不穏なる友
遠藤の一件以来、僕は柊が何を考えているのかまったく読めなくなっていた。柊が何を僕に求めているのか。いや、そもそも柊があの場で瞬時に判断し、僕を助けるためにあんな行動を起こすとも思っても見なかった。確かに僕が獄に入れられる可能性はおおいにあった、だが、助けるならそれはそれで他にやり方はあったろう。まるで何か覚悟を見せつけるかのように僕にわざとあれを見せたのではないかとすら思えるほどだ。
一見僕と柊の関係は変わっていない。だが僕は内心柊に自分でもわからない不信感を抱いている。もともと何を考えているのかわからない節はあったが、それでもそれなりに理解していたつもりだ。だが今はよく分からない。ただ、僕に執着する何かを感るとしか言えない。
それが何であるか、自問しても答えは出てこない。
ただの運良く大学に入れた小作人の小倅がたまたま気があって友人となったに過ぎず、柊がそこまで身をはってまで執着する必要なぞはないと思う。
遠藤はどうしているのか、とも考える。あれ以降勿論のことだが遠藤を見ることはない。学内でも遠藤が捕まったという噂こそ聞きすれ、それ以降の消息は不明だ。彼が柊にどう処理されたのだろうか。聞くこともできたのだろうが、僕は共産主義者の話自体禁忌とした。話すことで決定的に何かが狂う気がしていたのだ。
時流はいよいよもって最悪の方向に流れ出している。ベスプッチとの外交で、ついに決裂し、陽国はベスプッチへの先制攻撃を行った。
戦争はついに引き返せない所まで来ている。
中央大陸と大東洋海上での戦闘は激化の一途をたどると聞く。国内では戦勝の報告ばかり聞くが、実際のところそう上手くことが運んでいるとは思えなかった。
僕はというと、国をあげての戦争に反対するわけでもなく、ただ流れに身を任せているにすぎない。敗戦すれば全てを失う可能性すらあるのだ、ベスプッチやエングレストに祖国を切り売りされ植民地として制圧される未来があるかもしれない。もはや勝つことが難しいとわかりつつも勝ってもらわねばならなかった。
大学を卒業したにも関わらず僕はまだ徴兵を免れていた。院生になったのだ。学生の徴兵免除のおかげでなんとかまだ戦地にいかされることはない。ただ、これも僕の意思ではなく支援者からの強制的な要望だったようで、担当講師から一方的に決定事項を聞かされただけだった。
今や郷里がどうなっているのかはわからない。長男は徴兵を免れるとも聞く、長兄はまだ郷里にいるかもしれない。妹は元気にしているのだろうか、両親はどうなったのだろうか。文は出すものの一向に返ってくる気配は無かった。
「終わりは近いよ」
柊が我が家に遊びに来ていた。
「国内でこれだけ物資を出し渋っているからな。実情は劣勢なんだろう」
「初めから敗けるのは目に見えていた。短期でベスプッチの民意を反戦に傾けることができなかった時点でどうしようもない」
か細い勝つための見込みすら断たれたと僕は思っている。それでも、勝ってもらわねばと思っていた。それに対して柊は勝たねばならないこの戦争に対して他人事のように敗けると平気で語る。
「だが、負ければすべてが終わるかもしれない。勝ってもらわねばならない」
僕がそう言うと、柊はどうでも良いと言った。
「どうでも良い訳があるか、これから僕達の未来はどうなる。負ければ植民地にされるかもしれんぞ。僕はまだしもお前は影響力がある公家だ。負けて下手をすれば戦争責任とやらで親類が処刑されるかもしれんのだぞ」
僕がそう言うと柊はそれすらどうでも良いと言った。
柊の考えていることがさっぱりわからない。僕には柊がとても不気味に思えた。合理的な所が強いと思えば、酷く感傷的な顔をしたり、それでいて心底重大な事柄に興味がないと言う。ちぐはぐだ、何一つ繋がらない。
ただ、僕に何か執着している。それだけがわかっている。
そしてそれがまた、僕には心底怖かった。身近にいる人間の考えが、ここまでわからないということがこれほどまでに怖いとは思いもしなかった。
柊が怖い。だが柊という人間を突き放すのも怖い。僕が柊を拒絶すれば何をしでかすかわからないという怖さがあった。
今でも良き友だとは思っている。だが、それと同時に僕にとって受け入れられない何かを柊は持っている。
僕もまたこの矛盾を歯がゆく思いつつも柊にうち明かすことはなかった。