空樹の町9
ガシンはまどろみの中にいた。夢の中のエシャはまだ二十二歳。魔法大学校四年生。ちょうどエシャが家を出て、同棲を始めた頃だ。
夕食の席。スパゲッティーをぐるぐる巻きながら、エシャは興奮気味に話した。
「ねえねえ。同じ研究室に配属になった同級生に一人、すごい子がいてねえ。一年も前にもう卒業論文を提出したんだよ。私も読ませてもらったんだけど、内容的には立派な博士論文だよ。いやあ、天才っているもんだねえ。」
「いやあ、今日のゼミはユイガ君の独壇場だったね。ドクター四年の先輩の研究の検証不足な所をこてんぱんにやっつけて、フォローに入った教授のことまでやり込めちゃうんだもん。私は全然議論についていけなかったよ。もっと勉強しなくちゃだね。」
「ユイガ君、飛び級して、自分の部屋をもらったら、すっかり引きこもっちゃって、ゼミの時しか出てこないんだもん。前から愛想悪かったけど、あれじゃあ変に煮詰まっちゃうんじゃないかな。」
「ねえ、聞いて、聞いて。ユイガ君。引きこもって何してるのかと思ったら、念土人形を作ってたんだよ。それがすごく精巧な造りで、人間と見分けがつかないの。驚いたよ。ユイガ君の部屋に忍び込んだら、知らない女の子が『初めまして。』とか言うんだもん。
私との会話ログが残ってると、忍び込んだのがバレちゃうから、偽装してバックアップを残しておいたんだけど、上手くごまかせたかな。」
「今日、研究室に後輩が入ってきてね。私も一人面倒を見ることになったんだけど、それがもうすんごくかわいいの。エシャ先輩、エシャ先輩って慕ってくれて。ちょっとどじな所があるんだけど、そこがまたかわいいんだなっ、これが。」
「ユイガ君、大学を辞めちゃうんだって。いや、辞めさせられたのかな。どうも学長の研究をこてんぱんに批判して、逆鱗に触れたみたいなの。本人は研究なら自宅でも出来るって言ってるけど、心配だよ。あの才能が存分に発揮できる場所が早く見つかると良いんだけど。」
「私、塔都魔法士になろうと思う。いつまでも、ガシンに食べさせてもらっている訳にはいかないよ。」
「何でユイガ君がこんなことをしようとしているのか分からない。だから、話してみようと思う。最終的には戦わなくちゃいけないのかもだけど、最後まで分かり合う努力はしなくっちゃ。」
あの日、エシャはそう言って部屋を出て、そのまま帰らなかった。
こうしていれば、いつまでもエシャと一緒にいられる。外の世界はつらく、苦しいことばかりだ。エシャから離れたくない。
遠くで声がする。繰り返し、俺の名前を呼ぶ声が。嫌だ。行きたくない。いつまでも思い出の中に浸っていたい。
記憶の渦の中から、キドが現れる。ガシンのことを真剣な目で見つめる。
「お前にオンコのことを頼みたい。」
その時、ガシンの耳に、オンコの声が届いた。
「ガシンーーーーー! 」
ガシンは目を覚ました。
エシャが泣きそうな顔でこちらを見つめている。いや、エシャじゃない。オンコだ。
「良かった。目を覚ました。」
オンコはほっとした笑顔を見せ、すぐさま、
「早く、早く逃げないと! 」
とガシンの手を引いた。
手を引かれるまま身を起こす。歩こうとすると、点滴の支柱が倒れた。点滴の針が腕に刺さったままだった。
「何をそんなに急ぐ。」
ガシンが問うと、オンコは窓の外を指差した。首をそちらに向ける。そのまま動きを止めた。
「ここはまだ夢の中か。」
「驚くのは分かるが、あの大津波は現実だ! 現実を見据えろ、ガシン! 」
ガシンは急速に覚醒した。ベッドの横に置いてあった魔道具を起動。オンコに覆いかぶさり、二人用の小型のシェルターを生成する。そんなもので圧死を防げるとも思えないがせめてもの気休めだ。
だが、来るはずの衝撃は中々訪れなかった。シェルターから顔を出したガシンが見たもの。それは西に向って猛スピードで押し戻されていく大津波だった。
塔都の街並みを見回す。何か違和感がある。先ほどまでそびえ立っていた念土の波を除けば、特におかしなものはない。むしろ、あるはずのものが、無いような・・・・・・
ガシンは無いものに気づいて愕然とした。南西の方向。ロッポに君臨していた魔法タワーがないのだ。
「俺が寝ている間に何があったのか説明してくれ。」
オンコの話を聞き終わったガシンは眉間にしわを寄せた。寝ている間にユイガの奴、やりたい放題だ。
キンキ達は無事だろうか。さっきの攻撃は十中八九在塔魔軍を狙ったものだろうが、ウカは上手く逃げ延びられただろうか。
俺があの時、私怨を優先せずに、魔法長たちを呼んでユイガを捕らえていれば――
ガシンは重い腰を上げ、立ち上がった。
「ユイガをこのまま放っておくわけにはいかない。奴は俺が止める。」
とは言え、ユイガには、こてんぱんに負かされたばかりだ。何か策を講じなければ、前回の二の前だろう。
ガシンは、病室から、薄暮の町を眺めていたが、道路を猛スピードで近づいてくるものを認め、目を凝らした。
魔道具を起動する。窓を開くと、念土の糸を頼りに、飛び降りた。糸で位置と速度を調整し、疾走する物体の上に飛び移る。その物体――『如意浮雲』に乗ったシュチ塔都魔法副長は錐もみ状態となり、横転した。
「全く、ガシン君ったら、情熱的な抱擁ね。お姉さんが相手してあげようかしら――とでも言うと思ったか! 危ないんじゃこのボケが! 」
お気に入りの白衣をぼろぼろにされたシュチは、こめかみに青筋を立ててガシンを足蹴にした。
「すいません。ユイガの情報を教えて頂きたかったものですから。」
「ユイガの情報? 」
「ええ。ユイガを倒すための情報です。」
「ふうん。」
シュチはガシンを踏みつけたまま、下半身をしげしげと見た。
「つまり坊やの持ち物がどれほどのものか、お姉さんに味見して欲しいという訳ね。」
「下ネタは止めて下さい。」
「あーら、私は坊やの魔道具が、ユイガに通用するか見てあげようかって言っただけなのに、おませさん。」
シュチは憮然とするガシンから、ひょいと、魔法具を取り上げた。起動して、あれこれいじりまわす。
「へえ、これは珍しい魔法具ね。」
「何か特別な機能でも。」
「こんなしょぼい魔法具は珍しいって言ってるのよ。」
ガシンは天を仰いだ。
「この魔法具はエシャさんから練習用にともらったんでしょ。彼女もあなたがこれを実戦で使うとは思ってなかったでしょうね。魔法速度は現存する中では最低レベルだし、魔法具内の硬盤魔法庫なんて骨董品よ。
魔法操作系も変てこね。魔法具にはいくつかの操作系があって、大抵の魔法具には『窓』。さもなければ『林檎』か『単一』が入ってるんだけど、君のは『惑星』を使ってる。『惑星』なんて聞いたことはあったけど、実際に見るのは初めてよ。
まとめると、坊やのモノは遅くて貧弱で変なの。」
「・・・・・・つまり、俺の魔法具では、ユイガに通用しないと。」
「それが必ずしもそうとは言えないのよね。ユイガが得意としているのは、相手の魔法具の乗っ取り。ユイガは『窓』や『林檎』、『単一』の欠陥は熟知していて、そこをついて魔法具を乗っ取るんだけど、『惑星』なんておそらく知らない。そうやすやすとは乗っ取れないはずよ。」
ガシンははっと目を見開いた。
「どうも有難うございます。」
「あら、お礼なら、寝転がったままでなく、ちゃんと頭を下げて言って欲しいものだわ。」
「そのためには、まず、俺を踏みつけたままの足をどけて下さい。」
「魔法長に、ジョージでの負傷者の治療を頼まれちゃってね。ちょっくら行ってくるから、ユイガのことはよろしくね。」
シュチは『如意浮雲』に乗って西へと走り去っていった。『如意浮雲』は、塔都で、シュチだけが使える魔法で、スケートボードのような念土の板を、高速で生成し続けることで、時速八十キロ以上で疾走することができる。シュチの姿はたちまち見えなくなった。
病院の陰から、オンコが姿を現した。
「あの方とガシンはえっと、その、そういう関係なのか。」
全然違う。
二人は並んで歩き出した。
「ここには昔、ラーメン屋があってな。安くてそれなりに美味いということで、祝い事があると、孤児院のみんなで、食べに行ったものだ。」
オンコが指した先は普通の住宅になっている。
「この神社は昔のままだ。本殿の脇に一本杉があるだろう。フワがあの枝の上で曲芸をしていて足を滑らせたことがあってな。あの時は、頭から血が止まらなくて肝を冷やしたぞ。」
二人は孤児院に立ち寄った。中を見て回っても、エンリが立ち寄った形跡はない。
「そこの壁に落書きの跡があるだろう。キドが私の似顔絵を描いたものだ。私はこんなに顔がまん丸ではないのだがな。」
オンコは落書きのあとをゆっくりと撫ぜた。
「もうすぐ、何もかも無くなってしまうかも知れんのだな。」
言葉を捜しあぐねているガシンに、オンコは笑みを見せた。
「道場へ帰ろう。」
空樹を背に、孤児院から道場への道を歩く。この道を二人で歩いたのは数えるほどだが、もうずっと昔から繰り返し歩いたような気がした。
「オンコ。頼みがある。」
「ガシンの頼みとあらば何なりと。」
「俺を弟子にしてくれ。」
オンコの足が止まった。
「明日までに、何か一つ、技を教えて欲しい。ユイガが知らないバリツの技を。」
オンコは目元を手で擦ってから顔を上げた。
「バリツの技は絶え間ぬ修練のたまもの。一晩で会得できるようなものではない。だが、どうしてもと言うのなら・・・・・・ 今晩は眠れぬと思え。」
「二日間も眠っていたんだ。今は眠れる気がしない。」
二人は拳を合わせると、道場へ駆け込んだ。道着に着替え、道場で向かい合う。
「お主には、空気投げを教えて進ぜよう。空気投げとはどんな技かと言うと――」
「オンコ、それなら――」
「オンコではない。師匠と呼べ。」
「はい、師匠。空気投げがどんな技かは知っています。」
ガシンは拳を握った。
「兄弟子のキドに教えてもらいました。」
「――そうか、ならば空気投げで私を投げてみろ。」
ガシンが投げの体勢に入る。オンコはガシンの引き手を切ると、逆に空気投げで投げ返した。
「踏み込みが甘い! だから技に体重が乗らないんだ。」
「はい! 」
二人の稽古はまだまだ続く。
ガシンとオンコ以外は誰もが眠る丑三つ時。塔都空樹正門脇に一人の男が立った。塔都魔法長、ハジャである。
部下達は全員塔都の外に追いやった。万が一自分が敗れるなら、誰もユイガを倒せない。これで、自分に続いて攻撃を仕掛け、無駄に命を散らす心配をせずに済む。
ハジャは空樹を見上げた。
この時を待っていた。ガデンとの戦いで消耗し、ユイガの疲れがピークに達するであろう、この時を。
ハジャは魔道具を起動し、『斬鉄舞線』を生成。空樹外壁を上らせる。砲撃帯を走らせ、空樹本体に到達。扉の隙間から入り込ませる。
『斬鉄舞線』の先端には、大戦前の超小型映像魔道具をつけてある。『斬鉄舞線』は滑るように走り、エレベーターシャフトに侵入。一気に駆け上がる。
地上三百五十メートルの第一展望台に侵入。だが、無人だ。レストランやカフェも無人。エレベーターシャフトへ戻ってさらに上へ。
地上四百五十メートルの第二展望台に侵入した刹那、警報が鳴り響いた。照明が一斉に点る。『斬鉄舞線』は展望台を疾走した。が、いない。警報が仕掛けられていたということは標的が近いはず。
『斬鉄舞線』は電波制御室へ殺到した。
部屋の一番奥。ソファーにもたれてユイガはいた。『斬鉄舞線』が走る。ユイガが気づいて身を捻る。逃がさない。魔法具を叩いて軌道を修正。狙うはユイガの首のみ。『斬鉄舞線』がユイガの首に触れる。その瞬間、何かに引っ掛かる。入口脇の観葉植物。『斬鉄舞線』の先が軌道を変え、ユイガの耳たぶを斬り飛ばして跳ね上がる!
第二撃。『斬鉄舞線』のしなりを利用して鞭のように斬りかかる。ユイガが横転して避ける。配電盤が真っ二つになり、煙を上げる。
『斬鉄舞線』が床で跳ねる。袈裟懸けにユイガを狙う。遮蔽物はない。ダイヤモンド並みの硬度を誇る『斬鉄舞線』がユイガの肩に食い込む。そのまま――
『斬鉄舞線』の動きが止まった。制御が利かない。
――乗っ取り!
手元の『斬鉄舞線』が跳ね上がり、ハジャの両腕を斬り飛ばした。血が噴水のように噴出し、前に倒れる。それでもハジャは魔法具の下へ這い進む。歯で操作盤を叩いてでも制御を取り戻すために。
跳ね上がり、戻ってきた『斬鉄舞線』がハジャの両足を斬り飛ばす。倒れたハジャを第三撃が襲う。狙いは心の臓。ハジャにかわす術はない。
西方から猛スピードで突っ込んできたシュチ副長が、ハジャの体をさらって走り去った。
そして最後の夜が明ける。
九百七十二回目に放ったガシンの空気投げが、とうとうオンコの体を宙に飛ばした。ガシンの道着は真冬にも関わらずぐしょぐしょだ。差し込んできた朝日が、ガシンの体から立ち上る湯気を照らした。
「有難うございました。」
礼を交わし、空気投げの伝授は終了した。
ガシンが仮眠を取って起きてくると、オンコが朝食を用意してくれていた。二人向かい合って味噌汁をすする。ガシンの箸が止まったのを見て、オンコが声をかけた。
「何か迷いがあるのか。」
「いや、漬物を食うか、味噌汁を食うか迷っていただけで――」
「ユイガと戦うことに迷いがあるのだろう。」
ガシンは茶碗と箸を置いた。
「ユイガを倒すべきなのは分かっている。俺にはユイガを逃した責任がある。だが、別の自分がささやいている。ユイガの計画が成就して、エシャと共にいられれば本望ではないか、と。」
「ユイガと話してみたらどうか。」
ガシンは目を見開いた。一瞬、オンコがエシャに見えたのだ。ガシンは一回、強く頷いた。
オンコから借りた道着を身にまとう。エシャからもらった魔道具を装着する。
「それでは行って来る。」
オンコは腕につけていたハンカチを外し、ガシンの腕に結びつけた。
「必ず帰ってくるのだぞ。」
「はい、師匠。」
道場を出ると、雪が降っていた。五年前と同じ雪が。
魔法具が肩に食い込む。ガシンはまっすぐに空樹へ向った。正門脇のインターホンを鳴らし、叫ぶ。
「頼もう! 」
空樹の中ほど。ユイガがいるであろう場所に向けて叫ぶ。
「ガシンが話をしに来たぞ! 」
「話をするのに魔道具が必要なのか。」
インターホンからユイガの声が返ってきた。
「話をした結果、決裂したら、ぶちのめす。そのために必要だ。」
インターホンから苦笑が聞こえた。
「良かろう。入れ。」
正門の扉が開いた。
ガシンを送り出したオンコは力が抜けて、道場に座り込んだ。だが、こうしてはいられない。エンリを探さなくては。
オンコは道場を出ようとして、入ってきた人とぶつかった。
「エンリ! 良かった。無事だったのか。」
喜ぶオンコとは対照的に、エンリは眉根を寄せて視線を落としている。
「何かあったのか。子供達なら私がイチカまで送り届けたから心配ない。」
「そう。有難う。」
エンリは顔を上げてオンコの顔を見た。
「ごめんなさい。」
エンリが箱を取り出し、スイッチを押す。途端、オンコの力が抜け、床に崩れ落ちた。体を動かそうにも、指一本すら動かせない。
「ごめんなさい。でも、あなたは、一週間前にバックアップを取っている。取り返しのつかないキドとは違うわ。」
目を見開くように、オンコの脳は指令を送った。だが、目はぴくりとも動かない。
エンリの腕が伸びて、オンコの電源を落とした。