空樹の町1
クリスマスの夜。堪えきれなくなった俺は、外出禁止令を無視して町へ飛び出した。恋人達が愛を囁いているはずの町は、大きな災厄を恐れ、息を潜めている。そんな中、塔都タワーだけが、オレンジ色の光を放ち、ぽっかりと浮かび上がっている。
タワーの明かりに向って走る。警備の魔法士を迂回しながら近づいていくと、やがて、光の中に、二つの人影が見えた。
一人はユイガ。塔都史上最悪のテロリスト。
一人はエシャ。塔都屈指の魔法士にして俺の恋人。
二つの人影は踊るように飛び回り、そのたびにタワーが崩れ落ち、その背を縮めていく。
エシャが放った槍がユイガの体に突き刺さらんとした刹那。槍が反転し、エシャの体を貫く。エシャの体はタワーに縫いとめられ、動かない。
俺は絶叫して駆け寄ろうとする。だが、警備の魔法士が行く手を阻む。無力な俺は声を限りに叫ぶことしかできなかった。
だから俺は――
第一部
二頭立ての乗合馬車が北へ進んでいく。幾多もの都市国家が乱立するこの地で、最大の都市、塔都へ向かう馬車だ。
車内は混み合っていた。向かい合わせの八人掛けの座席は全て埋まり、通路にも三人が腰を下ろしている。乗客の表情はおしなべて明るい。これから向う塔都で何を見るかといった話に興じている。
そんな浮き立つ車内の隅で、一人厳しい顔を崩さぬ男がいた。ガシンだ。
年の頃は二十代半ば。目深に被った灰色のローブからのぞく手足には、無数の古傷が刻まれている。傍らには馬車の天井すれすれまで届く、大きな布包みが鎮座している。
馬車が大きく跳ね、布包みがめくれ上がる。ガシンが布を直していると、前の停留所で乗り込んできた紅顔の青年が声をかけてきた。
「へえ。その大包みは魔道具。すると、あなたは塔都魔法士試験の受験生ですか。」
「ああ。」
ガシンはウカを鷹のような目で見返すと、低い声で答えた。ウカは顔を強ばらせたが、すぐに笑顔を作った。
「奇遇ですね。僕も魔法士試験を受けに行く所なんです。僕の名前はウカ。あなたは? 」
「他人にうかつに名など名乗るべきではない。」
ウカは肩を竦めた。
その時、窓から外を見ていた乗客から歓声が上がった。五十四階建て。塔都一の高さを誇るビル、魔法タワーが木々の間から姿を現したのだ。乗客の誰もが立ち上がり、一刻も早くその威容を拝もうと窓に殺到する。座っているのはウカとガシン、それに馬車の一番前に座る、極彩色のモヒカンを逆立てた男だけだ。
モヒカン男が立ち上がり、乗客の間を縫って後ろへ歩いてくる。ウカの前で立ち止まると、低い声で問うた。
「へえ、お前さん、塔都北家が嫡子、ウカかい。」
怪訝な顔でウカが頷く。モヒカンは嫌らしい笑みを浮かべた。
「こんな所に金づるが転がっているとはな。」
男は素早くウカを組み伏せると、首筋にナイフを突きつけた。
凶行に気づいた乗客が悲鳴を上げる。モヒカンはナイフを一閃して乗客を遠ざけると、御者に向けて叫んだ。
「おい、馬車を停めろ。停めないとこいつの命はねえぞ。」
「その必要はない。」
ガシンの言葉に、モヒカン男が怪訝な顔を向ける。その瞬間、男の姿が消えた。
突如、幌を突き破って現れた巨大な腕が男を鷲掴みにし、車外へ引きずり出したのだ。
ガシンは幌に空いた大穴から後方へ目をやった。地面からにょっきり生えた巨大な腕。腕の先の手のひらの中ではぎゅっと掴まれたモヒカン男が怨嗟の声をまき散らしている。だが、その姿はあっという間に小さくなり、木々の間に消えた。
ウカが身を起こし、ガシンに笑いかけた。
「今の『腕』、あなたの技ですよね。お陰で助かりました。」
「さあな。」
ガシンは表情を変えずに答えた。
「宜しければこの後、お礼に食事などいかがですか。塔都の宿がお決まりでなければ、私が手配しましょう。」
ガシンは頭を振った。
「俺は誰とも馴れ合わない。ことに魔法士とはな。」
乗合馬車は塔都有数の繁華街、ロッポの中心地に停車した。ガシンは重い布包みを背負って立ち上がる。馬車を降りると、北風が吹きつけた。太陽は傾き、魔法タワーの影を長く落としていた。
ガシンは逆光の中そびえ立つ偉容を目に焼き付けると、踵を返した。馬車の行き交うロッポ通りを東へ向う。通りには塔都外からの輸入品を扱う店が軒を連ねている。翌週のクリスマスを控え、どの店も、色鮮やかに飾り付けられている。
ガシンはその中の一軒の前で足を止めた。店に見覚えがあったからだ。店先には色鮮やかな髪飾りが並んでいる。ガシンは紅玉のかんざしを手に取った。以前エシャに買ってやったものだ。
「これはこれはお客さんお目が高い。今なら五万Yにおまけしますよ。」
ガシンはまじまじと老店主の顔を見返した。
「七年前には五千Yだったはずだが。」
老店主はやれやれという風に首を振った。
「お客さん、塔都を離れていなさったね。塔都はどこもかしこも物価が上がってひどい有様でさあ。」
ガシンはかんざしを戻すと店を出た。
ガシンは適当な安宿を探す気でいた。だが、これほど物価が上がっているとなると、野宿を覚悟しなくてはなるまい。
日の落ち、めっきり人通りが減ったロッポ通りを東へと歩き続ける。背中の布包みが肩に食い込む。寒風吹きすさぶ中、ガシンは黙々と歩き続けた。
一時間程歩いた頃、前方に大きな公園が見えてきた。ガシンは背中の布包みを背負いなおすと、歩を早めて公園に入った。手近な木の陰で立ち止まると、布包みを下ろす。肩を回すとばきばきと音が鳴った。
立ち止まるとたちまち汗が冷え、ガシンは身震いした。このまま夜を明かせば凍死してしまう。
ガシンは布包みから本のような形状の魔道具を引っ張り出した。魔道具を開き、そこから伸びたコードを地面に突き立てる。本の表面を叩くと、開いた片側がぼんやりと光を発した。ガシンは本型魔道具を膝の上に置くと、両手をその上で怪しく這い回らせた。
途端、公園の地面が波打った。四方から押し寄せた土は、どんどん膨れ上がり、ガシンを飲み込むように迫る。
だが、ガシンが生き埋めになることはなかった。波の先端同士がぶつかり合って、かまくらのような建物になったからだ。
塔都の大地には、念土と呼ばれる物質が堆積している。念土は魔法によって自在に形や固さを変える。一度生成された物体は、解体魔法をかけるまで崩れない。暗号を使った固化魔法をかけてやれば、ちょっとやそっとの解体魔法では崩れないため、建材に使うこともできる。塔都に存在する建物――魔法タワーを含むほとんどの建物が、魔法士が念土を使って造ったものだ。
ガシンはパンと干し肉で夕食を済ませると、寝袋にくるまった。魔道具に手の平大の黒い板を差し込むと、画面に女性の写真が映し出される。誕生ケーキのろうそくの炎を吹き消している写真。海辺ではしゃいでいる写真。何枚もの写真が次々と映し出される。
「エシャ。」
塔都に入って以来、厳しいままだった表情が和らぐ。ガシンはしばらく、エシャの写真を見続けていた。
明けて十二月十八日。魔法省前広場には、百を超える人が集まっていた。年に一度行われる塔都魔法士試験の受験生だ。皆、思い思いの魔道具を手にしている。
魔道具を作る技術は絶えて久しい。受験生達が手にしているのは、どこぞの倉庫や蔵などから発掘された骨董品だ。
そんな中でも、ガシンが背負った背丈程もある魔道具は飛びぬけて大きく、皆の注目を浴びていた。
「おっ、銀盤のウカだ。」
もう一人、受験生達の注目を集めている男がいた。ウカだ。
魔法士は二種類の魔道具を組み合わせて使う。魔法具と魔法庫だ。
魔法を実際に生成する魔法具に対し、魔法庫は魔法呪文を格納するのに用いる。魔法庫の性能は、どれほど多く、複雑な魔法を記録できるかによって決まり、MPという単位で表される。ウカの銀盤は4300MPの魔法容量を持ち、塔都魔法士でも持つ者が少ない希少な魔法庫。銀盤のウカの名は、魔法士になる前から、受験生達に鳴り響いていた。
魔法タワー五階の窓が開き、漆黒のローブに身を包んだ、屈強な男が身を躍らせた。飛び降りたかに見えた男は、ぴたりと空中に静止した。空中浮遊。いや、糸のような念土をビルの壁から伸ばして体を支えているのだ。
真紅の裏地が風にはためく。途端、広場が沸騰した。
「ハジャ! ハジャ! ハジャ! ハジャ! 」
誰もが拳を突き上げ、歴代最強と噂される魔法長、ハジャの名を呼んだ。無表情なのはガシンだけだ。
ハジャが両手を開くと、声がすっと静まった。
「諸君! 塔都の未来は君達のような向上心あふれる若人達によって切り開かれる。塔都魔法士試験にこれほどの人が集まってくれたことを、私は本当にうれしく思う。」
広場がどっと沸いた。ハジャは歓声が収まるのを待って、続けた。
「大戦から二十年。復興著しい塔都では、生活の隅々まで魔法が使われている。我が魔法省に求められる仕事も、従来のような治安維持や塔都防衛のみならず、魔法研究から街の整備まで多岐に渡っている。
塔都魔法士には、そんな魔法省職員四百を束ねるリーダーたる資質が求められる。魔法に長けているだけでは駄目だ。何より大切なのは高い志と不屈の精神だ。
塔都魔法士試験は毎年一名が合格できるかどうかの狭き門だ。だが、真になりたいと望む者なら必ずや突破できる関門であると私は信じている。四日後、ここで会えるのを楽しみにしている。」
ハジャはローブを翻すと窓の奥に去った。熱烈なシュプレヒコールが巻き起こる中、入れ替わるように、別の魔法士が進み出た。今度の魔法士は、せり出させた念土の床の上に立っている。
「試験の統括を任された魔法省空樹長のメッシだ。どうぞよろしく。」
メッシとガシンの視線が交錯する。メッシは視線を外すと、ゆったりと受験生達を睥睨した。
「君達には、今から第三魔法練士場に移動し、トーナメント方式で戦ってもらう。時間無制限で、相手を戦闘不能に追い込むか、場外に押し出すか、ギブアップさせた方が勝ち。最終的に勝ち残った一人だけが、四日後の二次試験に進める。以上だ。」
メッシは青のローブを翻し、タワーの中へと引っ込んだ。
第三魔法練士場は魔法士の鍛錬を目的とした施設で、魔法タワーから徒歩数分の場所にある。体育館四個ほどの広さがある大練士室には厚く念土が敷き詰められ、壁には隙間なく魔法結界が張り巡らされている。
ガシン達受験生は、壁に張り出されたトーナメント表に従って、四つのグループに分かれた。ガシンはDブロック。対戦相手はオンコ。ガシンには知らぬ名だ。もっとも、受験生の中でガシンが知っているのなど、ウカしかいないのだが。
各ブロックで次々に試合が始まる。Aブロックで歓声が上がり、ガシンは視線を向けた。ウカが登場したのだ。相手は対戦前から腰が引けている。
二人は試合場の中央で礼を交わすと、両隅へと散った。両者、魔道具を展開する。ウカの対戦相手は魔法具から伸びた端子を地面に刺している。一方、ウカは超然と立ったままだ。ウカの魔法具は念土に無線で魔法術式を送る高級品なので、端子をセットする必要がないのだ。
「始め! 」
審判が告げると同時に、試合場の中央に人の体の三倍はあろうかという巨大な手が出現した。ウカの作った念土の手――『巨人聖掌』。銀盤以上の魔法庫を必要とする、高等魔法だ。
手が瞬く間に相手に覆いかぶさり呑みこむ。相手がいた場所には念土の小山だけが残されている。
審判がウカの勝利を告げると、静まり返っていた会場に歓声が巻き起こった。引き戻された念土の下から現れた対戦相手までもが、拍手を送っている。
「あのスピードなら、かわせそうだな。」
右下から声がした。ガシンが目を向けると、小柄な少女が腕組みをしてウカをじっと見つめていた。ローブ姿の受験生達の中にあって、一人、柔道着を身にまとっている。
「・・・・・・エシャ。」
ガシンは目を見開いた。少女の顔がガシンの亡き恋人、エシャに生き写しだったからだ。だが、良く見れば、ロングヘアーのエシャと違いショートカットだし、何より表情が違う。エシャはこんな男のような表情はしない。
顔を上げた少女と目が合う。少女が口を開いた。
「お主はどう思う。ウカ殿に勝てそうか。」
「さあ。だが、ウカが銀盤の力を最大限使いこなせていないことは確かだ。」
少女は首をかしげた。
「良く分からぬが、お主も銀盤を使っているのか。」
「いや、軟盤だ。お前は? 」
「私は魔道具など使わぬ。魔法には疎いものでな。」
ガシンはまじまじと少女を見た。これは魔法士試験だ。こいつは魔法に疎いのに魔法士試験を受けるというのか。
「私――オンコが使うのはこの体よ。」
少女は拳で胸を叩いた。
一回戦の対戦相手だった。