118_1・2・4・8
……その日も変わらず、戦場では雪が降っていた。
エリアF7は聖女戦線の中でも特に神殿の密集具合が高い上に、入り組んでいる。
“春”の巫女たちが祈りを捧げていたという高い高い神殿たち。
それらが複雑に入り組み、見上げれば空は四角く切り取られていた。
その奇妙さこそ、この聖女戦線の象徴なのだという。
田中はしかし、そんな場所にぼんやりとした望郷の想いを感じていたのだ。
何せ彼の目に、その光景は東京の街のそれにしか見えない。
確かに近づけば窓は、硝子とはまた違ったざらついた加工になっているし、電柱なども消えている。
あくまでそれは現実の再現である、ということは端々から読み取れる。
──気持ちが、悪い
そう思いつつ、田中は廃墟の戦場の中、雪を踏み分け、跳躍を繰り返している。
「敵騎がこの先にいるって。数は八。偽剣隊が二隊いるみたい」
隣から4《フィア》が仮面を抑え、何かを見つけたように呟いた。
「判断は?」
「とりあえず突破いいでしょう、雑に」
田中の問いかけに、先頭に立つハイネがにこやかに頷いた。
「うん、“眼”も同じこと言ってる。ここを抜けて、とっとと先のポイントに行けって」
4《フィア》の言う“眼”とはカーバンクルのことである。
彼女は今、この乱立した摩天楼のどこかに立っているはず。
幻想の濃いこの戦場においては、探知魔術は当てにならない。
そこで神殿の屋上など、幻想が薄い高所から敵を観測し、それを印によって味方に送り付ける、ということになる。
それを受けるのが、異端審問官に支給された剣の仮面である。
仮面の奥に仕込まれたバイザーに“眼”からの情報が適宜表示されるのだった。
“教会”独自の魔術帯を使うことによって、たとえ鹵獲されたとしても、印を傍受されることはなくなっている。
長く続いた戦争だけあって、様々なセオリーが出来上がっているものだと、田中は思う。
「接触します。剣のご用意を」
ハイネが柔和に言った次の瞬間、田中たちはビル群を飛び出し、瓦礫の山にて行軍していた偽剣隊と接触した。
ダダ、と跳躍で雪を踏みつける音が鳴り響く。
聖女の紋章が刻まれた装備を纏った偽剣使いたちが顔を上げた。
と、同時に田中は既に『エリス』によって、たまたま近くにいた敵の首を落としていた。
真っ赤な血が吹きあがり、生臭い厭な臭いが田中の鼻腔をくすぐり──その感覚に、彼の心は落ち着いていた。
意識はすっと冴えわたっていた。
振り続ける雪の中、飛び散った鮮血が雪を汚すが見えた。
しかしすぐにまたその血はかき消える。延々と降り続ける雪がすべてをかき消してしまうのだ。
そう冷徹に分析する理性の声が、胸に宿る衝動のくびきを外す。。
血濡れの『エリス』を持ってして、田中は正面から偽剣使いの隊に突っ込んでいった。
敵は『ルーン・ガード』『ルーン・アサルト』をすぐさま展開する。
突如として現れた灰色カソックの部隊に、混乱しつつも務めて冷静に対応しようとしているのが窺えた。
狂犬のように襲いかかる田中に対して、陣形を組み対応する。
しかし、彼らよりも、田中よりも、速く駆け抜ける者がいた。
火花が散る。雪の上に足跡が猛然と産まれていく。
隙間さえ窺わせないほどの連続の跳躍。
偽剣『ピュアーネイル』と共に、ハイネは敵陣を誰にも姿を見せることなく駆け抜けていた。
その速さ故、それぞれの敵に致命打を与えることはできていない。
とにかくすれ違いざまに剣を薙いでいっただけであり、大変の敵兵は剣による防御に成功はしている。
だがその間にも人斬魔は近づいている。
陣形を組むことを阻まれた彼らに、血濡れの『エリス』を携え正面から突っ込んでいった。
最初の接敵で二つの首が飛んだ。
次に一つ。後ろから襲ってきた剣士は、ハイネによって田中への攻撃を阻まれ、次の瞬間には解体されていた。
さらに田中とハイネの二人によって次々と血が流れていく中、別の刃もまた駆け抜けていた。
隠蔽魔術を仕込まれたMTコートを身に纏った4《フィア》が、混乱に乗じて『リヘリオン』を抜いている。
カーバンクルのものと違った、モスグリーンの塗装がされた『リヘリオン』で彼女は黙々と逃げ出そうとする敵を狩っていた。
「──ひとまず完了ですね」
頬に返り血をつけたハイネがにこやかに言った。
気が付くと敵は消え失せていた。代わりに赤黒く変色した雪が、辺り一面に広がっている。
「おっと、僕は味方ですよ、8《アハト》」
ハイネの注意に、田中は自分が勢いのまま剣を構えていたことに気付いた。
「はっ」と白い息を吐くと同時に、『エリス』を鞘へと納めた。
「ええと、大丈夫?」
先頭に立っていた田中に4《フィア》が心配そうに尋ねてきた。
「やっぱり、この陣形、微妙にロイくんの負担が多いような。一応私、先輩だし、こんな楽な位置だとなんか居心地悪いというか……」
「いや、俺はこちらの方がやりやすい」
4《フィア》の言葉に田中は短く返した。
すると後ろでハイネは微笑みを浮かべているのがわかった。
彼は理解しているのだろう。とにかく衝動的なまでに攻撃させる方が、ロイ田中という剣士は上手く機能するということに。
ハイネは恐らく先代の8《アハト》という人物のことを正確に把握していたのだろう。
──悪くない
この場所は、田中にとってやりやすい場所であった。
動くものを見れば、それが人間であれば無条件にそれを斬り裂いてしまいたいという衝動が湧き上がる。
その衝動を今まで理性で抑えて生きてきた訳だが、ここでは敵と味方の最低限の識別さえできれば、剣を抜く理性的なハードルは一気に下がる。
我慢をしなくてもいい。そう思うだけで、田中は随分と気が楽になっていた。
問題があるとすれば、やはり立ち並ぶ神殿と言う名のビル群だ。
目に入るだけでそれは現実を想起させ、手にかける存在たちに厭な現実味を与える。
この場所は虚構の世界である、という感覚を忘れそうになるのだった。
「うん? 近くにまたもう一部隊いるらしいけど……え? こっちは無視でいいの?」
4《フィア》が仮面を抑えて言った。
カーバンクルから何やら指示があったらしい。
「戦闘は回避する方向ですか? 4《フィア》」
「えと、うん……“戦局を有利にし過ぎないように”だって」
この盤上を見ているカーバンクルの言葉は、10《ツェーン》からの戦略によるものだろう。
そう考えると、信頼できそうだ。田中は薄紅色の瞳を思い出し、自然とそう思っていた。