祈りは届くと信じてる
◇
僕はぼんやりと外を眺める。
青々とした緑が揺れ、それを切なく思った。
今は高校三年生の8月の始め、それは夏に相応しい暑さを誇っていた。
ジリジリとうるさく鳴く蝉。
「おい、信司。開けろよ。おい、信司!」
さらには五月蝿い人間だ。
嫌になって寝返りをうち、突っ伏して枕に顔を埋める。
「おーい、信司ー!マジで早く開けろって。時間間に合わなくなるって!」
全く……、本当にうるさいやつだ。さすが僕の親友、服部なだけはある。
欠伸をし、起きる。そして服部にも聞こえるように叫んだ。
「ちょっと着替えるから待っててくれ!」
「はー?まだ着替えてねーのかよ!皆との約束遅れるぞ!」
僕の怒鳴り声を1とするなら服部の怒鳴り声は3だ。とてもうるさい。
これ以上、親友に近所迷惑行為を続行させるわけにもいかないので、僕はさっさと着替える。
「おせーよ!」
「ごめんごめん。眠くって」
フン、と鼻を鳴らして怒りを伝えて来る服部だが、それは外面だけで心は違う。いや、まあ少しは怒ってるかもしれないがここまでではない。僕はよく、わかってる。
彼女は死んだ。それは変えようがない事実であった。受け入れはしないとこちらが主張しても、現実の方が強かった。だから僕は負け犬のようにしばらく家に閉じ籠っていた。
そんな深淵から引っ張りあげてくれたのは母であり、今、目の前にいる親友、服部である。彼女の死の呪いは強く僕にこびりついた。あの出来事のせいで、僕にとっての世の中の苦しみは増えてしまった。
でも、幸せなことも増えただろう。僕は今、最高に幸せというわけではない。が、最高に不幸というわけでもない。最大の幸せも不幸も、僕にとっては彼女と過ごしたいた頃が、そうだった。これは呪縛。一生付きまとう、強力な呪い。何故なら他ならぬ僕自身が思い出を忘れることを拒んだから。だから、僕は、長く、長く、苦しんだ。
ピィーン。
高鳴る金属音を響かせ、コインが舞う。
その音で服部が振り向く。
「服部、勝負事でもしようか。表か、裏か」
「お?いいぜ。じゃあ表だ」
僕は、もう一度コインを打ち上げる。そして、用意していた粘土をポケットから出した。
コインはくるくると落ち、粘土に綺麗に突き刺さる。
「残念、真ん中だ」
「おまえそれがやりたいだけに粘土持ってきたのか?」
僕は、ニヤッと笑う。
そしてもう一度コインを弾き、空で掴みとる。そして、そのままポケットにしまった。
「賢いって褒めてくれ」
「ずる賢いって褒めてやるよ」
でも、彼女の与えたものは苦しみだけではなかった。僕は今、生きているし、苦しいが、楽しさもある。
だから僕は選べる。彼女が与えたのは、呪いか、祝福か。
「あーあ。いいよなーお前は。お前は馬鹿みたいに賢いし、世界最強の医者のコネもある。エリート医学部まっしぐらかよ。変わって欲しいぜ」
「君の頭脳じゃ、今入れ代わったとしてもすぐに沈んでくよ」
「賢さも含めて交換だっての!」
もう一度コインを弾いてみる。そして掴み、結果を見る前に呟く。
「表」
「お前最近それ好きだな。マイブームか?」
そんな服部の言葉は聞き流し、僕は結果に注視する。
表、だった。
「フッ」
「でた、不気味な笑い」
「暖かな笑みと言ってくれ」
「え?」
「冗談冗談」
表だ。
結果は出た。彼女が願ったのは祝福で、決して呪いではないだろう。
コインなどあくまで言いわけ、最初から、僕の心は決まっていた。
彼女との時間は祝福として受け取ろう。
君もそう望むだろう?
「おーい服部ー」
「おーい相川ー」
待たせていた皆の僕らを呼ぶ声が聞こえる。フッと目を瞑り、思い出を覗く。
結局、彼女は僕の嘘をどこで見破っていたのだろうか? 今となってはわからないことだが、たぶん、身を重ねた夜の後だと思う。恋人だからわかる、彼女はそう言っていた。正式に付き合ったのもその頃だし、この時からバレていたんだろうなぁ。
思えば彼女は僕のことを想って、気づかないふりをしていたのだろうか? きっと、そうだろう。僕も彼女も互いのことを思い、すれ違ってしまった。
でも、最期は、最後は真にわかりあえた。僕は最善の道を選べなかった。だけど、僕と彼女は、本当に、本当にお互いが好きだったんだ。それは、それだけはこの上なく強く、確認できた。
なんだか懐かしく、悲しい。最大の感情は彼女の元に置いてきた。でも、今が空虚なわけじゃない。僕は現実に立っている。
人間が大嫌いだった僕は、変わった。好きになろうとしたし、それはもう半分成功している。彼女ほど人間のことを好きになれないかもしれない。でも、僕は選んだ。
「おし! いくぞ相川!」
ニヤッと笑い、先に走っていく服部。
なんだか、眩しい。
「相川ー! 早く来い!」
「はいはい。わかったよ」
僕は平坦な声を出す。
そして走り始めた。
今の僕の表情は、もしかしたら少し、ニヤケているかもしれない。
《――よかったよかった》
突然、声。懐かしい気がする。でも、きっとこれは幻聴だ。
僕は走り続ける。
『ねえ相川君。人の意志は、死にゆく人の気持ちとか、魂はどうなるんだと思う?』
以前、彼女はこんなこんなことを言っていた。僕はそれに「消えるだけだ」と答えた。
『きっとそれが正しいんだよね。でも私はこう思いたいんだ』
彼女は、願望を口にした。
『人の純粋な思いは、願いに似た祈りはきっと誰かに届くんだよ。この世の中にエネルギーがあふれてるなら、人の意志は、その意志を持ったエネルギーは何かを変えるんだって』
人の意思にエネルギーがあるのなら、僕らの知らないところでなにか影響を与えているかもしれない。誰かを思う心が、もしかしたらほんの少し、世界をよくしているかもれしない。もし、人間の意思にエネルギーがあったらだけど。
この考えが嫌いではなかった。誇大妄想的だし、現実味がない。しかし、誰かを思う心がいい結果を残すというのは、あながち間違いではない気がするのだ。
だから、
――僕は、ここにいるよ。
服部の背中が見える。僕は、彼女に思いを送る。目を閉じて、ただひとりの人間だけを思う。
感謝してるんだ、と祈ってみる。
君のおかげで、僕は人間になれた。幸せを知れた。この世はとても苦しいけれど、苦しいだけじゃないんだってわかったんだ。
景色は今日も曇りがかかったっているけれど、灰色なんかじゃない。たまには、鮮やかにだって見える。
この世に意味なんてないと思っていた。死ぬのが怖いから死なないだけだった。心のどこかで、終わってしまうのを望んでいた。
でも、今は違うから。
生きることに意味があると、多少なりとも思えるようになったから。
それはきっと、君のおかげだから。
もうすぐ待っている仲間の近くにつく。
ぎゅう、と僕はひとり手を握る。
――僕は、ここにいるよ。
君がほんの少しの時間でも、そばにいてくれてよかった。
僕がここにいるのは、きっと君のおかげ。
だからこの、君への感謝は。
だからこの、切実な思いは。
君へ。
――祈りは届くと信じてる。
おしまい




