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虚構転生//  作者: ゼップ
炎と海のトリエ
106/243

106_海


海をずっと歩いていくと、何時か、この世界の“果て”にまで辿り着くのだという。

“果て”に行きついたとき、人はその役割を終え、還るべきところに還る。

そう、どこかの物語が言っていた気がする。


「……なんで、今まで姿を見せてくれなかったの?」


ぴちゃ、ぴちゃ、とゆっくりと足を進めながら、隣に寄り添うように佇む竜のアランへと問いかけた。


「私、てっきり貴方のこと、自分で創った妄想だと思ってた」


……竜のアランの声が聞こえたのは、何時だっただろうか。

今から五・六年前、商人からまた別の商人へ、囲われるように身を移した時だったと思う。

一人ぼっちで、物語を読んでいたときに、不意にこの声は聞こえるようになったのだ。

寂しい時には彼の声が聞こえた。

トリエは、どうやらそれが自分にしか聞こえないものだと気づきながら、共に過ごしてきた。


「もっと早く言ってくれればよかったのに」


トリエが頬を膨らませて言うと、アランは変わらず意地悪な口調で、


「見せなかったのではない。見せられなかったのだ」

「え?」

「知っての通り、竜は既に滅んだ存在だ。

 特に我のような存在していたのか、いなかったのか、

 曖昧な個体は物質的なカタチを保つことは難しい。

 それこそ、海のような、濃い幻想リソースに満ち溢れた場所でもない限りな」

「ああ、だから貴方、海に行きたがってたの……」


トリエは合点が行ったように頷いた。

竜のアランが妙に海に行きたがってた理由。

それはただ──トリエとこうして会うためだったのだ。


「ふふふ、まぁ、それも相当に無理をしてのことだがな。

 事実、我の身は既に霧散しつつある。調子に乗って神話時代の力を使うからだな」


トリエはそう言うアランの身体を見上げた。

アランの身体は白銀の身体は、どこか透き通っていて、白銀に夜空の色彩が混ざっていた。

その姿を見て、トリエはしばし口を噤んだのち、そっとのその身に触れた。

白銀の身体は、予想に反して柔らかかった。

そこに固い鱗はなく、雲をつかむようなふわふわとした奇妙な感触がそこにあった。


「やっと、触れ合えたな」

「変態さん。私に触ってほしかったのね」

「む、違うぞ。我は」

「いいの、私も、貴方に触れたかったから」

「…………」

「今まで、一緒にいてくれたんだものね」


そう言いながら、トリエとアランは足を進めていく。

トリエは小柄な身体に、もう一人少女を背負っているのだから、どうしてもその足取りはゆっくりとしたものになる。

だが、それでよかった。

今はこうして、夜空の中、こうして歩き続けることの価値を噛みしめていたかった。


「ねぇ」

「なんだ?」

「なんで私なんかに、ずっとついて回ってたの?

 カタチが喪われていても、貴方、おとぎ話の竜なんでしょ?」

「ふふふ……おとぎ話に出れるほど、高尚な竜でもない」


竜のアランは「そうだな」と小さく繋いで、


「実はな、これは再会でもあったのだよ?」

「再会?」

「ああ、お前はもう忘れているだろうが、我はお前にまた会いたかった。それだけだ」


トリエは背負っている少女のことを想った。


「……違うよ。私は、その聖女とは」


それはきっと自分以外の誰かだ。

たとえ姿かたちが似ているとしても、その身に宿した奇蹟が同じだったとしても、同じにはなれないし、なりたくもなかった。

そう伝えると、アランは頷いて、


「そうだな、我の知るあ奴は、もっと気高く、超然としていた」

「……がっかりした?」

「驚きはした」

「その人の方がよかった?」

「ふっ……どうだろうな」

「…………」

「前に会った聖女──七番目とか名乗っていたか──に我は命を与えられた。

 存在として己を確立できず、架空の海に溶けようとした我に、あ奴に名を与えたのだ」

「それが、アランなのね」

「いいや、違うぞ」

「え?」

「その時に着けられた名前は、別のものだ。

 もっと厳かで、重みのある響きを持った、格式ある名前だったのだぞ。

 だが、それを伝えたところで、幼い日のお前は覚えることができなかった」

「あーまぁ、私、物質言語以外はからきしだったし」

「だから仕方なく、発音しやすい名を教えてたのだ」

「それが、アラン?」

「そうだ。だから、この名はお主のものだよ、トリエ」


そう言われて、トリエは顔を俯かせた。

荒野は既に砂浜に変わっている。薄い水面が延々と続く、海の入り口だった。

それを見ながら、トリエは、どういう訳か己の身が熱くなっていることに気づいた。


「変なの」

「ん?」

「だって私、貴方がもう一度会いたいと思った聖女様じゃなかったんだよ?

 なのに、なんで私とずっといたの?」

「そうさな……何故だろうな」

「はぐらかさないでよ」


最後なんだから、とトリエは口を尖らせて言った。


「ふむ、わからぬ。正直最初は失望もしたのだが……」

「だが?」

「他に居場所もなくてな。それに竜の時間の流れはお前たちと比べて早い。

 どうしたものかと思っているうちに、ここまで来てしまった」

「……それでよかったの?」

「よかったさ。善きものであるに、決まっている」


その言葉には確信の響きがあった。

裏も表もない。一切の迷いを感じさせない言葉に、トリエは小さくうなずいた。


その時、背中から「うん……」という声が聞こえた。

5《シュンフ》。

そう名乗り、呼ばれていた彼女を、トリエはあの場所に置いていくことができなかった。


抱きかかえられてばかりだった彼女を、今度はトリエが背負っているのだから不思議なものだ。

ただ歩くたびに、彼女の身は軽くなっていくように感じる。

非力なトリエの身で、簡単に背負えるほどに。

きっともう──


「……姉、さん」


耳元で、彼女は囁いた。


「あたし、ね。姉さんのこと、嫌いだったの」

「うん」

「飛べないのに、みんなから好かれて、愛されている姉さんが、実はずっと嫌いだった」


それはきっと、誰に向けた言葉でもないだろう。

彼女にはもう何も見えてない。既に濃い幻想リソースの中、そのカタチを喪おうとしている。


「だから、あの時も、たぶん捕まったんじゃないの。

 自分から、ちょっと嫌がらせしようかなとか思って、外の人たちに会いにいった」

「うん」

「でも、そしたら、そしたら……あんなことになった」


炎の日。

彼女がたびたび口にしていた言葉。

そして彼女が語った最後の物語と、実際に現実の間にあった差異。

それはきっと、彼女が生きていくにあたって、吐かなくてはいけなかった嘘であり、創らなくてはならなかった物語なのだ。


「それをずっと謝りたくて……でもできなくて、だから……せめて、また会いたくて……」


妹のアルノは、決してお姉さんが大好きではなかった。

だけどきっと──それは、憎しみとか妬みとか、そういうどうしようもないものでもなかった。

決着をつけられないまま残った想いと、必死に戦いながら、彼女は生きてきたのだろう。


「……ごめんなさい、姉さん」


だけど、そんな終わることのできない想いも、ここで最後になる。

彼女の身体はみるみるうちに軽くなっていく。

幻想リソースに包まれ、きらめきと共に、その身は溶けている。


「私は、貴方のお姉さんじゃないよ。それは、貴方の物語での話」


それを聞いた、トリエは別れの言葉を告げた。


「でも、私、貴方のこと、好きだった。

 ありがとう──物語を読んでくれて」


そして名前を呼ぶ。「アルノさん」と。

かつてどこかの姉が呼んだように「アルノ」と気さくに呼ぶことはできない。

ただ5《シュンフ》という、仮面の名よりは、近い感じで呼びたかった。

だから、トリエはそう呼ぶことにした。


「────」


返事はなかった。

もう一度呼ぶ。「アルノさん」と。

やはり何も返ってこない。

気になって振り返った時、彼女の身体はもう消えていた。


「……行こっか」


そうして二人になったトリエと竜のアランは、またゆっくりと歩き出すことにした。


海岸は月光を受け、砂が細やかな明滅を見せていた。

そのきらめきが延々と続き、はるかな彼方の水平線を越えると、星へと姿を変える。

二つの大きな月が輝く夜の空。

濃紺の陰が優しく広がる中、無数の光たちが響き合っている。


ぴちゃ、ぴちゃ、と音がする。

それはトリエが歩みを進めている証だった。


「私ね、アルノさんなら、殺されてもいいって思ったんだ」


時折ふく生暖かい風が、髪を撫でていく。

幻想リソース交じりのそれを受け、髪が少しざらざらした。


「それか7《ジーベン》さんでもよかった。

 あの人たちのことを、私は知っている。

 どこかの誰かの物語じゃない。

 確かに過ごした、本当に私が手に入れた日々として」


僅かな時間ではあったけど、それでもあの三人と竜一匹での生活は、トリエにとって大切な思い出だった。

7《ジーベン》が嘘を吐いて始まった。

5《シュンフ》が妹のアルノの物語を隠したから、続いた。

トリエだって、竜のアランのことは、誰にも言わなかった。


思えば、何もかもが嘘だらけだった。

でもそんな日々が、どうしてか、今まで一番大切に思えたのだ。


「ねぇ、だから、私は厭なの」


ふとそこで、トリエは振り返った。


そこには、初めて会う誰かがいた。

黒い髪をした、灰色のカソックを見にまとった青年だった。

彼は何か思いつめた表情で、その剣をトリエへと向けていた。

急いでここまで折ってきたのか、息を切らしている。


「……8《アハト》っていう人?」


彼は答えなかった。

何も言わず、何も聞こうともせず、彼はトリエへと近づいてくる。

トリエを、終わらせるために。


「ロイ田中だ」


尋ねると、彼はそう名乗った。

ロイ田中。

その名を聞くと、トリエはどこかひどく懐かしい心地がした。

昔、本当に昔の話だ。

何度も読んだ絵本の一節のような、記憶の片隅に残っているもの。


「そう、でも、私は貴方のこと、知らないわ」


トリエはその感覚を噛みしめつつ、言った。


「私は貴方の知る誰かじゃない」

「……そうだ。お前は弥生じゃない」

「うん、私はヤヨイって人じゃない」


トリエ。

彼女はそう名乗った。

少しだけ、悲しそうな声になってしまった。


「貴方には、貴方なりの物語があったのかもしれない」

「…………」

「でも、私には、私の物語があって、現実があった。

 だから、ここで貴方に殺されるのだけは厭」


聖女。

自らに刻まれた奇蹟。

“転生”によって受け継がれたという言語テクスト

そんなもののために、すべてを決められるのなんて、厭だった。


トリエはそっと隣に立つ竜に触れる。

白銀の竜はすでに、その身を消え去ろうとしていた。

儚く明滅するその身は、果たして目の前の彼に見えているのか、いないのか。


7《ジーベン》がいた。5《シュンフ》、妹のアルノがいた。

竜のアランもまた、ここにいる。

トリエは彼らのことを知っている。

だからもう、ただの四番目の聖女として、彼に殺されたくはないのだった。


「じゃあね、私の知らない誰か」


そう言って、トリエはずっと隣にいてくれた竜を見上げた。

竜もまた、トリエを見下ろした。


「ねぇ、アラン。私、うれしかった。貴方が本当にいてくれて」

「……我もだ。こうして出会うことが、できて……」


二人はそう言葉を交わした。

田中がはっとして剣を構えるのが見えた。

だけどもう遅い──竜はその身を輝きに変えてトリエを抱いた。

白銀の光は、竜の最後の力すべてだった。

きらめきと共に、竜は翼となりトリエを“果て”へと誘おうとする。


──アラン


そのさなか、トリエが竜の名を呼ぶのが、海に響き渡った。

そして少女と竜は飛び去っていく。はるかかなた、すべてが還る場所へ。


──ああ、ありがとう


最後に残されたのは、どこかの物語と同じ言葉。

けれどもそれは、確かな現実の想いでもあった。


その“終わり”を目の前に、残されてしまった田中はなすすべもなく、膝をついた。









そこで任務は終了した。

帰還した田中らの報告と、事後の調査により5《シュンフ》の裏切りが発覚。

7《ジーベン》もまたそれが原因で命を落としたとされた。

近辺の反“教会”勢力自体は殲滅できたものの、

第四聖女は討伐できず、“果て”へと回帰した。


任務は──失敗だった。




海編? 第四聖女編? はここで終わりです。

次回の第一聖女編は7月末ぐらいから始めたいと思います。


(一応これで折り返しになりますので、

 合間に何か小話か設定まとめ的なの挟むかもしれませんが)

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