憲兵
戦争は大きく動き始めた、欧州でフランク国がまたたくまに戦域を広げ、各国を飲み込む勢いで拡大していく。エングレストの中央大陸問題も手伝って、敵の敵は味方と言わんばかりに陽国もこれを幸いとフランク国とロマ国との三ヵ国同盟を結んだ。
これは対フランク戦闘をしているエングレストと完全に袂をわかつ形となり、フランク国へ反感を持つベスプッチとの関係をさらに悪化させる格好となった。
我が国は近隣に味方国がまったく無い。周辺国はおおよそエングレストやベスプッチ、対フランク国の援助を受ける国、ないしは植民地であり
、我が国の立ち位置は非常に危ういものとなりつつあった。
たまにはと酒を持ってきた柊と夜に自室で酒を酌み交わしていた時の事だった。
「君の部屋は相変わらず狭いな」
四畳半の我が部屋は狭い、二人も入れば人口密度はほぼ満帆である。
「何を言う、四畳半もあれば充分だ、大学も銭湯も近い。本さえなんとかなればどうとでもなる」
呆れた顔で柊は杯を重ねる。
「君と言う奴はだいたいどんな境遇でも恵まれていると言いそうだな」
「衣食住に不安がない。おまけに学問ができる。これ以上恵まれていると思うのはおこがましい話だ。ただ」
そこで言葉を詰まらせる。
「ただ、どうした?」
言うべきか言わないべきか考えて、ままよと言葉にすることを決める。
「ただ、この生活を支援している者の考えがわからない。そして、僕はこの支援者をお前ではないかと考えたことがある。他に思い付かない、消去法だ」
柊はぽかんとした顔をしたあとくつくつと笑いだす。
「君を支援して私になんの得があるんだ。支援せずとも君との関係はなんら変わらないだろう」
「全くもってその通りだ。お前が僕を仮に卒業後そばに置いておきたいということであるなら前の家主殿に直接言えば事足りる。関係を崩したくないならば支援なぞせんだろう。お前が支援者だとすればまるで意味がわからん。だが同時にお前以外に前の家主殿に意見を言えて僕に金を出資するような者が想像できない。そうして僕はわからなくなった、もはや支援者が誰かと考えるのも無駄だと思えるほどだ」
「誰だか知らんが変わった人もいるものだな」
「まったくだ」
今でも柊が支援者ではないかと思っている、が、その反面肯定もしきれない。なんのために支援しているのか皆目見当がつかない。関係に変化が起こることを怖れて黙ってはいたが、やはり言ったところで、肯定的な解答が得れるわけではなかった。
「なにやら外が騒がしいな」
柊の声を聞いて外が見える窓を覗くと数人の憲兵が何やら怒号を発しながら走り回っているのが見えた。
「憲兵か……、巻き込まれると面倒だ」
雨戸を閉め完全にこちらが見えないようにする。
「憲兵がいたのか」
「一人や二人ではなかった、これは何か大きな捕物でもあったんじゃないか」
「しかし、ここら辺で大きな捕物なんて思い付かないな。学生街だぞ」
その一言で僕はハッとした。
「共産かぶれの集会かなにかが襲撃されたか……」
柊は少し怪訝な顔をする。
「どうしてそう思う」
「前に一度、学内の人間から勧誘されたことがある。断りはしたが、報復が面倒なので黙っていることにした」
「それは下手をうてば君も処罰ものだぞ」
「わかってはいるが、僕とてどうしようもない。密告すればそれはそれで危ない」
「私に言ってくれれば」
柊の言葉を僕は遮る。
「お前と友人になる前の話だ。それに、四六時中どこからくるかわからない報復に怯えて暮らすこともできない」
それに、僕は遠藤を密告する気もなかった、彼は蜥蜴の尻尾であって、国を良くしたいと思って利用された男にすぎない。何かが違えば僕とてそちらにいたかもしれない。
ドンドンドンと激しく戸が叩かれる音がする。憲兵だろうかと思い、僕が玄関へ向かう。
柊をちらりと見ると眉根をよせ、少し怒ったような顔をしていた。
戸を開けると最低な気分になる現実がそこにはあった。
ほうほうのていですがり付くような顔をした遠藤がそこにいた。
「後生だ、匿ってくれないか」
遠藤は懇願するような声を絞り出している。
「何故君が僕の家を知っている」
「三笠が勧誘を断ってから密告されるのではないかとずっと数人で監視していた。だから君の家は俺も知っている」
ふざけるなと言いそうになったところで、ガタッという音がしたと思うと柊があっという間に遠藤の襟首を掴みそのまま倒れこむように床に叩きつける。
「貴様は何をしたのかわかっているのか!無関係の三笠を巻き込んでいるのだぞ!貴様のことなぞ知らんが、私の友人を犯罪者の仲間にするつもりか!」
柊は声を押さえることなく怒号を発する、これを憲兵に聞かれては匿うなぞほぼ無理だろう。
「わかっている、わかっているがここしか頼れなかった」
遠藤がそう言うと柊は二三度遠藤を殴り付けると少し冷静になったようで、肩で息をしながら押し黙った。
「遠藤、悪いが助けてやることはできない。もう君の顔もわれてるんだろう」
遠藤は放心した感じで、暗がりだったから確認はできてないかもしれない、が、仲間が捕まれば俺の名前を吐かされているかもしれない、とか細く呟く。
ドタドタと音がしたと思うと憲兵の声が聞こえ始めた。
観念したように遠藤は動かなくなる。
憲兵数人がこの惨状を見た。
「貴様等、何をしている!」
憲兵のはっきりした声が聞こえた。
遠藤はこれで獄に入る、二度と出てくることはないかもしれない。共産主義なんぞにかぶれた結果か。
彼が僕の家に来た理由を吐けば下手をすると僕も密告しなかった咎で処罰を受けるかもしれない。僕には守ってくれるものなぞ無い、同じ扱いで獄の中へかもしれぬ。
「私は公家の柊家の者だ、柊薫と言う」
憲兵に向かって柊は突然名乗り始めた。
「今私が組伏せているこやつは共産主義に染まった愚か者だ」
憲兵は柊の名に装いを正す。
「我々は逃げた共産主義者を探しておりました。誠にありがたい事です、そやつを連行させていただきます」
憲兵が遠藤に近づこうとすると、柊が吠えた、吠えたというのもどうかと思うのだが吠えたのだ。
「こやつはあろうことか、私と私の友人に危害を加えようとした。柊家によって一時預かる」
憲兵達の反応が急激に悪化し始めていくのがわかる。
「柊家の者であっても共産主義者の引き渡しを断れるものではありません。こちらに引き渡しを」
柊は僕の想像をはるかに越えた剣幕で反応した。
「貴様等、どうなっても良いのだな。家の者と貴様等の上官に連絡しろ、もしここで私の意思に背けば、貴様等はこいつと同じく死ぬまで牢獄で飼ってやる」
僕達はその後3時間ほど待たされた。
憲兵は上官に連絡を取り、その上官から柊家に連絡が行き、ようやく柊家の者が現場につき、その報告をまた柊家に持ち帰り、さらに憲兵の上官に何事か連絡をし、柊家の者がまた訪れたと思ったら、今度は遠藤を鎖で繋ぎ憲兵達とそのまま連れていった。
柊はその柊家の者と一緒に帰っていったのだが、最後に僕に耳打ちをした。君のためならこのくらいやってみせる、とだけ。