113_父と母
到着後、キョウはしばらく食客用の個室を与えられ、そこで過ごすことになった。
与えられた部屋はそう広いものではなかったが、清潔な寝台が用意されており、それだけで雪の旅路を踏破したキョウには十分過ぎた。
そこに滞在しつつ、マルガリーテの言葉に従い、キョウは聖女の帰還を待っていた。
話によると、聖女ニケアが最前線からこの本営に帰還する周期はかなり気まぐれなものらしかった。
思う存分聖女の力を発揮したのち、ふらっと戻ってくる。
それだけにタイミングは掴めないが、基本的に、そう長い間本営を空にすることはない、ということでもあった。
基本的に、という部分がキョウは気になりはしたが、とにもかくにも聖女の帰還を待つことになった。
「……はん、良い部屋じゃないか。外様の兵士用の部屋なんか、ぎゅうぎゅう詰めでロクでもないよ」
この本営は、かつてのこの地にあった神殿を再利用したものであり、それゆえ内部構造も独特の意匠になっている。
キョウに与えられた部屋は、マルガリーテのとりはからいもあり、復元度の高い上層の一室だ。
ちなみにホワイトはまた別の部屋に通されている。劇団のスタアである彼女は、また別の待遇なのだろう。
「しかしアンタも一体どうやったんだい? あの高飛車無血女のマルガリーテが、アンタには妙に甘々じゃないか」
「いえ、私は……」
キョウが曖昧に笑うと、当のフュリアは「ふん」と威嚇するように頷いた。
妙にトゲトゲした態度だが以前会った時もこのような感じだったし、不機嫌という訳ではなく、彼女は素でこうなのだろう。
キョウは滞在中、しばらくやることがない立場にあった。
一応客分扱いではあるが、聖女軍に何も縁がない身では、立ち入ることのできる場所にも限りがある。
到着して数日は、ひとまず旅の疲れを取るための休息に充てたが、それを超えるとぼんやりとした時間が来てしまった。
とりあえず部屋で剣の稽古などはやっているが、座りの悪い空白の時間であることも間違いなかった。
と、それを見計らったように、フュリアがこの部屋にやってきた。
彼女は部屋に置かれた椅子に勝手に座り込み、キョウに適当な会話を振っている。
「同志マルガリーテ。聖女ニケアの幼馴染とか、グランウィングの一人娘とか、聖別実験の初の成功例とか、いろいろ肩書きがあるけど、私は好きになれないよ」
「フュリアさんが好きなのは、父上だけじゃないですか」
「うん、まぁそうだね。よくわかってるじゃないか不殺剣士」
フュリアはそこで初めて笑みを見せた。
傭兵に近い立ち回りをしているフュリアたち“子ども”は、聖女軍からの要請がない限り戦力にも組み込まれておらず、ある意味でキョウと似た立場なのだという。
もしかすると、彼女も暇なのかもしれなかった。
「……あのフュリアさん、ゲオルクさんは?」
ゲオルクD33。
フュリアの父上であり、“ファミリア”の“親”である彼のことを、キョウはよく知らない。
直接話したことはないし、ギルドにおいてどういう立場なのかも、把握していなかった。
とはいえフュリアと彼があの“雨の街”を共に後にしたことは知っていた。
だが見る限り、彼はこの本営にはいないようだった。
「父上はまだ療養中さ。まだ足が直ってないからね」
尋ねるとフュリアはさらりと言った。「奇蹟の後遺症さ」と。
「それは……」
「あの“理想”の聖女サマの力がまだ抜けきっていないからね。
だから“子”が面倒みつつ、こうして私が出稼ぎに来てるんだ」
“理想”のアマネによって、ゲオルクの身体は大きな変調を起こしていた。
早い段階で抜け出したとはいえ、それは未だ完全に拭い去ることはできないのだという。
「ま、父上への大きな貸しさ。いずれは私を母にしてもらわないとね」
フュリアはそこで笑みを消して、
「そっちこそ、あの小うるさい霊鳥はいないのかい?」
「……リューは、その」
質問される番になったキョウは言葉に詰まる。
マルガリーテのことも含めて、何と言ったものか、うまく整理できなかった。
霊鳥のリューのことは、あの“たまご”で決着をつけた。
共にいてくれたことへの、自分なりの返礼もしたつもりだった。
それでも、たまにいないはずの彼へと話しかけてしまう。
ふとした隙に、自分の右肩へと視線を送ってしまう。
だが、その先には誰もいないし、誰も応えてはくれない。
そう煩悶していると──出てしまった。
「あ」とキョウは声を漏らす。
「うお、なんか出た」
飛び散る燐光。彼女の背中には蒼白の翼が広がっていた。
フュリアが目を丸くしている。対するキョウは頬を紅潮させながら、恥ずかし気に「ごめんなさい」と言って翼を戻した。
リューがくれたこの翼は、基本的にはキョウが任意で出し入れすることができるのだが、感情が高ぶると勝手に出てしまう。
劇団にいるときにコントロールする訓練をかなり積んだのだが、それでもたまにこう、出てしまうのだった。
「……ま、アンタにも色々あるんだろう。いいよ、別に詮索する気はない」
キョウの反応をどう受け取ったか、フュリアはそう軽く呟いた。
「何にせよ親がいないんだ。自分たちでどうにかするしかないだろう?」
「……ええ」
キョウが小さく頷くと、フュリアはそこで真面目な口調になって、
「アンタが何でここに来たのかはわかんなかったけど、正直ね、これはチャンスだと思ったよ、私は」
「え?」
「私がこの聖女軍までわざわざ出稼ぎにきた理由を教えてあげるよ。そして恐らくこれは、アンタにしか伝わらない理由だ」
そしてフュリアはその名を口にした。
タイボ。
と。
「タイボ。この聖女軍で、聖女ニケア様の御付きをやってる呪術師は、そんな名前をしているらしいよ。
──きっと聖女に会ったら、隣にいるだろうね」
フュリアがその存在を告げた、まさにその日、キョウは戻ってきた聖女に会う機会を得られた。