112_摩天楼あるいは神殿
「……本当に何もかも消えていますね」
雪降り積もる廃墟の上より、ハイネは戦場にぽっかりとできた空洞を見下ろしていた。
灰色のカソックが揺れる。まっさらになった大地に、雪は静かに振り続けていた。
この戦場は“春”の巫女たちが、数世紀前に築いた神殿が乱立している。
だが、T3と呼ばれるそのエリアに存在した神殿は根こそぎ消滅していた。
その結果として、不自然な空白が戦場に現れていたのだった。
数日前に“教会”の偽剣隊が消息を絶ったエリアであったが、彼らがいかなる末路を辿ったかは明らかであった。
「間違いない、聖女です」
「これが、か」
「剣を全力で薙いだのでしょうね。聖女ニケアに出てこられては、こちらの立てた作戦など、すべて叩き潰されます」
「…………」
「ただこれだけの出力で聖女の力を使えば、さしもの彼女もしばらくは出てこれない。
その間に軍を進めるしかないでしょう。この戦場において、聖女とは嵐のようなものです」
「嵐……いや、これはそれ以上の──」
ハイネの隣で、田中は声を漏らす。
抉り取られた破壊の跡を目の当たりにしつつ、田中は頭を抑えた。
それはこの聖女が持つ火力への衝撃であると同時に、この場所すべての奇妙さに対する戸惑いでもあった。
剣の仮面で隠されてはいるが、その実彼は、この戦場に対して明確な驚きを示していた。
聖女戦線。
ここでは第一聖女率いる聖女軍と、“教会”が百年近くに渡って熾烈な戦いを繰り広げているのだという。
この聖女がこの地に現れ、当時残っていた反王朝勢力を結びついたことで、“教会”の“聖女狩り”は幕を上げた。
最強の聖女にして、闘いのはじまりとなった聖女と言えた。
そして、長きに渡った闘いを終わらせるために、ハイネは異端審問官全員を投入した作戦を提案し──承諾された。
1《アイン》と10《ツェーン》に率いられる形で、田中たち“十一席”はこの地を訪れることとなっていた。
だが、その結果として田中は奇妙な光景を目の当たりにする。
言語船に揺られ、田中はこの地を踏みしめた。
そこに広がっていたのは──あまりにも見覚えのある光景だった。
「……頭がおかしくなりそうだ」
田中は猿の惑星という映画のこと思い出していた。
この地に立ち並ぶ神殿はこう形容するしかなかった。
──まるで現実じゃないか。
と。
数世紀前に建造されたという“神殿”は、どう見ても現実の街並みを模したものなのであった。
こうして踏みつけている廃墟も、元はガラス張りのビルだったようだ。
遠目に見える摩天楼や、舗装されたアスファルトなど、強烈な既視感を喚起するものばかりなのだった。
何かの間違いかと思ったが、しかしこうして直に見ればもはや否定できない。
だが何故ここにこんな街があり、戦場となっているのか、それは理解できなかった。
弥生の小説の記憶を必死に思い出そうとするが、このような設定には覚えがなかった。
そして何より恐ろしいのは──
「よっ、少年たち」
まとまらない思考を中断したのは、快活な口調の声だった。
もはや振り返るまでもなく誰が発したのかはわかった田中は「カーバンクル」と呼んだ。
「……ここ、なんだ?」
「戦場だよ。忌まわしい記憶が染みついたね」
カーバンクルは、田中の心情を知ってか知らずか煙に巻くような返しをした。
そして仮面を取り不敵な笑みを見せながら、田中の隣に立つハイネの髪をぐしゃぐしゃとかきわけた。
「わっ、やめてくださいよ、1《アイン》さん」
「いやぁ! 久々だな、ハイネ。何時ぶりだ? 前回の第二聖女攻略戦の時には、もうこっちに張り付いていたよな?」
「正式に任務に同行するのは、下手をすると数年前の第六聖女まで遡るかもしれませんが……」
「そうかそうか。君と仕事をするとサボれるからいいんだけどなぁ!」
楽し気な口調でカーバンクルは笑う。その手はなおも端正な顔立ちのハイネの頭を撫でまわしている。
その様子を田中は困惑したように眺めていると、
「おや、田中君? 妬いたかい? 私がハイネにばっかり構っているから」
「……どうでもいい」
「安心しなよ、田中君。今回も基本は私と隊を組んでもらうことになるからさ。あとで何時ものように撫でてあげる」
カーバンクルのくだらない冗談に田中は仮面の下で苦笑するが、ハイネがカーバンクルの手を跳ね除けて、
「あ! ずるいですよ、1《アイン》さん。僕こそ8《アハト》さんに構ってほしかったんですよ?」
口を尖らせて彼はそんなことを言うのだった。
「僕は貴方のことが気になるんですよ。“十一席”の精鋭である貴方のことが」
「そんなものでもないさ」
「謙遜はやめてくださいよ。そういうことされると、僕が傷ついてしまいます」
彼もまた仮面を取り、にこやかな顔をしてそんなことを言うのだった。
「おや、ハイネ君に好かれているな、田中君。一体どんな手を使ったんだい? この美少年をたぶらかすなんて」
「ええ、それはもう、クールにキメてくれましたよ、僕にね」
「いやいや、ハイネ、君は知らないだろうが、ああ見えて最近の田中君は結構フランクになってるんだぜ。例えばこの前なんか……」
楽し気にあることないこと騒ぎ立てる二人を見て、田中は息を吐いた。
緊張感がないことだ。しかし田中はカーバンクルの腕を知っている。
たとえばここでわずかにでも物音や敵の反応があれば、即座に戦闘態勢に入るだろう。
そしてきっと、皆から一目置かれているハイネもそうするに違いない。
それがこの世界で闘うものの基本であり、生き方なのだ。
それくらいのことは、既に田中は理解していた。
とはいえ──彼らは所詮は存在しない人間でもある。
弥生が創り上げた、この虚構の一部として存在する者たち。
「…………」
そう思ったからこそ、田中は仮面を取らなかったし、あえて会話には乗らなかった。
無論、彼らを無暗に拒絶もしない。
とにかく今は“十一席”の一員として、任務を果たすべきだろう。
この現実の残骸の意味は、同時に考えていけばいい。
その先にはきっと聖女が──弥生と同じ顔の少女がいる。
ふと思う。
彼女ら聖女もまた、もしかするとこの都市と同じ、現実の残骸なのではないか、と。