12_ブレードハッピー
田中と戦闘服の偽剣使いとの戦いは続いていた。
先ほど跳躍の隙を突く形で、一瞬で敵の一人を斬り伏せた田中であったが、
残る三人はそれでリズムを崩すことなく、再び跳躍の応酬による偽剣戦へと移行した。
ダ、ダ、ダ、と延々と音が刻まれる。
単眼式のゴーグルがロイへと向けられている。
感情の読めない不気味な敵意を向けられつつも、田中は落ち着いていた。
一瞬でも跳躍が遅れれば、その肌に剣が突き立てられることはわかっていた。
しかしどういう訳か恐怖というものは一切湧いて来ないのだ。
――やり方を、俺は全部知っている。読んだことがある。
脳裏に浮かぶのは弥生の小説だった。
こうして跳躍しながら戦う描写を読んだことがあった。
だからその概念についても迷わない。
どう偽剣をふるえば良いのかすべてわかっていた。
あとはそれを実践するだけだった。
田中は敵の動きに合わせて跳躍を繰り返す。
そのたびに彼の動きは洗練されていく。
どこに跳ぶか、どう切り返すか、どう剣を“読め”ばいいのか、数秒ごとに彼は掴んでいった。
そして、もう一つ田中の内側からせり上がってくる“経験”があった。
「原理原則は知ってる」
幾度かの交錯の末、一人の偽剣使いが田中に追いついた。
敵が目の前に跳躍。瞬間、偽剣『ウイッカ』がロイめがけて放たれた。
金属音が響き渡る。
タイミングを合わせて、その偽剣『イヴィーネイル』で田中は敵の刃を受け止めていた。
そして次の瞬間には彼らは同時に跳躍へと移っている。
偽剣使い同士の戦いは決して同じ場所に留まらないものだ。
――やり過ぎだな。今のは防御に回った方が本当は危なかった。
耳元で声が聞こえた気がした。
しかしそれは幻聴に過ぎないことを田中は確信している。
振り返ったところでそこには誰もいないし、誰も助けてはくれない。
――先の第六聖女との戦いで『イヴィーネイル』は既にガタが来ている。長期戦はできない
だから、この言葉は自分のものだ。
この身体自体からせり上がってくる知識と感覚のフラッシュバックだ。
この内なる声の正体が誰かを、田中は既にわかっていた。
こうして戦えばわかる。
自分の本来の身体はこのように鍛えられてはいなかった。
この身体は骨格ごと作り替えられ、そこに根付いた経験と昂揚も引き継がれた。
すべてはあの8《アハト》という男が、田中に押し付けたものだ。
そう思うと強烈な不快感が胸に渦巻いてくる。
男の邪悪な笑みを思い出す。共に死にゆく定めだった8《アハト》は、田中に寄生することで生きながらえることを選んだのだ。
いや、と田中は思う。
もしかすると自分の方が8《アハト》に寄生しているのか。
果たしてロイ田中は、今でもロイ田中を名乗ることのできる人間なのか。
その疑念が強烈な不快感となり、苛立ちとなっていた。
それと同時に偽剣使いが襲ってくる。
タイミングを合わせてやってきた二人の偽剣使いが、左右から田中の身体へと刃を突き立てようとする。
田中は舌打ちをした。もうすでに身体が動いていた。
敵が跳躍を終えた瞬間に、跳躍。背後に回った田中は『イヴィーネイル』を敵の背中に突き立てる。
飛び散る肉。その身を貫く感触。そして甲高い敵の断末魔。
剣先を力強く引き抜き、鮮血が噴出する。すると誰かが“殺し切った!”と快哉を上げたのが聞こえた。
無論それも幻聴に過ぎない。
だがその瞬間だけ胸中に溜まっていた苛立ちと不快感が、すっ、と引いていく。
そうして冴えわたる意識の下、田中は次なる獲物を求めて朽ちた城を駆け抜ける。
「撤退だ、父上の下に戻れフュリア」
残り二人となった敵は、こちらを手に負えないと判断したのか逃げる構えのようだった。
そう田中は分析していた。
もうこれで敵は襲ってこない。怖くはない。撃退できた。
頭の隅ではそう思っていたのだが、彼は敵を追っていた。
跳躍、跳躍、跳躍、敵をかく乱するようにあちこちに転移したのち、逃げ腰となっていた敵を襲った。
そのあたりになってくると、田中は偽剣戦にかなり順応が進んでいた。
どう動けば、もっとも速いのか。ささやかれる声に従い、また一人の敵の背中に剣を突き刺した。
「……撤退は無理と判断。応戦するよ、父上」
残り一人となった敵がそう呟いた。
偽剣を構えこちらに相対する敵を見て、田中は思わず笑みを浮かべていた。
こうしてみると随分と小柄な敵だった。フュリアと呼ばれていたし、おそらくは女性だろう。
先の戦闘でも基本的に後方にいたし、新兵に近い立場なのかもしれなかった。
「早死にするよ、ブレードハッピー」
挑発するように敵が言った。
ガチリ、と単眼式ゴーグルが回る。
そしてロイと敵は同時に跳躍。鈍い音、交錯する刃、鋭敏化される理性。
跳躍後、田中の眼前に敵が現れる。
果敢にも上段構えた敵の太刀筋に迷いはなかった。
しかし、田中には敵の死角が見えていた。誰かが殺せと耳元でささやく。
胸に救う不安を振り払うように、田中は凶刃をふるっていた。
◇
「8《アハト》の悪い癖も、もう出ちゃってるかしらね」
真っ赤な肉塊を前にして、カーバンクルは女性的な口調で呟いた。
仮面はもう取っていた。そして血液の付着した髪を厭そうに振り払った。
身にまとうカソックは、もはや元の色など一切わからない程度には血で汚れていた。
いつものことながら厭になるね、と呟きながら彼女は身にまとった衣服を脱ぎ捨てる。
薄い生地のインナーが露わになる。そちらもところどころ血に染まっていたが、だいぶマシではあった。
「しかし東京から来た少年、か。面倒なものだ」
ふう、と息を吐く。今度はどこか男性的な硬質さを思わせる口調となっている。
その手には一冊の手帳があった。血痕が付着したその手帳にはびっしりと文字が書かれていた。
それは聖女エリスが持っていた手帳であった。
彼女が紡いできた虚構が記された、エリスという存在を象徴するものである。
消滅する間際にそれを回収していたカーバンクルは、ぺらぺらとその中身をめくっている。
「“犠牲”の言語がどこに転生したのかも調べないといけないが、
まずはあの少年をどうにかして、“教会”に連れて行かないと」
カーバンクルが田中の名前を知っていたのも、ひとえにエリスの手帳に目を通していたからだった。
「東京人で東京語のネイティブスピーカー……神話の通りなら、色々面倒だ」
ぶつぶつと呟きながら言う。
東京。物質層にあるという、赤い塔がそびえたつその街は、神話にのみ語られる虚構の街だ。
千年前の戦争では、物質層より召喚された東京人を戦場に投入し、
主に“春”の陣営において多大な戦果を挙げたとされているが、正直なところ信憑性はかなり怪しい。
そのような存在がいたらしい、とはされているが、
層転移召喚の魔術などもはや喪われて久しいと聞くし、今この現代に東京人が現れるというのは現実味に乏しい。
とはいえ彼は随分と流暢に物質言語、東京語を使っていた。
普段の会話で物質言語を使うのは軍人か魔術師か、それかギルドの連中か、なんにせよそれなりの訓練を受けた者だ。
その辺の少年が、軽く扱えるようなものではないのだ。
――まぁ、あの8《アハト》の邪法の影響の可能性もあるが。
とはいえ、まだ完全に混ざりきってはいないはずだと、カーバンクルは考える。
このあと、どうなるのかまでは彼女にだって読めなかったが。
「なんにせよ、新メンバー候補。
とりあえずは育てたいものだよ」
手帳を閉じてゆっくりと歩きだしながら、カーバンクルは言った
乾いた風はまだ止まない。これからもずっと、この朽ちた城にはこの風が吹き続けるに違いない。
「とりあえず人殺しに慣れてもらわないと。
まず、誰かを傷つけず、誰も殺さずに生きていくなんて、今日の時代、誰にもできないと教えないとダメね」
……のちにカーバンクルは、この場面でのんびりと休憩を挟んだことを後悔することになる。
◇
事実、この時点までは、カーバンクルの思惑通りに事が進んでいたのだ。
田中は再び殺人に手を染め、その身体に突き動かされるまま凶刃を振るうことに、誤魔化しようのない快楽を覚えていた。
しかし、そうした彼の変化に歯止めをかける人物が、その場に現れていた。
田中が刃を敵に突き立てようとしたその瞬間、りんと響き渡る声があった。
「ダメです! 人殺しは!」
はっ、と田中は目を見開く。
それは幻聴ではなかった。確かにこの現実に響き渡る声であった。
「人殺しは! ダメです!」
もう一度、彼女は言った。
青みがかかった長髪が舞い、銀に輝く細身の刀身が場に躍り出た。
田中と戦闘服の偽剣使いの間に割り込む形で、その少女は突然やってきた。
「殺さずでいきましょう」
田中が突き立てようとした『イヴィーネイル』を受け止めながら、彼女は微笑みを浮かべて言うのだった。
彼女の名前はキョウ。
田中とカーバンクルが、不殺剣士、と呼ぶことになる少女だった。




