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念土遊戯  作者: 東雲長閑
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空樹の町4

 シンジ地区。塔都最大の繁華街にして無法地帯。蟻の巣のように張り巡らされた裏路地に政府の目は行き届かない。代わりに辺りを牛耳るのは、蛇頭、ヤクザ、マフィアといった国際色豊かな連中だ。

 ガシンとオンコは地図を見ながら、シンジ地区の裏路地を歩いていた。増築に増築を重ねた違法建築が空を覆い、そこかしこで闇煙草の煙が上がる。先ほどからずっと無数の胡乱げな視線を注がれているのを感じる。

 路地の角を曲がるとナイフが飛んできて、二人の間をすり抜け、後ろの壁に突き刺さった。路地の奥では屋台の赤提灯に集った、数人のスジ者が、にやにやしながら、こちらを眺めている。オンコは壁のナイフを引き抜くと、悠然と屋台に歩み寄った。

「落し物だ。」

オンコがナイフを差し出すと、屋台は静まり返った。

「ほっほっほ。胆の据わったお嬢さんだ。」

奥で飲んでいた白髭の翁が出てきてナイフを受け取った。

「この辺に何ぞ御用でしょうかな。」

「『バジ屋』という魔道具屋を探しているのだが。」

バジ屋の名を聞いた途端、屋台の男共が一斉に懐に手を突っ込み、ガシンは周囲に二十本の念土の槍を生成した。

「まあ、待て。」

翁は両手を広げ、

「見たところ、政府の手入れというわけでもなさそうじゃ。堅気のお客さんがいらしたって構わんと違うか。」

屋台の連中とガシンは構えを解いた。

「だが、残念ながら、バジ屋は店主が買いつけに出かけていて休業中じゃ。明日の晩戻る予定じゃから、明後日来なされ。」

二人は一礼すると、路地を立ち去った。表通りに出て、ガシンはほっと息を吐いた。

「無鉄砲な奴だな。肝を冷やしたぞ。」

オンコは歩きながら沈思黙考していた。

「そうか。どうも私には恐れという感情がないらしい。」

飄々と告げる。

「恐れ知らずも大概にしないとそのうち命を失うぞ。」

「そういうガシンこそ、笑った所を見たことがない。笑い知らずか。」

今度はガシンが黙る番だった。一分ほど歩いた後、ガシンが口を開いた。

「どうやら俺は、笑うという感情を無くしてしまったらしい。」

ぽつりと付け足す。

「エシャが死んだ五年前からな。」


 二人は帰りにロッポ地区に立ち寄った。塔都魔法士試験の受験生達に、魔法庫を借りられないか交渉するためだ。二手に分かれてしらみつぶしにホテルを回り、見たことのある顔を見つけては声をかけたのだが――


「政府の魔法士と戦うんだろう。壊れたらどうするんだ。」


「貸してあげたいのは山々なんだけど、私、今日で郷に帰るんだわ。」


「10000Y? そんな値段じゃなあ。」


 そして

「嫌だね。」

ホテルロッポのカジノルームで、ウカはすげなく言った。

「僕にあんな仕打ちをしておいて、よくおめおめとそんなことが言えたものだ。」

ウカはチップを持ってテーブルを移ろうとする。取りすがるガシンに冷たい視線を浴びせる。

「土下座でもするというのなら考えてやっても良いがな。」

ガシンは黙って膝をつくと、額を床にこすりつけた。絨毯に天井の扇風機が周期的に影を落とす。瀟洒な音楽が遠く聞こえた。

「やめてくれ。みんなが見ているじゃないか。」

ウカは気まずそうにガシンの肩に手をかけた。

「実は明日、在塔魔軍の入隊試験を受けるんだ。だから魔法庫を貸すわけにはいかない。」

ガシンが起き上がって、視線を送る。ウカは目を逸らした。

「裏切り者と思っているのか。だって仕方ないじゃないか。塔都七家の次期当主たる僕が、無職でいるわけにはいかないだろう。」

「特に何も言ってはいないが。」

ウカは視線をふらつかせると、声のトーンを変えた。

「そうだ、カジノで増やしたらどうだ。10000Yをルーレットの赤か黒に賭けて、三連勝すれば80000Yだ。八万あれば、光盤くらい買えるだろう。」

ウカはガシンを振り払うと、部屋へと戻っていった。

 ガシンは財布を取り出し、中身をじっと見た。コインを一枚取り出し、カジノチップに交換する。

 ルーレットのテーブルでは、艶やかな黒のドレスを纏ったクルーピエが玉を回転盤に放り込んだ所だった。ガシンは散々迷ったあげく、黒に張った。玉が落ちて赤の目で止まった。

 ガシンの所持金は、9821Yになった。


 翌日、ガシンは公園で子供達と遊んでいた。

 ガシン本人は、バイトをして、少しでも資金を稼ぎたい所だった。だが、オンコに、バジ屋の店主が戻ってくる明日まではすることがないだろう、と孤児院の子供達との遠足への同行を頼まれてしまった。オンコに昨日一日付き合ってもらっておいて、嫌とは言えないガシンだった。

 今日は体調が良いと言い張ったキドをガシンが背負い、一行はオシア公園へ向った。冬には珍しいぽかぽか陽気で、川沿いの公園には、多くの子供連れが集まっている。ガシンは眠っているキドを背負ったまま、エンリ院長の隣の芝生に腰を下ろし、オンコと一緒に遊んでいる子供達を眺めていた。


 今朝、エンリに再会したガシンは絶句した。エンリが肩まであった髪を切り、五分刈りにしていたからだ。

「・・・・・・出家でもするのか。」

ガシンが聞くと、エンリは苦笑いをしながら、

「ちょっとさっぱりしようと思って。」

と答えていたが、いくらなんでもさっぱりしすぎである。


 ドッジボールに飽きた子供らは、竹とんぼを飛ばし始めた。両手を何度も激しく掏り合わせてから、ばっと手を離している。本人は勢いをつけているつもりだろうが、何度も掏り合わせる意味はまるでない。

「私がもっとしっかりしてれば、子供達に楽な暮らしをさせてあげられるんですけどね。」

エンリがぽつりと言った。

「孤児院への補助が少ないのは院長のせいではあるまい。」

「金銭的なこともそうなんですけど・・・・・・」

エンリは子供達に目をやって続けた。

「うちの孤児院には父親代わりの人がいないから、子供達が心細く思ってるんじゃないかと。」

向こうから竹とんぼが飛んでくる。エンリは拾うと、両手を何度も擦り合わせて、向こうに飛ばせ返した。

「大丈夫。院長から子供達に、しっかり伝わっているものが一つあります。」

「何ですか。」

「竹とんぼの飛ばし方です。」

エンリはころころと笑った。

「ガシンさんがずっといて下されば良いのに。」

ガシンは顔が火照るのを感じ、視線を落とした。

 背中のキドが目を覚まし、大きく伸びをした。

「おい、ガシン。川を見に行こうぜ。」

ガシンはエンリに断ると、土手を上がった。目の前に大きく湾曲する川が広がる。キドが歓声を上げた。

 土手の道に沿ってしばらく歩くと、木製のベンチがあった。

「そこで下ろしてくれよ。」

ガシンはキドをベンチに座らせ、自分も隣に腰を下ろした。

 土手の上はマラソンコースになっている。二人の前を、コーチに先導された小学生の集団が通り過ぎた。

「エンリが髪切っただろ。あれ、俺のせいだ。俺が有料の人間スキャンを受ける代金の足しにするつもりなんだろう。――どうせ間に合わないけどな。」

「キド! 」

ガシンがたしなめる。だが、キドは透明な目で川を見ている。

「お前、オンコのことどう思ってる。」

ガシンはむせ返った。

「何言ってるんだ。オンコは俺の随分下だぞ。」

「歳は関係ないだろう。」

キドは顔をガシンに向けて、

「お前にオンコのことを頼みたい。」

ひどく大人びた顔で言った。

「あいつには何か、俺達にも言えないような秘密がある。それを抱えて一人で泣いてるんだ。」

キドはガシンの肩に手をかけて立ち上がり、

「だが、オンコの一番弟子だけは譲れねえな。お前は永遠に俺の弟弟子だ。」

「何を勝手に――」

立ち上がろうとしたガシンの言葉は途中で途切れた。空が回転し、ガシンは仰向けに土手に叩きつけられていた。

「武道にはな、見稽古ってのがあるんだよ。俺は何度も何度も繰り返し、オンコが技を繰り出すのを見て、この技――空気投げを会得したんだ。ざまあ見やがれ。」

キドが咳き込む。ガシンは慌ててキドの体を支えた。キドはガシンの腕をぎゅっと掴み、言った。

「男と男の約束だぞ。」

ガシンは黙って頷いた。


 孤児院にキド達を無事送り届けた二人はほっと息をついた。

「ちょっと寄って行きたい所があるのだが、良いか。」

オンコは言って、歩き出した。

 寄り道の先は墓地だった。乱立する墓石の中を、オンコは迷うこと無く歩いていく。

 そして、一本の卒塔婆の前で足を止めた。目を閉じて手を合わせる。ガシンも並んで手を合わせた。

「今日は師匠の命日なんだ。」

オンコが静かに言った。

「師匠はどんな人だったんだ。」

ガシンが聞くと、オンコは空を見上げた。

「そうさなあ。無口で頑固で偏屈で食い意地が張っていて――何と言っても師匠であったよ。」

オンコはバケツに水を汲んでくると、雑巾を絞って卒塔婆を拭き始めた。

「師匠との出会いは五年前になる。チンピラに絡まれていた私の前に颯爽と立ったのが師匠だった。師匠は十人ものチンピラ相手に怯むことなく立ち向かった。ちぎっては投げられ、ちぎっては投げられ、たこ殴りにされた。もちろん歳のせいもあるが、師匠はさして強くないのだ。私が助けなければ、どうなっていたことか。」

オンコは懐かしそうに目を細めた。

「あの頃の私は、自分がつまらない存在に思えてならなかった。しょっちゅうご飯を焦がしたり、バケツをひっくり返したり、洗濯物を破いたりしていた。ある時、私は師匠に聞いた。私は師匠の役に立っているのでしょうか。師匠は言った。お前がいるお陰で俺は師匠でいられる。お前がいなければ、俺は何者でもない。

 だから、師匠は何と言っても私の師匠なんだ。」

オンコは雑巾を固く絞るとバケツを持った。

「道場に帰ろう。」


 公園から戻ったガシンは道場の物置を漁っていた。オンコから、大戦前生まれの師匠の遺品が入っていたと聞いたからだ。人形の中に人形、そのまた中に人形が入った謎の置物や、直径一メートル程の謎の環状物体、どうやって開ければ良いのか分からない、市松模様の謎の箱など、ほとんどが、謎のがらくたばかりだ。そんな中、唯一の収穫が、手の平大の謎の箱だ。見るからに役に立たなそうな前述の物体達と異なり、その箱は、魔道具に似ていた。金属製だし、何よりいくつもボタンやつまみがついていた。

 ほこりを払って道場に持ち出し、あれこれいじっていると、突然、箱がしゃべった。

「うわあ。」

ガシンは思わず箱を投げ出した。オンコが近づいてきて手に取る。つまみをいじると、箱は、はっきりとした声でしゃべり始めた。

「これはラジオだ。師匠が死んでから見かけないと思っていたら、物置にしまってあったのか。」

ガシンはおっかなびっくり箱に近づき、指先でつついたり、息を吹きかけたりしていたが、害がないことが分かると、興味津々にその箱を眺め回した。大戦前に、しゃべる箱――ラジオがあったという話は知っていたが、実物を見るのは初めてだ。

「ラジオは大戦後、しばらく放送が途絶えていたが、数年前から、塔都政府が放送を再開したんだ。」

耳を澄ますと、男が、最近の出来事について話しているのが分かった。


 我らが塔都政府首相は、魔法連合大使との会談に臨み、塔都政府の自治権拡大に関する要望を行いました。これに対し、魔法連合側からは、逆に、塔都の魔法連合への併合が提案され、交渉は物別れに終わりました。大都の連合国併合以来、魔法連合との緊張が高まっています。塔都国民の皆さんは、今こそ一致団結し、自主独立の美風を守り抜きましょう!


 男が絶叫したので、オンコは音量を下げた。男はその後、ひとしきりしゃべった後、ようやく黙った。それからしばらく勇壮な音楽が流れてから静かになった。ガシンはラジオが壊れたのかと思ったが、オンコによると、単に放送終了だという。時計を見れば、はや十時だ。ガシンが電源を切ろうと手を伸ばした時、ラジオから甲高い、奇怪な音が聞こえた。音は断続的に続いており、明らかに人の声ではなく、また、音楽でもなかった。オンコに聞いても何だか分からないという。ガシンはラジオを消すと、床に入った。


 深夜、ガシンは、鯨に押しつぶされる夢で目が覚めた。目を開けると、オンコの顔が目の前にあった。視線を動かすと、オンコの体がガシンの体の上に覆いかぶさっている。ちょうど、抱き合っているような格好だ。

 それにしてもオンコの体は小柄なわりに重い。意外と太っているのだろうか。

 ガシンはもう一度寝ようとして目を閉じかけ、ばっと見開いた。

 何故、俺はオンコと同衾しているのだ。寝ぼけてオンコの布団にもぐりこんだのか。いや、違う。これは俺の布団だ。ならば、オンコの方からもぐりこんできたのか。俺に気があるのか。俺を手篭めにする気なのか。「お前、オンコのことどう思ってる。」キドの言葉が頭に浮かび、顔がかっと熱くなる。

 オンコはガシンにのしかかったまま動かない。逆光で、オンコの表情は良く分からない。

 ガシンの頭が茹で上がってくらくらしてきた頃、オンコが動いた。寝返りを打って布団を跳ね飛ばしつつ、ガシンを乗り越える。見ればオンコは熟睡している。単に寝相が悪いだけのようだ。

 ガシンが脱力して座り込んでいると、オンコは道場の床を数メートルもごろごろ転がって、壁にぶつかってやっと止まった。

 今晩はかなり冷え込んでいる。ガシンは道場の端から布団を取ってくると、オンコにかけた。

 道場の端から端まで転がるなんて寝相が悪いにも程がある。

 だが、昨日や一昨日は、こんなことは無かった。ガシンは首を捻りながら、布団に戻った。

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