第5話 ギルド長の正体と急接近
「……帰りたい」
豪華な馬車の中で、向かいに座る大男が呻いた。
レオンハルトだ。
いつものラフな革鎧ではない。
身体のラインに合わせて仕立てられた、濃紺の軍礼服に身を包んでいる。
首元が詰まっているのが苦しいのか、先ほどから何度も襟を引っ張っていた。
「諦めてください、ギルド長。これは業務命令です」
私は手元の書類──パーティー出席者のリストと、想定される商談のシミュレーション──に目を落としたまま答えた。
「あのギルバート様が『模範的なギルド経営』として上に報告してしまったせいで、王都の祝賀会に招かれたのです。欠席すれば、今後の補助金査定に関わります」
「あいつ、余計なことを……。俺は辺境で剣を振ってる方が性に合ってんだよ」
「では、挨拶回りは私がすべて引き受けます。あなたはニコニコと立っていてくだされば結構です」
私はパタンと書類を閉じ、顔を上げた。
「……っ」
レオンハルトと目が合った瞬間、彼が息を呑んだのがわかった。
琥珀色の瞳が、見開かれたまま固まっている。
「……なんだ、その格好」
「変ですか? 王都の夜会ですので、最低限のドレスコードには合わせましたが」
今日の私は、ギルドの事務服ではない。
深いミッドナイトブルーのイブニングドレス。
装飾は少ないが、光沢のあるシルク地が身体の線を拾う、大人びたデザインだ。
髪もいつものひっつめ髪ではなく、緩く編み込んで銀のバレッタで留めている。
眼鏡だけは外していないが(これがないと数値が見えない)。
「変じゃ……ねぇよ。ただ……」
彼は視線を泳がせ、咳払いをした。
「……似合ってる。見違えた」
「お褒めにあずかり光栄です。レンタル料は経費で落としますので」
「そこは素直に喜べよ!」
◇
ゼギラス通商連合国の王都「グランド・バザール」。
その中心にある迎賓館は、煌びやかな光に包まれていた。
会場に入った瞬間、圧倒的な熱気と、香水の匂いが押し寄せる。
祖国オルラリアの夜会とは違う。
あちらが「血統と見栄」の場なら、ここは「金とコネ」の戦場だ。
「さあ、行きますよギルド長」
私はレオンハルトの腕に手を添えた。
彼のエスコートはぎこちないようでいて、私の歩幅に完璧に合わせてくる。
「あら、あれは……?」
「辺境の『猛獣』じゃないか。まさか本当に来ていたとは」
「隣の美女は誰だ? 新しい秘書か?」
ひそひそ話が聞こえてくる。
私は背筋を伸ばし、澄ました顔で歩を進めた。
ただの付属品ではない。「有能なパートナー」に見えるよう、計算された角度で微笑む。
挨拶回りは順調だった。
ギルバート様の「お墨付き」があるおかげで、大商会の会頭たちが次々と名刺を渡してくる。
「ほう、あの赤字ギルドを半年で黒字に? 素晴らしい手腕だ」
「今度、うちの帳簿も見てくれないかね?」
私は社交辞令を交わしながら、重要な情報を耳ざとく拾っていく。
(……やはり、噂は本当ね)
「聞いたか? 西のオルラリア王国、最近支払いが滞っているらしいぞ」
「ああ。『鉄の山組合』が取引停止を通告したとか」
「関わらない方がいいな。あの国はもう終わりだ」
シャンパングラスを片手に談笑する商人たち。
私の予想通りだ。
私が管理していた「信用の糸」が切れ、経済制裁の効果が出始めている。
(ざまぁみろ、と言いたいところだけど……まだ序章ね)
私は冷ややかにグラスを傾けた。
その時だった。
「おいおい、どこの田舎娘かと思えば」
粘着質な声が、私の思考を遮った。
振り返ると、華美な服を着た小太りの男が立っていた。
胸の紋章に見覚えがある。祖国オルラリアと取引のある、古参の貿易商だ。
「その古風な言葉遣い……オルラリアの女だな? さては、あっちで食い詰めて流れてきた売女か?」
男が下卑た笑いを浮かべ、私の肩に馴れ馴れしく手を伸ばしてきた。
「辺境のギルド長に取り入ったようだが、所詮は女だ。どうだ、俺の部屋に来れば、もっといい値を──」
バチィッ!!
男の言葉は、衝撃音によって遮られた。
私の頬が叩かれたのではない。
男の手が、空中で「弾かれた」のだ。
「……俺の連れに、気安く触るな」
空気が凍りついた。
レオンハルトだ。
彼が男の手首を掴み上げている。
その握力は、骨が軋む音を立てていた。
「い、痛ぇ! なんだ貴様、私は男爵だぞ! 無礼だぞ!」
「無礼なのは貴様の口だ」
レオンハルトの声色は、いつもの豪快なものではない。
冷たく、低く、そして絶対的な「威圧感」を孕んでいた。
琥珀色の瞳が、黄金色に輝いているように見える。
彼は男爵を引き寄せ、耳元で何かを囁いた。
「────」
私には聞こえなかった。
だが、その言葉を聞いた瞬間、男爵の顔色が青ざめ、次いで土気色に変わった。
彼はガタガタと震えだし、レオンハルトを──いや、レオンハルトの「赤い髪」と「瞳」を凝視した。
「ま、まさか……王家の……!?」
「失せろ。二度とその汚い面を見せるな」
レオンハルトが手を離すと、男は「ひぃっ!」と悲鳴を上げ、腰を抜かすようにして逃げ去っていった。
静寂が戻る。
レオンハルトは、何事もなかったかのように私に向き直った。
いつもの、少しぶっきらぼうな顔に戻っている。
「……わりぃ。怖がらせたか?」
「いえ。……助かりました」
心臓が、早鐘を打っていた。
今の彼は、私の知る「粗暴なギルド長」ではなかった。
人を従える者の、圧倒的な覇気。
そして、あの男爵の反応。
(赤い髪、琥珀の瞳……この国の王族の特徴と同じ)
私は彼を見上げた。
まさか、と思う。
けれど、否定しきれない証拠が揃いすぎている。
彼が時折見せる教養。ギルバート様との関係。そして今の威圧感。
「曲が始まるぞ」
レオンハルトが、不意に手を差し出した。
ホールの中央で、優雅なワルツが流れ始めている。
「一曲、付き合え。……これは業務命令だ」
彼は悪戯っぽく笑った。
その笑顔が、悔しいくらいに様になっている。
「……残業手当は、弾んでいただきますよ」
私はため息をつくふりをして、その大きな手に自分の手を重ねた。
今は、聞かないでおこう。
聞いてしまえば、この心地よい関係(上司と部下)が終わってしまう気がしたから。
引き寄せられる身体。
彼の腕は太く、温かい。
ダンスのステップなんて踏んだことがないはずの彼が、驚くほど自然に私をリードしていく。
重心移動も、手のエスコートも完璧だ。
「……あなた、ダンスがお上手ですね。ただの冒険者とは思えません」
「昔、死ぬほど練習させられたんだよ。……母上にな」
彼がふと、遠い目をした。
その横顔は、やはりどこか高貴で、寂しげだった。
シャンデリアの光の中、私たちは回る。
祖国では、夜会なんて苦痛でしかなかった。
壁の花として、「陰気な女」という陰口に耐えるだけの時間。
けれど今は、この会場の誰よりも注目されている。
そして何より──安心できる。
(計算外だわ……)
胸の奥が温かい。
この感情に、まだ名前をつけたくはない。
つけると、私の完璧な計算が狂ってしまいそうだから。
私は眼鏡の奥で瞳を伏せ、ほんの少しだけ、彼に身体を預けた。
今夜だけは、数字のことを忘れてもいいかもしれない。
そう思った瞬間だった。
会場の入り口が再びざわめき、泥だらけの伝令が走り込んでくるのが見えた。
「急報! オルラリア王国より、緊急の使者が参りました!」
音楽が止まる。
私の背筋が凍る。
甘い時間は、唐突に終わりを告げた。
現実(過去)が、私を追いかけてきたのだ。




