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祈りは届くと信じてる


 僕はぼんやりと外を眺める。

 青々とした緑が揺れ、それを切なく思った。


 今は高校三年生の8月の始め、それは夏に相応しい暑さを誇っていた。

 ジリジリとうるさく鳴く蝉。

「おい、信司。開けろよ。おい、信司!」

 さらには五月蝿い人間(しんゆう)だ。

 嫌になって寝返りをうち、突っ伏して枕に顔を埋める。

「おーい、信司ー!マジで早く開けろって。時間間に合わなくなるって!」

 全く……、本当にうるさいやつだ。さすが僕の親友、服部なだけはある。

 欠伸をし、起きる。そして服部にも聞こえるように叫んだ。

「ちょっと着替えるから待っててくれ!」

「はー?まだ着替えてねーのかよ!皆との約束遅れるぞ!」

 僕の怒鳴り声を1とするなら服部の怒鳴り声は3だ。とてもうるさい。

 これ以上、親友に近所迷惑行為を続行させるわけにもいかないので、僕はさっさと着替える。

「おせーよ!」

「ごめんごめん。眠くって」

 フン、と鼻を鳴らして怒りを伝えて来る服部だが、それは外面だけで心は違う。いや、まあ少しは怒ってるかもしれないがここまでではない。僕はよく、わかってる。


 彼女は死んだ。それは変えようがない事実であった。受け入れはしないとこちらが主張しても、現実の方が強かった。だから僕は負け犬のようにしばらく家に閉じ籠っていた。

 そんな深淵から引っ張りあげてくれたのは母であり、今、目の前にいる親友、服部である。彼女の死の呪いは強く僕にこびりついた。あの出来事のせいで、僕にとっての世の中の苦しみは増えてしまった。

 でも、幸せなことも増えただろう。僕は今、最高に幸せというわけではない。が、最高に不幸というわけでもない。最大の幸せも不幸も、僕にとっては彼女と過ごしたいた頃が、そうだった。これは呪縛。一生付きまとう、強力な呪い。何故なら他ならぬ僕自身が思い出を忘れることを拒んだから。だから、僕は、長く、長く、苦しんだ。

 ピィーン。

 高鳴る金属音を響かせ、コインが舞う。

 その音で服部が振り向く。

「服部、勝負事でもしようか。表か、裏か」

「お?いいぜ。じゃあ表だ」

 僕は、もう一度コインを打ち上げる。そして、用意していた粘土をポケットから出した。

 コインはくるくると落ち、粘土に綺麗に突き刺さる。

「残念、真ん中だ」

「おまえそれがやりたいだけに粘土持ってきたのか?」

 僕は、ニヤッと笑う。

 そしてもう一度コインを弾き、空で掴みとる。そして、そのままポケットにしまった。

「賢いって褒めてくれ」

「ずる賢いって褒めてやるよ」

 でも、彼女の与えたものは苦しみだけではなかった。僕は今、生きているし、苦しいが、楽しさもある。

 だから僕は選べる。彼女が与えたのは、呪いか、祝福か。

「あーあ。いいよなーお前は。お前は馬鹿みたいに賢いし、世界最強の医者のコネもある。エリート医学部まっしぐらかよ。変わって欲しいぜ」

「君の頭脳じゃ、今入れ代わったとしてもすぐに沈んでくよ」

「賢さも含めて交換だっての!」

 もう一度コインを弾いてみる。そして掴み、結果を見る前に呟く。

「表」

「お前最近それ好きだな。マイブームか?」

 そんな服部の言葉は聞き流し、僕は結果に注視する。

 表、だった。

「フッ」

「でた、不気味な笑い」

「暖かな笑みと言ってくれ」

「え?」

「冗談冗談」

 表だ。

 結果は出た。彼女が願ったのは祝福で、決して呪いではないだろう。

 コインなどあくまで言いわけ、最初から、僕の心は決まっていた。

 彼女との時間は祝福として受け取ろう。


 君もそう望むだろう?


「おーい服部ー」

「おーい相川ー」

 待たせていた皆の僕らを呼ぶ声が聞こえる。フッと目を瞑り、思い出を覗く。

 結局、彼女は僕の嘘をどこで見破っていたのだろうか? 今となってはわからないことだが、たぶん、身を重ねた夜の後だと思う。恋人だからわかる、彼女はそう言っていた。正式に付き合ったのもその頃だし、この時からバレていたんだろうなぁ。

 思えば彼女は僕のことを想って、気づかないふりをしていたのだろうか? きっと、そうだろう。僕も彼女も互いのことを思い、すれ違ってしまった。

 でも、最期は、最後は真にわかりあえた。僕は最善の道を選べなかった。だけど、僕と彼女は、本当に、本当にお互いが好きだったんだ。それは、それだけはこの上なく強く、確認できた。

 なんだか懐かしく、悲しい。最大の感情は彼女の元に置いてきた。でも、今が空虚なわけじゃない。僕は現実に立っている。

 人間が大嫌いだった僕は、変わった。好きになろうとしたし、それはもう半分成功している。彼女ほど人間のことを好きになれないかもしれない。でも、僕は選んだ。

「おし! いくぞ相川!」

 ニヤッと笑い、先に走っていく服部。

 なんだか、眩しい。

「相川ー! 早く来い!」

「はいはい。わかったよ」

 僕は平坦な声を出す。

 そして走り始めた。

 今の僕の表情は、もしかしたら少し、ニヤケているかもしれない。

 《――よかったよかった》

 突然、声。懐かしい気がする。でも、きっとこれは幻聴だ。

 僕は走り続ける。

『ねえ相川君。人の意志は、死にゆく人の気持ちとか、魂はどうなるんだと思う?』

 以前、彼女はこんなこんなことを言っていた。僕はそれに「消えるだけだ」と答えた。

『きっとそれが正しいんだよね。でも私はこう思いたいんだ』

 彼女は、願望を口にした。

『人の純粋な思いは、願いに似た祈りはきっと誰かに届くんだよ。この世の中にエネルギーがあふれてるなら、人の意志は、その意志を持ったエネルギーは何かを変えるんだって』

 人の意思にエネルギーがあるのなら、僕らの知らないところでなにか影響を与えているかもしれない。誰かを思う心が、もしかしたらほんの少し、世界をよくしているかもれしない。もし、人間の意思にエネルギーがあったらだけど。

 この考えが嫌いではなかった。誇大妄想的だし、現実味がない。しかし、誰かを思う心がいい結果を残すというのは、あながち間違いではない気がするのだ。

 だから、

 ――僕は、ここにいるよ。

 服部の背中が見える。僕は、彼女に思いを送る。目を閉じて、ただひとりの人間だけを思う。

 感謝してるんだ、と祈ってみる。

 君のおかげで、僕は人間になれた。幸せを知れた。この世はとても苦しいけれど、苦しいだけじゃないんだってわかったんだ。

 景色は今日も曇りがかかったっているけれど、灰色なんかじゃない。たまには、鮮やかにだって見える。

 この世に意味なんてないと思っていた。死ぬのが怖いから死なないだけだった。心のどこかで、終わってしまうのを望んでいた。

 でも、今は違うから。

 生きることに意味があると、多少なりとも思えるようになったから。

 それはきっと、君のおかげだから。


 もうすぐ待っている仲間の近くにつく。


 ぎゅう、と僕はひとり手を握る。


 ――僕は、ここにいるよ。


 君がほんの少しの時間でも、そばにいてくれてよかった。

 僕がここにいるのは、きっと君のおかげ。

 だからこの、君への感謝は。

 だからこの、切実な思いは。

 君へ。


 ――祈りは届くと信じてる。


おしまい

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