120_不殺と無血と
雪として舞う幻想が集積し、それは翼となった。
それはかつて霊鳥の言語。
核たる想念を受け継いだ彼女は翼と共に──空へと舞い上がる。
蒼白の翼を広げ、キョウは朽ち果てた戦場を猛然と飛び上がっていた。
そのさなか、バイザーに小さな言葉が表示される。
『十一時方向に“教会”の偽剣隊、聖女軍の小隊と交戦中ですわ』
“眼”であるマルガリーテからの通信。
幻想を含んだ雪の干渉を受け、魔術に雑音が多分に含まれている。
距離が離れれるか、降下すればすぐさまこの魔術も途切れてしまう。
──だから、時間をかけてられない。
YUKINO隊の陣形。
そこに込められたマルガリーテの意図をキョウは理解しているつもりだった。
そして、マルガリーテもきっと理解しているはずだ。
キョウが彼女のこの翼を預ける意味と、そこに込められた想いを。
──行きます。
キョウは目を見開き、一気に廃墟の街へと急降下した。
降りかかる急激な圧を跳ね除け、彼女は流星のごとく地平に降り立つ。
振りつもりった無数の雪が舞い上がり、きらきらと照り輝いた。
その輝きが引かぬうちに、ダ、と跳躍の音が鳴り響いた。
その場にて交戦していた兵士たちは、何も反応できなかった。
突如として現れた蒼白の剣士に、敵である“教会”の兵士はおろか、存在を聞かされていたはずの聖女軍兵も反応できなかった。
その間にキョウは、駆け抜けていた。
不殺の剣『ネヘリス』を以てして、“教会”の兵士を昏倒させる。
ただし一人だけは敢えて無傷の状態にて残して。
突如の介入に加えて、翼も含めた三次元的な駆動により、キョウは一瞬で場を制圧していた。
そして次の瞬間には、キョウの姿はすでに消えていた。
翼を広げ飛び上がった彼女は、“眼”の言葉に従い、次なる闘いへと向かう。
……残された聖女軍の兵士たちには、すぐにマルガリーテから言葉が伝令された。
敵は無力化した。敵はそれを回収させるために人員を裂くだろう。それを敢えて見逃せ、と。
◇
「次は二時方向に向かってください。神殿ごと破壊して、そのまま戦闘を中断」
神殿の最上層にて“眼”となったマルガリーテは言葉を伝えていく。
瞳には単眼が装着され、手元には魔術補佐ユニットたる分厚い本が開かれている。
伝令用の装備を装着した彼女は、この隊における中核だ。
彼女の下にはこのエリアにおける戦局や情報が集まってくる。
すでに展開していた聖女軍からのデータを流してもらっている形だ。
こうした協力を取り付けるためにも、マルガリーテはグランウィングの家系の域がかかっている部隊が進軍しているこのエリアを、YUKINO隊の初陣として選んでいた。
──コネ女、結構ですわ。
クリスの揶揄に対し、マルガリーテは一人思う。
どう罵られようと、影で囁かれようと構わない。
血を憎み、血を忌避し、血と向き合う。
持てるものすべてを使ってでも“無血”を体現すべく、マルガリーテ・グランウィングはこの戦場に帰ってきた。
そして、あのキョウが力を貸してくれる。
そこに込められた想念的な意味と同時に、マルガリーテは実際的な思考も持ち合わせていた。
霊鳥のリューの翼を受け継いだ彼女は、この時代において戦力的な面で鬼札である。
元々キョウの偽剣の腕も、その偽剣の性能も、目を見張るものがあった。
そこに翼が加わった。
妖精や翼人などといった想念寄りの存在でなく、物質寄りの人間として翼を持つ者は非常に希少だ。
こと幻想の濃度を無視して飛び上がることのできるキョウは、抜群の機動力を持ち合わせている。
加えて言うならば、キョウ自身は磨けば光る、見た目麗しい少女である。
無論、翼あるとしても、それで戦場すべてをカバーすることなどはできないのだが……
──象徴としては、十分ですわ。
キョウを使い、聖女軍を使い、ニケアさえも使い、マルガリーテはその理想を実現するつもりだった。
血を流さない時代をもたらすためにも、力は必要だ。
聖女ニケアという旗頭だけではダメだった。戦争は続いてしまった。
だからマルガリーテは一度この戦場を後にしていた。
“たまご”にて、第二聖女とは結局会うことができなかったが──しかし、代わりに得たもの、それがキョウなのだ。
「貴方は印を十歩先の地点に打ち込んでくださいまし」
キョウに戦局を伝えつつ、単独で動いていたフュリアにも指示を伝える。
彼女は戦力としてではなく、マルガリーテが戦場全体を把握するための布石を打ちこんでもらっている。
傭兵であるフュリアはこちらの指示には従順に、的確にこなしてくれる。
「戦士ヴィクトル、貴方は三時方向、こちらに向かってくる部隊に“早撃ち”を。殺さないように」
「……了解した」
隊の中で、唯一ヴィクトルだけは隣に置いていた。
このぼんやりとした男は、人格に問題はあれど腕は立つことを知っていた。
彼はマルガリーテに対し傘をさしたまま、鞘が巻かれた腕を上げ、剣を撃った。
どん、と遠くで雪が舞い上がる。足首が狙い撃たれた偽剣使いたちが次々と倒れていく。
ヴィクトルは巨人用の偽剣『ルーン・グゥル』を居合として使う。
巨大な剣を瞬間的に物質化させることで、この神殿上層から、フィジカル・ブラスターなし敵を狙い撃てるのだ。
「……ほれぼれする技巧ですわね」
マルガリーテは思わず声を漏らした。
巨人用の剣で居合。言うには易いが、実際にそれをこなしてみせる偽剣使いなど、それこそ彼くらいだろう。
離れた敵にも攻撃できるということで護衛として配置してみたが、これほどの力ならば文句はない。
一応マルガリーテ自身も指揮官用ブレードに換装した『ルーン・ガード』を装備しているが、この分では抜くことはなさそうだ。
「…………」
文字通り片手間に敵を無力化してみせたヴィクトルは、しかし戦場に特に興味もないようで、沈黙したままだった。
足元の白猫だけが「にゃあ」と鳴いており、その姿を澱んだ瞳で彼は眺めていた。
不気味としか言いようがない。とはいえ指示には従ってくれるようなので、そこは素直に感謝すべきだろう。
マルガリーテは一度白い息を吐いたのち、
「とりあえず私を守ってくださいませ、戦士ヴィクトル」
「…………」
「私に近づく敵がいましたら、とりあえず殺さない程度に撃って無力化してくださいまし──頼りにしてますわよ」
そう伝えたのち、マルガリーテは再び戦場へと目を向ける。
キョウは圧倒的な機動力を持って駆け抜け、血を流さずに戦場を収束へと向かわせている。
彼女の敵となる兵士はこの戦場には確認されていない。
だから問題となるのは敵ではなく、味方の方だ。
「キョウさん、四時方向へ。そこに同志クリスティアーネがいますわ」
マルガリーテは告げた。
「言うことを聞かないじゃじゃ馬に、見せつけてあげてくださいませ──その力を」