105_竜と猫
「君は、さっきから一体、誰と話しているんだ?」
カーバンクルがそう尋ねると、今度はヴィクトルが怪訝そうに頭を捻った
「何の話だ?」
「いや、だから君、私じゃない誰かに話しかけてるだろう? それが何なのか、ちょっと気になって」
カーバンクルとしては、それは別に駆け引きとかそういう意図はなかった。
ただここで彼を倒してしまえば、奇矯な振舞いの真意がわからなくなるから、今のうちに聞いておこうという、その程度の想いだった。
だがヴィクトルの方は、剣を振るいつつも、何やら足元の猫を見て話しかけている。
「うん? もしかして君、猫と話しているのか?」
「ふむ? 俺と牝猫のサアは一心同体だが」
困惑したように言うヴィクトルに対して、カーバンクルもまた不思議そうに、
「でもその猫、喋らないだろ?」
そう言った。
「見たところ、その猫は異物だ。
異形ではない。しかし言葉を話すことはない……という存在だと思っていたが、違うのか?」
「何を言っている? サアはこうして確かに話しているだろう? 声が聞こえないのか?」
そう彼は言い放つが、しかしカーバンクルには彼の言う“声”など聞こえない。
白い猫は「にゃおん」と鳴くばかりで、意味のある言葉は聞こえなかった。
一般的に、喋る猫、つまり猫であり人間である者は二足で歩き、それ以外は四足だと聞く。
聞きかじりの知識だったが、そのことを踏まえても、ヴィクトルの飼うサアとやら物を話すとは思えない。
「何? 声が……聞こえない?」
「ええ、ちっとも。にゃあにゃあ鳴いてはいるけど」
そういわれたヴィクトルは頭を抑え、身体をよろめかせる。
別にそうした意図はなかったが、予想外に精神的な打撃を与えることに成功したようだった。
「待て、そんなことがあるのか。サアよ、何か言ってくれ」
「…………」
「ほら! 聞こえる! 聞こえるじゃないか!」
「私には何が何やら。
君、本当にその猫が喋ったのを見たのかい?
猫が自分以外の誰かと話しているのを見たかい?
──ただ君に声が聞こえていた、だけじゃないか?」
「うるさい!」
ヴィクトルはそこで声を荒げた。
同時に“早撃ち”が戦場に炸裂する。
カーバンクルは既にそれが長大な剣を使った“居合”であることを見抜いている。
それ故に攻撃を見抜き、ヴィクトルへと接近する。
「──俺が、俺がサアを創っていただと? そのようなこと!」
「ん? 何、妄想の彼女を囲ってたってことなの?」
「違う! サアはあの時、確かに俺を見てくれた。愛してくれたんだ!
だから俺は、もう一度生きようと思ってのだぞ」
声を荒げるヴィクトルの剣は明らかにぶれていた。
しかしそれでも威力は健在であり、無視できない。
カーバンクルの『リヘリオン』を不可視の剣で弾き飛ばし、彼は跳躍で距離を取る。
接近するカーバンクルへとの対応も適切だった。
大した腕だ、とカーバンクルは舌を巻く。
精神的に乱れた状態でも判断が鈍らないのは、良い戦士の証拠だった。
「俺は、俺のことをカッコイイと言ってくれるサアがいたから」
とはいえ、戦意そのものが萎えてしまえばどうしようもない。
ヴィクトルという男は、近づく騎士団たちを淡々と処理しつつ、ぶつぶつと何かを言っている。
「サアがいたから、生きようと思えたのだぞ? だが、そんなことを」
──これはもう折れたも同然ね。
彼のその様子を見て、カーバンクルはそう判断する。
よくわからないが、今回の第四聖女をめぐる戦いにおいて、彼は脱落したも同然だろう。
腕はある偽剣使いなので、あまり深入りせず放置していくのが正解だろう。
「とりあえずこちらは多分抑えておけるわ。だからあとは……」
◇
ついに──というべきなのだろうか。
姿を現した竜のアランは、その巨大な翼を悠然と広げていた。
翼は幻想の風を起こし、白銀のきらめきが舞う。
「やっと力を貸すことができるな、トリエ」
トリエは碧の瞳を見開き、現れた巨大な竜を見上げていた。
何も──言えなかった。
目の前で起きている現実を信じることができなかった。
だって竜はもうすでにいなくなっていた筈だった。
物語の中でしか語られない存在。
いつの間にか隣にいてくれた彼が、しかし、本当に存在したなんて。
「──行くぞ、ひとまずはこやつらを」
竜のアランはそう言って、白銀の風を巻き起こした。
猛然と吹き荒れる突風。
一体何が起こったのか、トリエにはわからない。
あまりにも規模が大きすぎて何も理解が追いつかないのだ。
ただ見えたのは、そこにいたはずの極刑騎士団の大軍が、瞬く間に崩壊していくところだった。
それは嵐を前にした小船のように甲冑で武装した軍団が消えていく。
その無類の存在感は、竜が物語の中で見せていたものと、まったく同じものだった。
人が、人として敵う相手ではない。
何か大いなるものの象徴として語られ続けた、竜の顕現だった。
「あなたって」
トリエは5《シュンフ》を抱きしめながら、アランを見上げて言った。
「あなたって、この現実に、本当にいたのね」
「当然だ。ずっと語りかけていただろう?」
さも当然、とばかりにそこで竜は笑うのだった。
その様子は紛れもない、意地悪で一言多くて、しかし何時も隣にいてくれた、竜のアランそのものなのだった。