117_隊長は私
“ガンマン”のヴィクトル。
その名が呼ばれると、部屋の狭間に立つ目深に帽子を被った彼はゆっくりと顔を上げた。
「……なぁ」
そして、ひどくか細い声で、マルガリーテやフュリアに呼びかけた。
ぐしゃぐしゃの髪の向こうに見える瞳はどんよりと濁っており、力強さは感じられない。
「観客のいない劇場で、その中心にて踊り狂う者は、果たして主役と言えると思うか……?」
「はぁ?」
彼の不躾な問いかけにフュリアが眉を顰めていた。
だが当の彼はそもそも答えなど求めてはいなかったのか、ぼそぼそと独白のような言葉を続ける。
「たとえそれが如何な名演だとしてもだ。
誰もいない劇場は、やはり空虚だ。
観客なくして劇は成り立たない。
込められた想いは、一人では完結しない──させてはならないのだ。
失望でもいい。悪罵でもいい。軽蔑でもいい。
想いへの返歌があって、初めて物語は現のものとなりうる。
しかし、しかし……」
喋り続けていたヴィクトルは、崩れ落ちるように膝をついた。
すると傍にいた白い猫が彼に寄り添うように近づいてくる。
にゃあにゃあと泣くその猫は、メロン将軍のような人間でなく、異物のようだった。
ヴィクトルはその背中を撫でながら、しかしその目を直視せず、
「聞こえないんだ」
そう漏らした。
「あの女……あの紅い女に言われて、そしてそのまま逃げられて以来だ……そんなこという奴は全員殺してきてやったのに、逃げられたから……サア、我が愛しの牝猫にして生涯の観客……」
「コイツもイカレてるじゃないか」
フュリアは付き合ってられない、とばかりに頭を振り、不審な表情をマルガリーテに向けた。
隊員として、その男はあまりにも、不安な存在と言えた。
「どの部隊にも編入されてない訳だ。こんなのが使い物になるのかい?」
「ええと、まぁ……腕は確かだと、ギルドからもお墨付きが」
──出ているんですのよ、本当に。
問いかけられたマルガリーテは一瞬目を泳がせたのち、にこやかな笑みを作って、
「戦士ヴィクトル」
「……なんだ?」
「私がこのYUKINO隊の隊長を務めます、マルガリーテ・グランウィングになります。
少女にして隊長、聖女軍において“無血”を謡う者。
無垢・幼気・純真・天衣無縫、お好きな言葉で修飾なさって」
マルガリーテは、くるり、と一回りしたのち、悠然と手を差し伸べた。
その流れるような口上は、どこまでも嘘臭くありながら、同時に何度も何度も口にしたからだろう、奇妙なほどの自然さがあった。
「……ヴィクトル・ジュヴネェル・レオリュードだ」
「はい。それでそこにいるのがフュリアさん。私や彼女と共に、聖女軍のために戦いましょう。
私をすぐに信じろとは言いません。命を預けろとも言いません。
まずは共に同じ道を駆け抜けることが始めましょう」
「務めは……果たすさ。この現実に住む者として、最低限の……」
マルガリーテの大仰な言動に対し、ヴィクトルの反応はひどく薄かった。
それをフュリアが冷めた眼差しで見ていた。
そこで遅れてキョウが部屋に入ってきた。
「……ええと、あれ?」
やってきた彼女は、その場にいるヴィクトルの姿を見て、目をぱちくりとさせ、
「マルガリーテさん、もしかして……その方が五人目の隊員なんですか?」
「……はい、そうですわ。まぁ少し奇矯な方ですが」
「なるほど、ええと、そうかぁ……うーん、その、すごい偶然ですね」
キョウが言葉を漏らすと、ヴィクトルもまた顔を上げ「……君は」と小さく漏らした。
マルガリーテは当惑するように、
「お二方、お知り合いなのですか?」
「え? あ、いや、それほどの者でもないというか」
「ファンだ」
ヴィクトルがぼそりと漏らした。
「俺はそこの彼女のファンだ……そう、それで間違いない、翼人のサルーサよ」
「ええと、また改まって言われると恥ずかしくなってきます!」
「何だい、この隊は不殺剣士の知り合いしかいないのかい」
顔を俯かせたままのヴィクトルや何故か頬を紅潮させるキョウ、呆れたようなフュリア。
それぞれバラバラの反応を見せる隊員たちに、マルガリーテは微笑みを浮かべつつ、内心では思わず溜息を吐きたい気分だった。
思えばニケアの鶴の一声で編成されたこの隊が、まともになる筈もなかった。
──この隊の隊長が、私。
その事実に前途多難なものを思いつつも、この場にて一言も発していない隊員に声をかけた。
「同志クリスティアーネ、貴方と共に戦えることも光栄ですわ」
優雅に気品を持って、それでいて親しみやすく、百万回は練習した気がする微笑と共に、マルガリーテは声をかけた。
すると、クリスは「ふっ」と笑って、
「ほんと、コネで成り上がったお姉ちゃんの舌は良く回るわ。愛想笑いだけは得意だもんね、レベル2の“量産型”は」
──隊長は、私。
こちらを子馬鹿にするように見るクリスに対し、マルガリーテは笑みを崩さず、ただその事実を反芻した。