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念土遊戯  作者: 東雲長閑
5/11

空樹の町5

 翌朝、ガシンはまだ暗いうちに道場を出た。足早に西へと向う。寝不足の目を擦りながら歩き続け、九時ごろにはシンジ地区へと着いた。

 朝のシンジ地区は、前回来た夕方とは違う街のようだった。朝日の中雀がさえずり、行き交う人も皆、背広姿。街の暗部は固く閉ざされたシャッターの奥に身を潜めている。

 バジ屋もまた、シャッターを下ろし、店先には看板すら出ていない。

 ガシンは意を決してシャッターを叩いた。十分くらい叩き続けていると、シャッターが開き、不機嫌の塊のような顔が現れた。

「今何時だと思っていやがる。」

すごんでいるが、寝ぼけているので迫力がない。ガシンが来意を告げると、店主はますます顔をしかめた。

「そんなもの、アキハで買え。わざわざ俺の手を煩わせるんじゃねえ。」

「そこを何とか。」

「うるせえ。光盤なんざ、うちにはねえよ。」

店主はガシンを追い払うように手を振った。だが、ガシンは素早く身をかがめると、店主の脇をすり抜けた。

 入り口の幅は二メートル程だが、中は結構広い。学校の教室くらいの広さだ。その床にありとあらゆる魔道具が無造作に並んでいる。大小様々な魔法庫が壁際に並び、奥には大型の外付け魔法庫が鎮座している。中でも一際目立つのが、白い布に覆われた、三メートルほどもある、円筒状の物体だ。恐らく、密輸品の魔法砲だ。

 左手の壁に視線を移すと、銀盤を中心に、魔法庫が勢ぞろいしていた。ガシンは駆け寄ると、光盤を手に取った。

「店主。この光盤はいくらだ。」

店主は顔を顰めて低いうなり声を上げていたが、

「分かった。30000Y置いてさっさと帰れ。」

ガシンは額に手を当てた。

「9821Yにまからないか。」

「死にたいのかてめえ。」

店主が手近にあった64ミリ魔法銃を構えたので、ガシンは慌てて店を出た。


 ガシンは孤児院へ戻った。他のあらゆる可能性が断たれた今、院長を拝み倒して光盤を借りるしかない。ガシンは走るような速度で進んだ。

 道の角を曲がって、孤児院の前に出たガシンは足を止めた。

 孤児院の周りを、黒と白の鯨幕が覆っていた。

 扉を開けて中に入る。八畳間の隅にエンリと子供達が座っている。十個の目がのろのろと動いてガシンに集まった。

 全員が囲んだ布団には小さな体が横たわっている。その頭には白い布がかかっている。

 エンリに視線を向ける。エンリがゆっくりと立ち上がって、ガシンの前に立った。

「昨日の夜、塔都空樹の念土徴収があって、孤児院の天井が崩れたんです。夜気に当たったキドが急に体調を崩して――」

つぶやくように告げた。

「何か俺に出来ることは――」

エンリがゆるゆると首を振る。ガシンはキドの体に視線を落とし、両の拳を握り締めた。

 遠くを陽気な音楽の焼きとうもろこし屋が通って行く。

「あ。」

エンリのかすかな声に、ガシンは振り返った。

「オンコが許せないって飛び出していったんです。塔都空樹に抗議に行ったんなら――」

最後まで聞かずにガシンは孤児院を飛び出した。


 塔都空樹を見ながら走る。確かに、空樹は昨日よりもぐんと高さを増している。

 空樹の根元に人だかりが出来ている。群衆の向こうに、ワイヤーでしばられ、吊るされたオンコの姿が見えた。

「オンコ! 」

ガシンは人ごみをかき分け、かき分け前に出た。人ごみの前にはぽっかりと空間が広がっている。そこでオンコがひどい格好で手足を縛られ、逆さに吊るされていた。

「謝れ! キドに謝れ! 」

服が破れ、傷だらけになっても、オンコの眼光は衰えてはいなかった。塔都魔法士を睨みつけ、糾弾する。

「黙れ。」

塔都魔法士がオンコを鞭打つ。その顔を見て、ガシンは目を見開いた。

「メッシ。」

塔都空樹長メッシは、ガシンを見て顔を歪ませた。

「止めろ、メッシ。」

ガシンが近寄ると、メッシは奥歯を鳴らした。

「こいつは塔都魔法士を襲撃したんだぞ。詫びも入れずに返しては規律が保てない。」

「謝るのはそちらの方だ。この人殺し! 」

「黙れ! 」

メッシが鞭を振るう。ガシンは魔法具を立ち上げた。

「ここで私とやり合う気か。そんなことをすれば、永遠に塔都魔法士にはなれんぞ。」

「もう一度言う。止めろ、メッシ。」

ガシンはメッシを見据えたまま歩を進めた。

 メッシがガシンに向き直った瞬間、オンコが吼えた。ポケットから取り出したナイフで手首、足首のワイヤーを切って、着地する。

 メッシの放ったワイヤーが、四方八方からオンコに迫る。オンコはワイヤーの一本を引いてメッシの体勢を崩すと、一気に逃走した。ガシンも慌てて後を追う。

 オンコの姿はあっという間に見えなくなった。ガシンは道場へ向った。オンコの傷は皮が破れ、筋が切れる程のひどい怪我だった。早く手当てをしないと命に関わる。

 ガシンは荒い息を吐きながら、道場の扉を開けた。

 オンコが生まれたままの姿で立っていた。

「すまん。」

慌てて扉を閉める。だが、ガシンは違和感を覚えた。

 オンコの体には傷一つ無かった。

 やがて、扉が開き、喪服に身を包んだオンコが現れた。やはり、先ほどまで、傷だらけになっていた体ではない。

 ガシンの顔を見て、オンコは寂しげに笑った。

「この体はちょっと人とは違うのさ。」


 葬儀の間中、エンリは涙を見せなかった。何かを悟ったかのような、静かな顔で、弔問客に挨拶を返し続けた。

 弔問客が切れた時、エンリが立ち上がって、ガシンの元へやって来た。奥の間へと誘う。戸棚から銀盤を取り出し、ガシンへと差し出した。

「差し上げます。」

ガシンは言葉が出なかった。

「心の整理がつきました。やはりこの銀盤はガシンさんに使ってもらうのが一番良いと思います。」

エンリは一瞬目を閉じ、

「あの子もそれを望んでいると思いますから。」

ガシンの手に握らせた。

 ガシンは深く頭を下げると、銀盤を持って道場へ戻った。魔法庫に接続し、立ち上げる。その力は目覚しかった。

 ガシンは夜遅くまで、新しい魔道具の調整を続けた。


 翌朝。ガシンは魔法タワー入り口脇にある小部屋に通された。魔道具をはじめ、一切の所持品をかごに入れ、検査着に着替える。

 隣室へ入ると、乗り合いバスほどの大きさの装置が鎮座していた。滑らかな曲線で構成され、パステルカラーと相まって落ち着いた印象を受ける。

 白衣の女医の指示に従って、ベッドの上に横になる。すると、ベッドが動いて、体が装置の中に飲み込まれた。続けて装置が奇怪な音を立てて稼動を始める。長方形の箱が赤い光を発しながら、頭に迫ってくる。ガシンは恐慌状態に陥った。

「こら、リラックスして、動かないで。」

外から女医の声がする。ガシンは必死に動悸を抑えた。

 もし魔法士達が俺を殺す気なら、丸腰の俺では抵抗のしようもない。なら、わざわざこんな高そうな装置を使って殺すはずがない。

 ガシンはまな板の鯉の気分で、次々襲い来る奇怪な音や光に耐え続けた。


 数十分後、ガシンはぐったりとして床に座り込んでいた。

「検査が終わったからこれは返すわね。」

女医が服や魔道具を入れたかごをガシンの前に置いた。

「もう銀盤の中身を調べ終わったのか。」

「ざっくりとだけどね。そもそも、人間スキャンで害意がないと分かれば、所持品の検査をする必要もないのよね。」

ガシンの怪訝そうな顔を見て、女医はぴんと人差し指を立てた。

「ガシン君。君の望みは亡き恋人のエシャさんに会うこと。エシャさんとは幼馴染で、高校時代に付き合いだしたのね。うふふ、高校生らしい健全なお付き合いじゃない。このクリスマスデートは、エシャさんHを期待してたんじゃないかな。」

「何故、それを。」

ガシンは驚いて、机の角に頭をぶつけた。

「何だ、知らないの? 今、あなたが受けたのは人間スキャン。あなたの体の隅々まで、脳に刻まれた記憶や感情の欠片まで、丸裸にする、戦前の超魔法よ。あらあら、ガシン君ったら、初めてのHでは加減が分からなくて――」

「止めろ。」

ガシンが立ち上がって睨むと、女医は肩をすくめた。

「塔都中央魔道具『魔界』に収められた、エシャさんの人間スキャンデータと対話したいという志望動機は不純だけど、特に反社会的な点は認められないわ。昨日の事件で、メッシ君に含む所があるようだけど、これも通常の人間関係の範囲内。塔都魔法士になるのに大きな問題はないわ。」

女医は書類に承認印を押してガシンに渡した。

「――ここの人間スキャン機、そんなにスキャンの予定が詰まっているようには見えないんだが。」

ガシンが言うと、女医はぱらぱらファイルをめくり、

「キド君のことね。残念だけど、この人間スキャン機は完全なスキャンをするから、動かすのにいたくお金がかかるの。私らの一か月分の給料が吹き飛ぶくらいにね。かわいそうな子供全員に受けさせてたら、あっという間に塔都の財政は破綻よ。」

ガシンはゆるゆると首を振ると、部屋を後にした。

 廊下の先にゲートがある。ガシンはゲートをくぐって、魔法タワーに入った。


 ロビーには小柄な女性が待っていた。年の頃はガシンより少し下。ショートカットで活発そうな印象だ。女性はガシンの姿を認めると、にっこりと微笑み、

「私、メッシの部下で、塔都空樹副長を務める、キンキと申します。本日はガシンさんをご案内致します。」

とびしっと敬礼した。それから、

「午前中のペーパー試験の部屋はこちらです。」

と歩き出した。キンキが壁のボタンを押すと、両開きの扉が左右に開いた。中はトイレ程の広さの何も無い小部屋で、扉の横に、多数のボタンがついている。そのうちの一つを押すと、扉が閉まった。直後、体に重力を感じ、ガシンはたたらを踏んだ。扉の外では妙な機械音がしているが、部屋の中には特に変化はない。滅菌室か何かだろうか。

 やがて、扉が開き、外に出たガシンは驚愕した。先ほどとは廊下の色が変わっていたからだ。何と素早い魔法だ!

 ガシンの驚きに気づいたキンキが、笑いながら、エレベーターという乗り物について説明してくれた。

 キンキは廊下の途中、給茶機の前で立ち止まり、

「試験前にコーヒーでもいかがですか。」

と言って、紙コップに二人分のコーヒーを注いで両手に持ち、書類を脇に挟んで再び歩き出した。

「私が持ちましょうか。」

「大丈夫です。それより、この廊下は滑りやすいので気をつけて下さいね。」

キンキは派手に転倒し、コーヒーまみれになった。

「・・・・・・えっと、試験会場は突き当たり一番奥の部屋なので、先に行って待ってて下さい。」

「何か手伝いましょうか。」

「大丈夫です。試験は時間通り始めますので。」

キンキは言うやいなや、猛然と廊下を走っていった。


 ペーパーテストは五年間猛勉強を続けてきたガシンには簡単だった。試験時間は三時間だったが、一時間半で解き終わってしまい、一時間以上残して回答を提出した。キンキは、

「それではお昼までこの部屋でお待ち下さい。」

と一礼し、部屋を出て行った。

 ガシンは手持ち無沙汰に椅子に座っていたが、やがて立ち上がり、窓辺に寄った。カーテンをめくると、絶景が広がっていた。

 建物がぎっしりと建ち並び、塔都の縁まで続いている。大通りを豆粒ほどの馬車がゆっくりと進んでいく。低い建物の群れの中、塔都空樹だけが、にょっきりと天にそびえている。全てが箱庭のようで、数百万もの人がこの中で生きていることに現実味がなかった。

「魔法タワーからの眺めは気に入って頂けたかな。」

ガシンが慌てて振り向くと、部屋の中央にハジャ魔法長が立っていた。扉を開けて入ってきたはずなのに、全く気配がしなかった。

 ガシンが立ち尽くしていると、魔法長が近づいてきて手を差し出した。握手を交わす。

 魔法長はにこやかな笑みを浮かべているが、眼光は鷲のようだ。人間スキャン機以上に、何もかも見透かされているようだ。

「せっかくだから、魔法タワーを案内しよう。」

魔法長はローブを翻すと歩き出した。ガシンも後を追う。二人はエレベーターで二階へ降りた。

「ここが購買部だ。年度末など、泊り込みで仕事をすることもある。そんな時でも対応できるよう、品揃えは充実している。」

魔法長の言葉通り、十六畳程の店内に、ぎっしりと、それでいて整然と商品が並んでいた。

 パン、握り飯、即席めん、瓶入り果汁に鉛筆、消しゴム、雑記帳。魔法書から娯楽小説まで様々な書籍が並び、歯ブラシ、髭剃り、下着に傘。まるで、パン屋、弁当屋、文房具屋、服屋など、十種類ほどの店を一店に凝縮したかのようだ。

 中でもガシンの心を捉えたのは、色鮮やかな舶来菓子だった。クッキー、パイにアイスクリーム。そしてチョコレート。

 ああ、チョコレート。六年前にエシャにもらって初めて食べたチョコレート。あの甘美な香り、口どけ。舌に広がる芳醇な甘み。あの絶佳が目の前に!

「それでは次を案内しよう。」

魔法長が歩き出したので、ガシンは後ろ髪を引かれ、十三回も振り返りつつも、後を追った。


 同じく二階。

「ここが床屋だ。私はいつもここで刈っている。」

 四階。

「ここが休憩室だ。シャワーもついている。」

 そして五階。

「ここが管制室。塔都魔法士ネットワークの中枢だ。」

フロアの半分を占める空間で、数十名のオペレーターが魔法具を操り、マイクで言葉を交わしている。前方の大スクリーンには、塔都全域の地図が映し出されている。その中に十数本の太い線が走っている。

「念土を利用した通信網だよ。これがあれば塔都西端のオギク砦ともリアルタイムで話が出来る。大戦前は電話と呼ばれていた超魔法だ。」

魔法長は視線を後方に転じた。

「この部屋の隅にも架かっているだろう。電話の受話器というものだ。受話器を取って耳にあて、番号表に従ってボタンを押せば、離れた場所とも話せる仕組みだ。」

魔法長は、感心するガシンを見て、満足そうに頷いた。

「最後に、もう一個所。職員でもなかなか入れない場所をお見せしよう。」


 魔法長はエレベーターを呼び出すと、並んだボタンの下のスリットにカードを通し、複雑な操作をした。

 エレベーターが動き出す。扉の上で光っている数字がどんどん左へと移っていく。どうやらこれが現在の階数を表しているようだ。光が1に達しても、まだエレベーターは止まらない。全ての光が消えた所で、がくんという反動と共に、動きが止まった。扉が開く。一面の暗闇。そこに魔法長は足を踏み出した。ガシンも後に続く。背後でエレベーターの扉が閉まると、辺りは完全な闇に包まれた。静寂の中、魔法長の靴音だけが響いている。

 目が慣れるにつれ、小さな灯りが一つ、二つと浮かび上がる。天井は低く、狭い廊下の両側に壁が続いている。辺りにはすえた臭いが漂っている。

 歩き出したガシンは、ふと横の壁に目を遣った。壁には所々に郵便受けのような穴が開いている。その穴の奥でぎらぎらとした二つの目がじっとこちらを見つめていた。反対側の壁に目を移す。目が壁の穴に吸い寄せられる。またしても、その奥には、恨みのこもった瞳が光っている。

 目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目。

 無数の目が壁の向こうで息を潜め、じっとこちらを伺っていた。

 魔法長はそんな視線を気に留めることも無く、ずんずん前に進む。

 突然、ベルの音が鳴り響き、ガシンは身を竦めた。ベルの音はエレベーター脇の機械から発している。先ほど説明された電話だ。

 魔法長は駆け戻って受話器を取ると、二言三言話して受話器を戻した。

「すまんが急用ができた。十分ほどしたら戻る。」

ガシンが止める間もなく、魔法長はエレベーターに乗り込んだ。扉が閉まる。辺りは再び薄暗い静寂に包まれた。

 ここは恐らく地下牢。それも何かあった時、塔都魔法士がすぐさま駆けつける必要があるような凶悪魔法犯を集めた地下牢だ。

 ガシンはつばを飲み込んだ。底冷えのする寒さだというのに、手の平にはじっとりと汗で湿り、拭っても拭っても湧き出てくる。

「よう、ガシン。久しぶりだな。」

 その声は、廊下の一番奥から聞こえた。光も届かぬその場所へ、ガシンは歩を進める。進むにつれ、全身の毛が逆立っていくのを感じる。

 奴と会ったのは一度きり。魔法大学の文化祭にエシャを訪ねた一度きり。声の記憶などあやふやだ。

 だが、進むにつれ、ガシンの予感は高まっていった。何よりこんな所にいる知り合いは一人しかいない。

 廊下の突き当たり。最も頑丈な、二重の鉄格子。その奥の四畳半程の空間。その中央に、誰かが座っている。

 ガシンは魅入られたかのように壁のスイッチを押した。灯りが点る。ガシンの意識が真っ白になった。

 ユイガ――ガシンの恋人エシャを殺した男が不敵な笑みを浮かべて座っていた。

 ガシンは吶喊しながら、格子の隙間から両手をねじ込んだ。その首をねじ切ってやろうと手を伸ばすが、ユイガには届かない。ガシンは両手を引き抜くと、魔道具を起動した。生成するのは槍。エシャが作り、エシャを殺した槍で、今度はこいつの肉をめったざしにしてやる。

 だが、いつまでたっても、槍は生成されなかった。ガシンは繰り返し、魔法の発動ボタンを押し続け、気づいた。

 ここは、魔法士用牢獄。ここにはひとかけらの念土もない。

 両腕がぶるぶる震え、爪が突き刺さった手の平から血が流れる。

 足元に目を落としてはっとする。靴紐を解くのももどかしく、ブーツを足からむしり取る。果たして靴底の溝に、少量の念土が挟まっている。

 ガシンは端子を靴底に突き立て、二メートルの『針』を生成した。

 ガシンは両手に握り締めた針を見た。牢の中のユイガを見た。針を見て、ユイガを見て、針を見た。それから目を閉じた。目を開けて、静かに立ち上がった。格子の隙間に腕をねじ込む。ユイガの眉間に狙いを定める。ゆっくりと腕を引く。鉄格子の向こうで、ユイガが片頬を持ち上げた。

 腕を突き出す。

 ガシンの針は牢屋の壁に突き刺さっていた。ユイガの頬に血の筋が浮かぶ。

「何故、笑う。」

ガシンは針を引き抜き、ユイガに突きつけ、問うた。ユイガは両手両足に頑丈な鉄枷をはめられ、黒く垢にまみれたぼろぼろの服を着ていたが、不敵な態度でガシンを見上げた。

「ハジャの奴がえげつないことをするものだと思ったのさ。塔都には死刑がないから、俺みたいな国家転覆罪人をいつまでも自分達の足元に飼っておかねばならない。奴としては、不安でならなかったんだろうよ。お前が殺してくれれば、万々歳だ。お前に全ての罪をなすりつけて、ここに収監しておけば良いんだからな。」

ガシンは背中に冷たい汗が流れるのを感じた。

「どうした、さっさとその針で俺を刺し殺せよ。俺の話を聞いてびびっちまったのか。恋人のためといっても所詮その程度の覚悟しかないのかよ。」

ガシンは目を閉じて大きく深呼吸した。

「ユイガ、何故、そんなに死にたがる。」

ユイガはガシンの言葉を鼻で笑った。

「俺は死にたい訳じゃない。ここから出たいだけだ。俺の肉体が滅びれば、中央魔道具『魔界』に格納された俺のデータが起動する。そこでの俺は自由に何でも出来る。こんなところに閉じ込められているより良いに決まってるだろう。」

ガシンは腕を震わせながらゆっくりと引き抜き、針を解体した。

「今ここで貴様を殺してしまったら、エシャに会うことは出来ない。それでは本末転倒だ。」

「良いのか。今を逃したら、こんなチャンスは二度と訪れないぜ。」

「うるさい。」

「『魔界』のエシャも今頃がっかりしてるだろうなあ。私の愛した人が、こんな腰抜けだったなんて幻滅だわ。」

「黙れ。」

「あの時だって、私が懸命に戦っていたのに、ガシン君ったら、指をくわえて見てただけだったものね。」

ガシンは慟哭した。牢に跳びかかり、滅茶苦茶に殴りつける。両手の甲はたちまち青黒く腫れ、血が飛び散る。どれくらい暴れ続けていただろう。ゆっくりと動きを止め、牢の灯りを消す。直後にエレベーターが開き、魔法長が現れた。

「これは君の適正を試すための試験だ。もし、ユイガを見て取り乱し、危害を加えるようなら、いかなる時も自制を求められる塔都魔法士たる資格はない。君はどうやら合格のようだ。」

ガシンは唇を噛んだ。

 ユイガが笑い始めた。体をくの字に折り、乾いた声で笑い続けている。

 魔法長とガシンは黙って地下牢を後にした。

「この後、一緒にランチでもどうかね。」

ガシンは不承不承頷いた。

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