よく効くお守り
昼休みに机を挟んでサヤと話していると、誰かが呼ぶ声がした。
「市川さーん。いる?」
見ると教室の入り口のところで、船堀さんが私を探してきょろきょろと見回していた。ちょうど目が合ったので聞いてみる。
「なに?」
「あ、いた。呼んでるよ。三年の人」
「分かった。ありがと」
船堀さんの向こうに立つ男の人の姿がちらりと目に入った。『センパイだ!』私はどきりとする。
「葛西さんだ、なんだろう?」サヤにささやく。
「たぶん昨日のことなんじゃない?」
「そんな、突然来られても困るよう。心の準備ってものが……」
「いいから早く行きなよ。待たせちゃ悪いよ」
サヤに背中を押されるように、不安と期待が入り混じった気持ちを抱きながら廊下で待つセンパイのところへと行った。
「こんにちは」
「おう、呼び出しちゃってごめん。今大丈夫だった?」
「はい、大丈夫です」センパイの表情を窺うが話の先は読めない。どきどきと胸の鼓動が激しくなり、その音がセンパイにも届いてしまっているのではないかと心配になる。「なんでしょう?」
「これなんだけど……」
センパイは小さな紙のふくろを差し出した。全体がまっ白で、神社の名前が中央に赤い字で印刷されている。間違いない、昨日私がセンパイに贈ったものだ。胸にちくりと棘が刺さった。
一月の三日に、私はサヤとしおリンの三人で初詣に行った。地元では有名な大きな神社で、多くの人で賑わっている。私たちは拝殿へと続く列の中で順番を待っていた。
「もうお正月かあ。早いね」私はしみじみとつぶやいた。
「なに、もえったら。うちのお父さんみたいなこといって。年寄りくさいよ」と、しおリン。
「だってさ、あと三ヶ月で進級なんだよ」
「そりゃそうだけどさ」
するとやり取りを聞いていたサヤが口を挟んできた。
「もえが時間を早く感じるのには理由があるんだよね」
「え!? なになに?」
しおリンは興味津々だ。
「春になったら葛西さんとお別れだもんね」
「ちょ、待って。やめて」
私は慌ててサヤを止めるが、しおリンの興味は一層大きくなるばかり。
「葛西さん!? 誰よ? なに、もえ付き合ってんの?」
「そんなんじゃないよ……」
「部活の先輩なんだけどさ。この子ったら気持ちも伝えていないんだよ」
「だってさ……」
「もうすぐお別れしちゃんだよ。もう会えなくなっちゃうんだよ。ダメ元で告白してみればいいのに」
サヤは段々と興奮してきた。煮え切らない私の態度にいらいらしたのかも知れない。
「そんなこといったって……」
そのとき、いいことを思いついたという顔をして、しおリンが胸の前でパンと手を叩いた。
「その先輩。葛西さんだっけ? 三年生なんでしょ?」
「うん」
「だったら今、受験で大変な時だよね?」
「だろうね」
「それなら、ここでお守りを頂いて贈ってあげればいいんじゃない? 合格祈願のお守り」
「ああ、それいいね。別に『好きです』とかいわないで、『受験頑張ってください』とだけいって渡せばいいじゃない」
サヤも、しおリンのアイディアに賛同した。
「んー……そうかあ。それなら……うん」
お詣りを済ませたあと、私は社務所でお守りを手に入れた。小さく真っ赤なお守りは中央に『合格祈願』と金色の刺繍がしてあった。小さな白い紙袋に入れてもらったお守りを、私は大事そうにカバンにしまった。
年が明けてから、昨日やっとセンパイに会えた。次々と生徒たちが出ていく校門の脇でセンパイを待っていた私は、その姿を見つけるとたたっと駆け寄り、半ば強引にお守りを渡した。
そうして「受験がんばってください!」とだけいうと脱兎のごとく走り去ったのだった。
そのお守りを、今センパイは差し出している。溢れようとする涙をこらえ、必死で平静を装いながら私はいった。
「ごめんなさい……迷惑でしたね……」
差し出された袋を受け取ろうとした、そのとき。
「いや、そうじゃなくて」少し慌てたようすでセンパイがいった。「ちょっと中を見て」
「中ですか?」
紙袋を受け取り、傾けて中身を出した。すすっとお守りが滑り出て手のひらの上に落ちる。
「ほら、それ」
私は手のひらのお守りをまじまじと見つめた。そのお守りの中央には『恋愛成就』と、つやつやと輝くピンク色の糸で刺繍がしてあった。
「え!?」
「やっぱり、間違いだよな? 家に帰って良く見てみたらそれだろう。なんか変だなあと思って来てみたんだ」
私はかあっと真っ赤になった。きっと耳まで赤かっただろう。「ちょっと、ごめんなさい」とだけいうと、急いで席に戻るとごそごそとカバンの中を漁った。そしてカバンのポケットに入っていた白い紙袋を取り出し中身を検めると、そこには昨日センパイに渡したはずの『合格祈願』のお守りが入っていた。私はその場で固まってしまった。
「なに? どうしたの?」
尋常でない私のようすにサヤが心配して声をかけた。
「や、やっちゃったよ……」
「やっちゃったって、何をよ」
「あのとき神社で一緒に頂いた『恋愛成就』のお守りの方を葛西さんに渡しちゃった……」
サヤはプッと吹き出した。「ドンマイ」
私はぎくしゃくとした歩みでセンパイのもとへ戻ると、紙袋に入ったお守りを両手で掲げるように差し出した。
「すみません、間違えました。こっちでした。どうぞ……」
とてもじゃないが目を見ることができない。顔を伏せたままでいった。
「ん、ありがとう」センパイは袋の中を検めた。「『合格祈願』、たしかに。大事にするよ」
「受験……がんばってください」
「おう。そうだ、お礼といっちゃなんだけど」
「はい」
「試験が終わったらどこかへ遊びに行かないか? オレがおごるよ」
「えっ!?」思いもよらない言葉を耳にし、私は再び固まってしまった。
「それじゃあな。これ、ありがとな。あとで連絡するから」
そういうと、センパイはすたすたと自分の教室に戻って行ってしまった。
私は、両手で『恋愛成就』のお守りを胸の前に抱きながらその場に立ち尽くしていた。ニヤニヤと不気味な笑みを浮かべている姿をクラスメート達は不思議そうに眺めていた。