誇示してみせる。
しなければならない。
そんな強い意図を持って、彼女は声を上げ『ルゥン』の刃を振るった。
瞳に一瞬、碧色の光が灯る。
幻想が剣に収束し、轟音を立てて振るわれた
直撃した神殿は根元から粉砕され、次の瞬間には跡形もなく消えていた。
フィジカル・ブラスター。
出力を大分抑えたつもりだったが、この威力。
消え去った神殿を満足げにクリスは見上げ、自分にこの『ルゥン』を用意してくれた工房の人たちに感謝の想いを感じていた。
──さて、ド派手に花火を上げたんだし、来るでしょ。
クリスは不敵に笑って、その場に留まる。
“眼”など使わなくてもいい。向こうから寄ってくるようにすれば、後は屠るだけなのだから。
舞い上がる雪と土煙の中の視界に、不意に暗い影が浮かび上がった。
彼女を取り囲むように現れた影の正体が“教会”の黒色装備であることに気づいたとき、クリスは獰猛な笑みを浮かべた。
来た。敵が来た。ならばあとは剣を振るうのみだ。この身にかけられた期待と愛に応えるため──
──そして蒼白の翼が舞い降りた。
え、とクリスの声が漏れた。
翼が視界を過ると同時に、猛烈な勢いで敵が倒れていったからだった。
クリスが剣を構えたまま、何もまだしてはいない。
だというのに、現れた敵の隊は既に全員倒れ伏している。
しかしそこに血は一切流れておらず、ただ敵の悲痛な呻きだけが漏れていた。
代わりに、翼の剣士が舞っていた。
キョウ。彼女は「はっ、はっ」と息を切らしつつも、その瞳から戦意は抜けていない。
そしてそのまま、クリスを一瞥することすらなく、飛び上がり、駆け抜けていった。
「おい」
あまりにも一瞬の出来事だったがゆえに、クリスは呼びかけられた声に反応が遅れてしまった。
「……ちびっこいの。聞いてんのかい?」
「あ、アンタも大概ちびじゃないっ!」
そこに立っていたのはYUKINO隊の一員である傭兵の少女だった。
フュリアという名前を思い出しながら、クリスは尖った口調で言う。
「ふん、どうでもいいさ。ただ隊長から命令でね──そこの敵は捕虜にするように、だってさ」
首巻きを抑えながら立つ彼女は悪態を吐くように言った。
バイザーをつけた彼女は“眼”であるマルガリーテから伝令を受け、戦場を駆け巡っているようだった。
「いやよ、私は自分の性能を」
「でもさ、放っておいたらまずいんじゃないの? 逃げられるよ、こいつら。
それとも何、虐殺でもするのかい。もう抵抗できない相手を」
フュリアは「それでもいいけど」と口にしつつも、面倒くさそうに髪を撫で、
「こんな例外まるけの部隊とはいえ、命令系統的には一応アッチの高飛車女のが上だし、外様の私はあちらに従うよ。
虐殺するなら一応私は止めたと言ってくれると助かるけど」
「そ、そんなことしても私の性能を示せないじゃない……!」
クリスは眉間に皺を寄せつつ、空を窺った。
蒼白の翼を広げ飛ぶ剣士の姿がそこにはある。
悔しいが機動力という点では、あの翼と“眼”の組み合わせに、クリス単独では全く勝てない。
そのことを理性で判断し、彼女は忸怩たる想いになった。
結局、その戦闘は戦力が次々と無力化された“教会”が撤退を開始。
聖女軍は追撃を行いつつも、無事エリアの制圧に成功し、幕を閉じた。