102_炎②
『可変式フーブゥ』の脱出装置がばらまいた隠蔽魔術により、7《ジーベン》は辛くも戦場から離脱しようとしていた。
極刑騎士団や5《シュンフ》とあの場でやり合うことは現実的でなかった。
とにかく、近くに来ている筈の1《アイン》らと合流すること。
それしか道はなかった。
「とはいえ……私の身体が持ちそうにありませんが」
彼は苦痛に顔をゆがめながら、その胸元を抑える。
その掌は真っ赤に染まり、ぽた、ぽた、と己の血が歩くたびに滴っていた。
『可変式フーブゥ』を短剣形態へと戻し、刀身を点火。傷口を無理やり焼く。
鋭い痛みがその身を貫く。と、同時に睡魔に似た曖昧な感覚が意識を支配していった。
「面目、躍如ですよ。私が設計した変形・偽剣がこうも役に立つと、自分で証明できるんですから」
豊富な予算で実地テストをするために、異端審問官になった甲斐があった。
そう自嘲するように言って、彼は歩き続ける。
止まってしまえばいよいよもって動けなくなりそうだった。
揺れる視界。せり上がる吐き気。と、同時に彼は考えてしまう。
何故、こうなったのか、と。
「5《シュンフ》……あなたは、何故、第四聖女の排除は、貴方の悲願では」
危険な兆候が5《シュンフ》が、それでも今回の任務に入ったのは、彼女が強く志願したからだ。
“先代”の第四聖女の肉親である彼女は、なみなみならぬ想いをもって、今回の闘いに臨んでいた。
だからこそ、自分という監視役をつけたうえで、ここまでやってきた。
彼女が第四聖女を殺したいと思っていたのは、間違いないはずだった。
「ふ、ふ……わからないのに、信じようとしたのが、間違いでしたか」
ぶつぶつと呟いていると──ぼやけた視界に誰かの影が現れた。
はっ、として顔を上げる。
「……残念だ、針金剣士よ」
そこに立っていたのは、白い猫を連れたコートの男だった。
その事実が何を意味するのかを把握するより早く、7《ジーベン》の頭は吹き飛んでいた。
ずる、とその身が力なく倒れていった。
水たまりにその鮮血が流れ落ち、赤黒く汚していく……
◇
「できれば、決闘で〆たかった!」
男、ヴィクトルはそう言って帽子を取り、髪をぐしゃぐしゃにかき分けた。
巨大な印が打ち上げられたので、せっせとこちらに向かったのだが、とんだ結果になってしまった。
そう彼は思わざるを得なかった。
せっかくの好敵手が、既に死にかけただったのだ。
そんなもの、出合い頭に剣を叩き込んで仕舞いにする以外に選択肢がない。
「……あまりカッコよくないな、これは」
ヴィクトルは大きく息を吐く。
とはいえもう過ぎてしまったことは仕方がない。
「アーメン」と彼は架空の神に祈り、それに乗っ取っって手を十字を刻んだ。
「カッコいい・カッコよくないの問題なの……?」
「もちろん。そのために俺は戦うし、生きている」
「……アンタって、なんでそんな元気なの?」
足元でサアは首を傾げていた。
ヴィクトルはかがみこみ、彼女と視線を合わせて、
「言ってなかったか?──お前のためだよ、サア」
「は?」
少し照れた口調で、彼は言うのだった。
「十年前か、親父が財産を全部ぶん捕られて殺されたとき、全員が全員俺を見捨てた。
使用人どころか、母親さえもどこかに消えていった。
娯楽にのめり込むボンボンなオタクでしかなかった俺が、親父という後ろ盾を喪えばそうもなろう」
「…………」
「しかし、お前だけは傍にいてくれた。
誰もが離れていく中、お前だけは傍にいたまま厭味を言ってくれた。
そんなお前に理由を尋ねたところ、こう言ったんだ」
ヴィクトルは、ニッ、とその白い歯を見せつけるように笑った。
「“逃げていく連中より、アンタの方がカッコよかったから”だってさ。
そういうことを言われたんだ、俺はカッコよくなくてはいけないんだ」
「そんなの……」
「だから、愛してるよ、サア」
彼はそう言ってサアの白い毛並みをいとおし気に撫でた。
「にゃおん」と彼女はくすぐったそうにその身を揺らす。
それを見てヴィクトルは微笑みを浮かべ、立ち上がった。
「自由軍には義理を果たそう。それが俺のカッコよさだ」
「ふふふ、変わらないのね、アンタって」
そう言葉を交わしつつ、彼は印の打ち上げられたポイントまで向かおうとする。
と、そこでヴィクトルは眉を上げる。
「確か騎士団とか言ったか」
ダ、と音がして複数の偽剣使いが彼の下までやってきた。
赤と白の見覚えのある奴らだった。
騎士団を名乗る彼らもまた聖女を求めてやってきたらしかった。
とりあえず視界に入った奴をヴィクトルは“早撃ち”で串刺しにする。
向こうもまたヴィクトルに遭遇したことは意外だったらしく、そこに隙ができる。
ヴィクトルは不可視の剣戟を叩き込むべく、戦場を跳ぶ。
技量や偽剣の性能ではヴィクトルが圧倒していた。
ただいかんせん敵は数が多い。
騎士団の偽剣隊に対するヴィクトルは単騎であり、そう簡単には突破できないだろう。
「善も悪も正義も俺にはいらない」
しかし彼は笑みを絶やさず、彼なりの美学を追求した華麗な剣裁きを見せる。
その動きは、足元のサアを絶対に傷つけないようにもなっているのだった。
「サア、お前さえいれば、俺は──生きていくことができる」
「……私もよ」
サアの声が聞こえた。
「愛してるわ、ヴィクトル」
「お前がいるから、俺は生きたいって思えるんだな」
と、二人で騎士団相手に戦っていると、ふとヴィクトルは別の影が戦場に紛れていることに気づいた。
灰色のカソックに、剣の仮面。
片方はつややかな長い髪と紅の刀身を振り払っている。
もう一方は背の高い男で、鬼神のように猛烈な勢いで人の命を奪っていた。
「残りの異端審問官か」
どうやらあの劇場の位置を教えてくれた男女らしかった。
ヴィクトルは帽子を目深に被りなおしながら、
「キャストは揃いつつあるようだな」
あとは聖女だけだ。
その想いで、彼は現れた異端審問官へと襲い掛かっていった。