11_ステップ・バイ・ステップ
ひゅうひゅうと風が吹いていた。
昨日までの“閉じた”世界にあったこの城は、ひどく静かな場所であった。
しかし今では外のくだらない世界と連結され、寒々しい厭な風が流れ込んでいる。
「外壁を強引に突破するとはねえ」
壁に空いた大穴を見上げてカーバンクルは感心するように言った。
朽ちていたとはいえこの城はクーゼル王朝時代の建築物だ。
人類時代の黄金時代と呼ばれる時期のものの産物。その歴史的価値はわからないが、堅牢さは折り紙付きのはずだ。
「フィジカル・ブラスターにしてはしょっぱい威力だけど、一体何を使っているのかな」
カーバンクルは挑発するような声色で、周りを取り囲む異様な集団に語り掛けた。
彼らは全身をすっぽりと覆うような戦闘服に身を包んでいる。
異形の皮を使ったと思しき伸縮性のある生地は魔術対策か。
当然その表情もうかがえない。
目の部分には単眼式のゴーグルが据えられており、ぼう、と妖しく光っていた。
彼らは等しく剣をその手に持っている。
その太く厚い刃は一見して頑丈そうに見えるが、刀身の色彩は濁った青色で、錆びついたように茶色かかっていた。
おそらくはこのあたりを根城にしていた盗賊だろう。
統一された行動を見る限り、どこぞのギルドの連中か。
「聖女さまの城にお宝があるとでも思ったのやら。とんでもない勘違いだ、何もない城なのに」
カーバンクルの軽口に反応はなかった。
ただ敵の一人の単眼式ゴーグルが、ガチリ、と稼働させた。
途端、その刀身に青い炎が上がる。押し寄せる熱気が風を通って伝わってくる。
そして炎とともに敵はカーバンクルへと襲い掛かった。
――『ウイッカ』か。かつての“春”軍の流出品、という訳でもなさそうだけど。
一瞬、彼女の脳裏を分析が駆け巡る。
「ひどい劣化品だこと、その偽剣」
カーバンクルは言いながら偽剣 《ソードレプリカ》『リヘリオン』を抜いていた。
夜を煮詰めたかのような純度の高い漆黒の刀身が、顔を出した。
「こちらは模倣品だ。一緒にしないでほしいわね」
途端、襲い掛かってきた敵は、真っ二つになっていた。
勢いのまま斬り裂かれた結果、上半身だけが軽やかに空を飛ぶ。
残された下半身からは割れた風船のような勢いで血が湧き出ていた。
「こんな時代だ。文句はないでしょう?」
カーバンクルは獰猛に笑って言った。
今しがた斬り伏せた相手のことなど、一切振り返ることはない。
◇
戦闘服の集団は、田中の目の前にもやってきていた。
城の中を一人歩いていた彼は、当然のように偽剣使いに発見されることとなった。
抜き身の剣をもって徘徊している田中を警戒したのか、彼らは偽剣『ウイッカ』をそれぞれ構え、何時でも切りかかれるような態勢を取る。
「……おかしいな」
そうして総勢四人の武装した敵に取り囲まれた田中であったが、しかし顔を上げることはなかった。
「おかしい。こんなことはない。だって、変な話じゃないか」
彼は顔を俯かせたまま、ぶつぶつと何やら呟いていた。
決して敵に語りかけるような口調ではない。彼は不明瞭な言葉を自分自身に言い聞かせている。
気が触れたのか。
取り囲む偽剣使いたちは、田中の様子を見てそう判断した。
この時代、こうした手合いの人間はさして珍しくない。
ましてやここは聖女の居城だった場所である。彼女らに当たられた狂人がいたとしても、おかしくはなかった。
「フュリア、後ろを頼む」
そう判断した偽剣使いの一人は、後ろに立つ味方に対してそう告げ、一歩前に出た。
稼ぎ場をうろちょろとする狂人など本来は無視したいところだが、
その手には偽剣が握られ、極めつけに“教会”のカソックを身にまとっている。
どんな横やりが入るのかわからない以上は排除する。
彼がそう考えたのも無理からぬことだった。
「父上、対象を排除する」
そして彼は決して油断していた訳ではなかった。
腐っても模倣品と思しき偽剣の持ち主。
狂っているとしても、いや、狂っているからこそ細心の注意を払う必要があった。
そうして彼は『ウイッカ』に青い炎をまとわせ、田中へと一撃を食らわせるべく地を蹴った。
しかし、その刀身は彼の身体を捉えることはなかった。
「これは跳躍。ああ確かに、読んだ覚えがある。
人間時代12世紀において、偽剣戦の最も基本となる動作」
田中は偽剣使いの包囲から抜け出す位置に、何時のまにか立っていた。
放たれた刃を避けた、という訳ではない。
ジャンプしたとか、駆け抜けたとか、そうした一切の予備動作なく、立ち位置が変わっていた。
「ひらたく行ってしまえば、極々短距離でのワープであり、高速移動ではなく瞬間移動」
田中は平坦な口調っで自分に言い聞かせるように呟いている。
それを見た偽剣使いたちは、決して驚くことはなかった。
冷静に、剣を構える。ガチリ、と単眼式のゴーグルが動いた。
そして次の瞬間――田中と同じく彼らもまた跳躍していた。
再び田中を取り囲むように出現する四人の剣士。
その所作は慣れたもので、出現のタイミング・位置ともに隙のないものであった。
「そう跳躍は白兵戦における基本。
ほぼすべての偽剣には、この瞬間移動が搭載されている」
だが、包囲が完成する一瞬前には、田中もまた次なる跳躍を終えている。
それを確認した瞬間には、再び両者ともに跳躍へと移る。
「……故に偽剣戦の基本は、跳躍の読み合いにある」
跳躍、跳躍、跳躍、跳躍、跳躍。
戦闘服の偽剣使いたちは獲物を追い、対する田中は自らの動きを確かめるように跳躍を繰り返す。
次々と瞬間移動を行われ、目まぐるしく立ち位置が変化する。
ダ、ダ、ダ、と空を切る鈍い音が跳躍のたびに走った。
リズムよく刻まれるその音は、しかし意外なほど速く止まることとなった。
幾度かの跳躍の応酬の末、不安定な足場に移動した者がいた。
足を取られた彼はほんの一瞬、足を止めた。
そしてその一瞬の間に、彼にとっての敵――田中が眼前に現れていた
「そう確かに、そんなことが、弥生さんの小説には書いてあった」
ロイの手によって彼の首は跳ね飛ばされ、血の雨が朽ちた城に再度降ることとなった。
そして返り血が届くよりも早く跳躍したロイは、次なる獲物を求めて偽剣『イヴィーネイル』を振り上げた。
◇
「父上、どうにもダメだ」
「敵が強すぎるよ」
「しかも収穫隊の方からもロクな報告を聞かない。ここは本当に廃墟だ」
「実入りが少ないのに加えて、トンデモない奴が陣取っていたよ」
「大損。帰った方がいいと思う、父上」
カーバンクルを前にした敵たちは、くぐもった声で何やら会話を交わしている。
戦闘服のせいで顔は見えないし、口調も妙に感情が薄いが、その口ぶりから逼迫した報告を司令官に送っているということは伝わってきた。
まぁ無理もないだろう。カーバンクルは、ニィ、と口端を吊り上げる。
彼女の目の前には、解体された赤い肉塊の山が積み重なっていた。
彼女が屠った敵であった。取り囲まれた状況から、襲い掛かってくる者を斬っては捨て、斬っては捨て、と黙々と処理した結果だった。
「君たち、練度はそこそこだけど、勝とうという気力が薄いわね。あと身体ができていない」
腕を組んで諭すようにカーバンクルは言った。
途端、三人の偽剣使いが跳躍してくる。
一瞬で包囲される仮面の異端審問官。だがカーバンクルはそれを確認したのち、次なる跳躍へと移っていた。
そしてそれが当然のように、敵の反応速度を超えている。
彼らが剣を振り上げたころには、すでにその背中にカーバンクルがいるのだ。
それは絶対的なまでの偽剣の性能差であった。
同じ跳躍が可能だったとしても、その距離・反応には大きな差がある。
カーバンクルの操る『リヘリオン』に、どうしても彼らの『ウイッカ』は着いていくことができない。
それ故に、圧倒的な数の差があろうとも、カーバンクルを捉えることができないのだった。
「しかも剣の腕でも、私の方が上手」
言いながら、カーバンクルは一人の敵の背中に偽剣を突き刺す。
厭な音を立てながら肉がはじけ飛ぶ。そうして命がまた喪われる――のだが。
「……あら」
敵は、胸から突き出た剣を、その両腕でガッチリと掴んで見せた。
その掌からおびたたびしいほどの血が流れ出る。
その痛みたるや想像もできないが、異様な握力をもってカーバンクルの剣を“止め”ていた。
そしてそこに残り二人の偽剣使いが襲い掛かってくる。
ガチリと動くゴーグル。『ウイッカ』の刀身が青い炎を纏った。
――一人を捨て駒にした特攻攻撃。まぁ、格上の相手を落とすならこれぐらいしかないか。
上から二番目程度には良い策かもしれない。
父上とか言われていた司令官の作戦か。
カーバンクルは敵の内実をそう分析する。
ちなみにこの場合に敵が取りうる最良の一手は即時撤退に他ならない。
敵の決死の行動で動かなくなった『リヘリオン』に刻まれた言語を、彼女は読み上げる。
意識を伝わって発露される幻想の奔流。かつての神話の奇蹟が、剣を介してこの現実に“描写”されるのだ。
漆黒の刃に、きらり、と一瞬だけ色彩が表れた。
それは色鮮やかな紅であった。
濁った血の色ではない。苛烈なる陽の色でもない。
刃、美しくも気高く散っていく花々の色、紅を灯した。
瞬きする間もない僅かな紅の発露。
それだけで十分であった。一瞬で、その刃に縋る無粋な肉の塊を蒸発させていた。
カーバンクルは、哄笑を挙げながら跳躍。
……再び彼女が表れたときには、加えて二つほど首が跳ね飛んでいた。
ぼと、ぼと、とどこか間抜けな音を立てて倒れていく死体を尻目に、カーバンクルは他の敵を見る。
戦闘服を来た集団はすでに撤退の構えを見せていた。
彼女に襲い掛かってきた部隊はもちろん、ほかで何やら探していた奴らもすごすごと帰っていくのが見えた。
「撤退は正解。
というか今さっきの特攻は私を抑えるための殿という側面もあったのね」
納得するようにカーバンクルは言った。
特攻はダメ元でとりあえず、という指示だろう。
父上という司令官は、それなりに正しい判断をしていた訳だ。
まぁここで彼らと戦っても何らメリットはない以上、元より彼女に追撃の意志はなかったのだが。
ともかく撃退には成功。これで残る問題はあと一つだった。
「……少年の方は、何人ヤっていることやら」
彼女の口ぶりには、どこか沈んだような、自嘲的な響きが籠っていた。




