108_ハイネ
第六聖女、討伐。
個体名エリスは“さかしまの城”に籠っていたが、これを1《アイン》と8《アハト》が討伐した。
“さかしまの城”の広がりによって、この世界すべてが呑み込まれる懸念すらあったが、事前に手を打つことができたと言えるだろう。
その際、一名欠員が出たが、無事補充。
第五聖女、討伐。
個体名アマネは“雨の街”にて独自の言語を構築し、聖女の力を循環させ、疑似的な永久機関と化していた。
アマネ自体は1《アイン》と8《アハト》が討伐するも、この街を創り上げていたタイボと名乗る呪術師は取り逃すことになる。
状況からして、この呪術師が第六聖女の“さかしまの城”構築にも関わっていたと見える。
第二聖女、討伐。
旧世代の迷宮である“たまご”を拠点にしていた個体を、派遣したの偽剣隊が討伐してみせた。
その際、6《ゼクス》の戦死が確認される。彼の欠員補充は未だなされていない。
第四聖女は──
「……離反者・戦死者を出した上に、討伐は間に合わず。
失敗、と言わざるを得ないな」
十一の席が並ぶ、真っ白な部屋。
“冬”の塔の上層に位置する、異端審問官の拠点であった。
十一の席のうち、大半は空席になっている。
1《アイン》ことカーバンクルは中央への報告があるということで、招集には応じなかった。
3《ドライ》や9《ノイン》もまた、別の任務で既に塔を後にしている。
中盤の席──5《シュンフ》、6《ゼクス》、7《ジーベン》に座るべき人間は、現在喪われている。
空席は未だ埋まることない。
だから、その場にいるのは三人だけだった。
「幸い、離反者であった5《シュンフ》の死亡も確認された。
その場にいた反“教会”勢力もあらかた殲滅できたので、最低限の処理はできたと言ってもいいだろう」
中央にて10《ツェーン》が言語が浮かぶ水晶を制御している。
彼女は平坦な口調で状況を語りつつ、温度の感じられない視線を席に座る二人へと向けていた。
正確に言えば、11《エルフ》にあたる席に仮面を被った者が佇んでいるのだが、それには誰にも目を向けることはない。いないものとして扱われていた。
一人は4《フィア》。
小柄な少女である彼女は、居心地悪そうに席に縮こまっていた。
きっと出るんじゃなかった。そんな想いが顔には浮かんでいた。
そしてもう一人が、10《ツェーン》の薄紅色の瞳を真正面から受け止めているのが、8《アハト》である田中であった。
「…………」
田中は、何も言わず、かといって顔を背けることもなく、10《ツェーン》と向き合っている。
第四聖女の討伐は失敗した。
それはどうしようもないほどに事実であった。
あの時、海に竜と共に佇む聖女を前にして、田中の剣は届かなかった。
今思い返せば、決して届かない距離ではなかった。
敵は最弱の聖女。剣を持って駆けよれば、討ち果たすことも可能だったはずだった。
しかし、それはできなかった。
明確に、拒絶されたのだ。
死を受け入れていた他の聖女と違い、四番目の聖女は、明確な意思を持って田中を拒絶した。
その事実が、剣を鈍らせた。足を止めさせた。
そう、田中は解釈をしている。
「第四聖女は、報告によれば、海を通って“果て”へと回帰したとのことだな」
この世界における海とは、人が住まう地の外側に延々と広がる幻想の集積なのだという。
海を進み続け、最後に行きつく場所が“果て”と呼ばれる四極である。
“春”“夏”“秋”“冬”。
四極の“果て”から幻想は生まれ、そして還っていく。
その循環に、聖女は身を投げたというのだった。
「過去の例を見ても、このような形で自殺を図った聖女はいない。
通常なら、死を経ても“転生”して、新たな第四聖女が生まれるのだろうが、どのような形になるのか、魔術師たちも意見が別れている」
田中は、ぐっ、とその拳を握りしめる。
その手首には鞘と呼ばれる腕輪が装着されている。
『エリス』『アマネ』『ミオ』、三人分の言語は手に入れた。
しかし第四聖女を言語は手に入れることができなかった。
もし仮に、永遠に第四聖女が喪われたとなると、田中の望む唯一の願いもまた、潰えることになる。
そもそもすべての聖女の言語を集めれば、桜見弥生という存在を、再び現実にすることができるというのも、いうなれば敵から告げられたこと。
元よりか細い糸だったものが、さらに遠くにいってしまったかのようだった。
田中の表情をどう解釈したのか、10《ツェーン》は薄く笑ったように、見えた。
見間違えかもしれなかったが、その仮面のような表情に、わずかながらに変化があったように思う。
しかし彼女はそれを口に出すことはなく、代わりに
「しかし、今回は私にも落ち度はあるよ──8《アハト》」
そう告げた。
「私が先行部隊として7《ジーベン》と5《シュンフ》を選んだのは、明確にミスだ。
5《シュンフ》、アルノ・トゥイスターには以前から情緒不安定な要素が散見されていた。
今回の件では、直接的な失敗の原因は、彼女の不安定さを見抜けなかった私にあるとも言える」
相変わらず淡々と、10《ツェーン》は告げた。
その姿を見たとき、田中の中の深い部分が軋む感覚を覚えた。
見たくもない姿だ。そう強く知らない誰かが告げるのだった。
その苦しみを察したのか、10《ツェーン》は今度こそ──
「そして、8《アハト》。貴方が前任者とは違う、ということを失念していた私のミスでもあるな」
──笑った、のだと思う。
暗く、なじるような笑みを、彼女は、8《アハト》の席に座る田中に対して向けたのだ。
無論、それは一瞬のことだった。
すぐに笑みは消えた。ただその薄紅色の瞳で、田中をじっと見据えているのだった。
4《フィア》が隣で、固まっているのが見えた。
同時に標的が自分でないことに安心しているのか、ぎこちない笑みを浮かべている。
「……いやはや、相変わらずキツイなぁ。10《ツェーン》さん」
そんな場に、よく通る声が響いた。
「失敗した部下に謝る機会すら与えないとか、ダメですよ、そういうのは異端審問官には似合いませんって」
ふらりと立ち現われた彼は、柔和な笑みを浮かべつつ、鷹揚に言葉を続ける。
身に纏う灰色のカソックと、手首に巻かれた鞘が彼がいかなる存在であるかを言外に示していた。
一方で、澄んだ瞳やすっと通った鼻筋には、凛々しさと精悍さが同居しており、言ってしまえば異端審問官らしくない“爽やかさ”のようなものが漂っている。
齢も今まで見た中でもかなり若い方で、4《フィア》よりは少し上といったところだろうか。
「ハイネか、戻ってきていたのか」
「ええ、会いたい人がこちらにいるとのことなので」
ハイネと呼ばれた美少年は、そう落ち着いた口調で言葉を返し、自らの席に座り込んだ。
その位置は、2《ツヴァイ》と呼ばれる者が座るべき場所だった。
「ええと、初めまして、ですよね。新しい8《アハト》さん」
ハイネは微笑みながら、田中へと手を上げた。
「僕はハイネ。異端審問官“十一席”の2《ツヴァイ》になります。
今後とも、よろしくお願いいたします」
……彼こそが、残りのメンバーの中で唯一田中と面識のなかった異端審問官だった。