第1話:18歳、純潔最後の夜。
豊かで深い森に囲まれた南の国・ロレーシア王国。
その中央にそびえるロレーシア城は、古い石造りの高い城壁に囲まれ、広大な敷地の庭には色とりどりの薔薇が咲き乱れているが全て綺麗に整備されており、とても豊かな国であることがうかがえる。
城の大広間には夕陽が差し込み、大理石の床は黄金色に輝いていた。
重厚なシャンデリアの下、長いテーブルには豪華な食事――芳醇な香ばしい香りを放つローストした鶏肉、輝くように色鮮やかな野菜のサラダ、まるで宝石のような甘い果物のデザートたち――が並んでいる。
でもわたし……カリン・フォン・ロレーシアの心は、そんな華やかさとは裏腹に、どんよりと曇っていた。
わたしは今日で18歳になる。
普通の王女なら、舞踏会や求婚者で賑わう胸が躍るような年頃だっただろう。
しかしわたしは今、まるで死刑宣告をされ、最後の晩餐をふるまわれているかような心境にあった。
すべてはあの「青いカエル」のせいだ。
こんなに豪勢な食事を前に、本来なら楽しいはずの食卓であっただろう。
しかし、国王である父上も、亡くなった母上の後妻として王妃となられたお義母さまも、まだ無邪気な年頃の義妹エミリアさえも、誰一人口を開かず、ただただ冷たい銀のフォークとナイフが食器とこすれあう音だけが響いている。
空気は張り詰め重く、まるで喉を締めるように圧迫をしてくるので、食事は全く進まない。
突然カエルが、低く落ち着いた声で口を開いた。
「姫。今日で姫は18歳となりました。」
「私とお約束の「同衾」をしてはいただけないでしょうか」
その言葉に、わたしは口に含んでいた鴨の肉を吹き出しかけ、さらにフォークを落としそうになった。
――10年前、「禁戒の森」の池で溺れたわたしを助けた見返りに、このカエルは城に住み着き、あれこれと次々に無理な要求をしてきたのだった。
―――――
1、この南の国の城に自分も住ませること
2、同じ食卓で食事をすること
3、カリンが18歳の日の夜に自分と「同衾」すること
―――――
はじめは住む場所もないという命の恩人を哀れに思い、城に住むことを許してあげた。
しかし、しばらくすると今度は「同じ食卓で食事がしたい」と言い始めた。
そしてまたしばらくすると、今度は「カリン姫が18歳になったら、姫と「同衾」させてほしい」と要求してきたのだ。
「同衾」って……どんどん要求が高くなってきてるじゃないの!!!
どうやらこの「青いカエル」、誰もが恐れる「禁戒の森の魔女」の呪いが絡んでいるらしく、情けないことにこの国の者は皆恐れをなし、王である父上でさえも逆らうことができない。
お陰でわたしは「カエルに魅入られた姫」「近寄ったら呪いがうつる」と国中の者に囁かれ、城から出ることも禁じられ、強大な力を持つ隣国の王子との縁談はすべて破談になってしまった。
目が覚めるような青いカエルが熱い眼差しでじっとこちらを見ている。
体長15センチほどであろうか、真っ青なその身体には不気味で禍々しい黒い斑点があり、触れたら危険であることを本能的に感じさせる。
やはり魔女に呪われたカエルなのだろうか?
10年間の最後の願いだというけど、この奇妙な約束を果たしさえすれば、本当にカエルは去ってくれるのだろうか?
約束を破ったら、魔女の呪いがどんな災厄を招くかわからない。
しかしわたしは、最後の希望としてすがるように父上に尋ねてみた。
「お父さま……わたしはどうしてもカエルと同衾せねばならないのでしょうか」
父上は深く長い溜息をつき、皺の寄った額を擦った。
国王として国を治める重責を背負う人だが、母上が亡くなって以来目に見えて老け込んだように思う。
父上は重苦しく口を開いた。
「……あのカエルには恐ろしい禁戒の森の魔女の呪いがかかっている。約束を破ったら何が起こるかわからない」
「それに……」
「約束したのであれば、何があっても守らねばならない。それが代々伝わるロレーシア家の家訓であるからだ」
そこで突然、義妹のエミリアがくすくすと笑い声を漏らした。
「ぷーーー!くすくすくす……そうですわよ、お義姉さま!」
「その約束を果たせば、その薄汚いカエルは出て行ってくれるというんですから。方々からも「カエルに魅入られた姫」などと呼ばれて、今のままではロレーシア家の体裁が悪くてこの城を出してももらえないじゃないですか」
「それに、この東西南北にある国の中で最強の軍事力を誇る西の国の王子・レオン様とお義姉さまとの縁談も、この薄汚いカエルの噂で破談になり、彼はわたしと婚約する事になったじゃありませんか!」
エミリアは16歳になるお義母さまの娘で、わたしとは血は繋がっていない。
なぜかいつもわたしをライバル視して、なにかとつけて優劣をつけて突っかかってくるのは、繊細な年頃のせいなのだろうか。
広間に響き渡るような高笑いをしながら、エミリアは続けた。
「お姉さまの幼馴染で結婚の約束をなさっていた東の国のルカ様は、行方不明で父上である王も重い病気にかかられているとか……? 呪われたカエルに魅入られてしまったお義姉さま、ルカ様の事はもうお忘れになって、このカエルとご結婚なさったらどうですの?」
エミリアは美しくウェーブの入ったボブ丈の錦糸の髪を揺らし、意地悪く目を細めて言った。
わたしは胸が締め付けられるような痛みを感じた。
ルカ……東の国の王子。
あの優しい笑顔、青い瞳、今でもしっかりと胸に焼き付いている。
片時も忘れたことがない。忘れるわけがない。
ルカを思うと、まるで火がついたかのように顔に熱が集まり、大粒の涙がこみあげてくる。
しかし今は、わたしにはなにも言い返すことができなかった。
なぜならルカは、エミリアの言うとおり、10年前に忽然と姿を消してしまったのだから。
まるで、このカエルと入れ替わってしまったかのように。
わたしは溢れ出そうな涙を堪えた。
この晩餐は、まるでわたしの運命を嘲笑うためのようなものだった。
カエルは相変わらず、じっとわたしを見つめている。
その視線は、わたしを追い立てるほどに微塵の揺らぎもなく、ただ真っ直ぐに。
18歳の誕生日の食卓が、こんなにも苦しいものになるとは……。
そして、わたしを祝うはずだった誕生日の食卓は終わりを告げた。
同時に「約束」の時間が迫る合図となる。
心の中でルカの名を繰り返す。
『ルカ、あなたはどこにいるの?』
『 ルカ、どうして助けに来てくれないの?』
『ルカ、わたしはもうあなたの花嫁にはなれません……』
大広間の窓から外の星空が見える。夜はまだ始まったばかりだ。




