鏡と神の国
昼食をとってから20分ほど歩いただろうか、ようやくそれらしき場所についた。おそらくコンクリート製だろう大きな倉庫に見える建物がそこにはあった。
「なんのためにこんな所にこんなものが」
「ここはね、皇帝一族の宝物庫なんだ」
「御物庫ならもっと他の場所にも無かったか」
確か皇居内と西京にある皇室の土地の文庫なる場所、あとは大和国の神社などで皇帝家ゆかりの物を保管している。それらが御物庫にあたったはずだ。こんな辺鄙な所にぽつねんとあるなんて聞いたことがない。
「そうだね。表に出ても良いものはそう言った所に保管されている。ここにあるのは皇族とほんのわずかな人間しか知り得ない物品を納めているんだ」
「僕がそんな所に来て良いのか」
何が収蔵されているのかは知らないが、見られたくないもの何て言うのはきっとろくな物ではない。知る事で命すら取られる物すらあり得るだろう。例えば皇帝家の正統性を否定するなんて物があればそれにあたる。だからこそ遠藤を道半ばで帰らせたのだろう。
「父上は私には甘くてね。願い出たときは幾分怪訝な顔をされていたが、理由を話せば許してくれたよ。君には余計な物を触らせない前提ではあるけれども」
「陛下も随分隠し子には負い目を感じているのだな」
「そういうことだろうね。そうでなくては時たま柊家に私に会いに来ていたりはしないさ」
皇帝陛下と柊薫という人間の繋がりが、父と子の関係をまだ成している。他家に預けながらもそれだけ大事にされているというのは意外ではある。
柊は建物の入り口を指し示すとそこに僕を誘導し、重厚な金属扉についた鍵を5~6個解錠する。
建物に入ると中は真っ暗だった、柊が入り口に置いてあるランタンに灯をともすとぼんやり周りが照らされてようやく視界が確保される。
建物内には長い廊下があり、その左右にいくつものドアを配置した作りだった。ドアには三重四重の鍵がされている。ドアもかなりの大きさの金属製の扉だろう、簡単には破壊できるものではなさそうだ。
コツンコツンと柊と僕の足音だけがする。
「ここだ」
柊は一枚のドアの前に立つと札を何度か確認していた。
「ここは何度来ても慣れないよ」
そう言いながらドアの鍵を全て解錠する。
「さぁ目的の物はここにある」
先に足を踏み入れる柊に続いて無言で僕は前に進んだ。
思ったより広い空間だ、書物類や棚が所狭しとあったり、古美術品なんかが棚に整然と並んでいる空間を予想していただけに、がらんとした空間に拍子抜けする。
よく見ると大きな背嚢や食料品の缶詰め、水筒などが床に置かれている。
「なんだこれは」
「それは私が今日の日のために持ってきたものだ」
柊はここで数日すごすつもりなのかと思えるほどの荷物を置いていた。
「目的のものはこっちだ」
柊がランタンを掲げると、光が大きなそれを照らす。
「でかい鏡だな」
一枚の姿見の三倍ほどの大きさの鏡がそこにあった。金属製の足があるためしっかりと立っている。鏡面はこちらに向いているが、光の反射がない。鏡面の手入れをしていないのかもしれない。華美な装飾こそ無いものの古い時代のものとも言えず、かといって新しいものともとれない文様が施されていた。
「この鏡はね。神の国への入り口なんだ」
「神鏡の類いというわけか」
柊は首を降る。
「そのままの意味でだ。この鏡の先には異世界が広がっている。そもそもこれは鏡に見えるけれど鏡じゃない」
「そんな物があるわけがない。神代のお伽噺でもあるまいし」
柊は缶詰を一つ手に取ると鏡に向けて放り投げる。それは鏡に触れるとそのまま吸い込まれるように消えていった。
「なんだこれは」
「ここはそういう現代の技術では理解できない物が多数収納されている。皇帝家は神の一族とされていたのはこれらが始まりだと見ていい」
僕が確かめるために鏡に触れようと近づくと柊は制止した。
「それは入り口だが出口にならない。片道だ、触れれば最後戻ってくることはできない」
ぴたりと僕は動きを止める。
「出口がないならどうして神の国に繋がっているとわかる」
「400年ほど前の本だ。今は散逸した史料をとりまとめた物なのだが、この鏡はそもそも最初は入り口と出口が別々にあった、それを通ってきた神がこの国を作り皇帝一族の始祖となったとしている。だから、神を祀るのに鏡を利用するのであるともされている。ある時出口が突然消失した。それ以降確かめることができる者は無い。殺したくないが助けることもできない罪人をこの鏡の先に送った時期もあったという。それから先、神の国への入り口は誰にも破壊できず皇帝一族が保管し続けてきた」
「ちょっと待て、と言うことはこの国の有史以前からあるとでも言うのか」
「私はそう思っている」
陽国の有史以前からこの姿のまま存在しているなどと馬鹿げた話があってたまるものか。僕たちの文明の域を遥かに越えている。
「これを見てくれ」
柊は自身の左手首に軽く触れる。すると突然革の外套を羽織っていた。と思うと今度は学生服になり、次の瞬間には紋付き袴に、軍服にそしてまた元の服装に戻った。
「これは着けた人の他者から見た姿を変える物らしい、左腕に今つけているが他者からは確認もできないだろう。私は体の特徴を隠すために幼いときからつけている」
眼前で見せられる信じられない光景に目眩をおこしそうになる。
「それもこの国の有史以前からあるというのか」
「史料によるとそうらしい」
僕の知っている常識とはなんなのだ。歴史が全て覆されるような感覚、実はこれは夢ではないのか。
「おそらくだが世界にはこれに似たあり得ないものが今も存在していると思っている。欧州の神話の聖杯と呼ばれるものなどがそうだったのではないかと」
「僕たちはずっと異世界人の影響を受けていたと言うのか」
「いつ頃からか手を出さなくなっていたとは思う。だが、その影響は受けていただろう」
落ち着いてきた。もはや見せられて認知してしまったものはどうしようもない。柊の仮説にどれほど信憑性があるかはわからないが、よくわからない物が存在する、それは確かだ。
「お前は僕にこれを見せてどうしようというんだ」
置かれた背嚢、食料品、なんとなくわかってきてはいた。わかってきてはいたが言わざるをえなかった。
「君には私と神の国へ行ってもらう」
そう思った通りの言葉が僕に向けられた。