第4話 黒字化の魔法
「おい見ろよ! 今日のシチュー、肉が入ってるぞ!」
「マジか! しかも固いスジ肉じゃなくて、トロトロの角煮だ!」
昼時のギルド食堂に、野太い歓声が響き渡る。
一ヶ月前までは、具のないスープと固いパンが定番だったランチメニュー。
それが今では、厚切りのベーコンエッグ、新鮮な野菜サラダ、そして肉たっぷりのシチューが並んでいる。
私は二階の執務室からその光景を見下ろし、満足げにコーヒーを啜った。
「……投資対効果(ROI)、良好ですね」
「お前なぁ、あいつらを餌付けして何が楽しいんだ?」
向かいの席で、ギルド長レオンハルトが呆れたように言った。
彼は最近、広いはずの自分の執務机を使わず、なぜか私の作業机の隣に椅子を持ってきて仕事をするようになった。
狭い。筋肉の圧がすごい。
「餌付けではありません。福利厚生です」
私は眼鏡を押し上げ、説明する。
「食事の質を上げれば、冒険者の体調管理になります。病欠が減り、稼働率が上がる。結果、ギルドの手数料収入も増える。肉代なんて安い投資です」
「……理屈っぽいな相変わらず。まあ、あいつらが笑ってるならいいけどよ」
レオンハルトは頬杖をつき、琥珀色の瞳でじっと私を見た。
その視線が熱っぽい。
やはり、まだ私が不正をしていないか監視しているのだろうか。
これだけ黒字にしても信用されていないようで心外だ。
「さて、次は『制度改革』です。そろそろ彼らにも、未来への投資を覚えてもらいましょう」
私は新しい掲示物を手に、一階のホールへと降りていった。
◇
「共済……だぁ? なんだそりゃ」
冒険者たちが、掲示板に貼られた貼り紙を見て首をかしげている。
「簡単に言えば、『万が一のための貯金』です」
私は集まった彼らに声を張り上げた。
「毎月の報酬から、銀貨三枚を天引きさせていただきます」
「はぁ!? また金取るのかよ! せっかく手取りが増えたのに!」
「姉御、そりゃねぇぜ!」
ブーイングが飛ぶ。
やはり反発が来た。彼らの多くは「宵越しの金は持たない」主義だ。
「おいそこの、包帯を巻いているあなた」
私は騒ぐ男たちを無視し、端で腕を押さえていた若い冒険者を指名した。
「え、お、俺っすか?」
「その腕の怪我、治療院には行きましたか?」
「いや……金がなくて。自然に治るのを待とうかと」
「では、今日から適用されるこの『共済』を使ってみましょう」
私はカウンターからポーションと、治療費の引換券を取り出し、彼に渡した。
「共済加入者には、怪我の治療費をギルドが全額負担します。つまり、タダです」
「は……? マジで?」
「さらに、怪我で働けない期間は、過去の報酬実績に基づいて『休業手当』が出ます。もう、怪我をして借金まみれになる心配はありません」
ホールが静まり返った。
若い冒険者が、震える手でポーションを握りしめる。
「俺たちが……安心して引退できるってのか?」
「嘘はつきません。数字は約束を守ります」
私が断言すると、彼らの表情が変わった。
ただの天引き(コスト)が、命綱に変わった瞬間だ。
「姉御、俺も入る!」
「俺もだ!」
その時だった。
バンッ!!
入り口の扉が乱暴に開かれた。
冷たい風と共に、灰色のコートを着た数人の男たちが入ってくる。
先頭に立つのは、神経質そうな細面の男。
分厚い丸眼鏡の奥から、蛇のような冷たい視線を放っている。
「……随分と景気が良さそうですね、辺境ギルドの諸君」
ホールの空気が凍りついた。
「げっ、あいつ……王都の『毒蛇』ギルバートだ!」
「なんで国税局の査察官がこんな所に……!」
ギルバートと呼ばれた男は、カツカツと足音を立てて私の方へ歩み寄ってきた。
「私は国税局のギルバート。近隣の領地を巡回中でしたが……このギルドの収益が異常なほど跳ね上がっているとの噂を聞きましてね」
彼は私を見下ろし、冷笑を浮かべた。
「違法薬物の密売か、魔石の横流しか。……あるいは、粉飾決算か。徹底的に調べさせていただきますよ」
「……っ、やべぇ」
隣にいたレオンハルトが、なぜかサッと私の背後に隠れた。
いつもなら前に出て噛みつくはずの彼が、フードを目深にかぶり、気配を消している。
どうしたというのか。
(まあいいわ。相手をしてあげましょう)
私は一歩前に出た。
急激な黒字化は、必ず当局の目を引く。想定内だ。
これは「ピンチ」ではない。「プレゼンの機会」だ。
「歓迎いたします、ギルバート様。どうぞこちらへ」
◇
執務室の机には、私が作成した帳簿が山と積まれている。
レオンハルトは部屋の隅で、「俺はただの護衛だ」という顔をして壁と同化していた。
ギルバートは無言でページをめくり始めた。
その目は、「粗探し」をする狩人の目だ。
「……ふん。どうせ、適当な数字を並べただけでしょう。収入と支出がこうも綺麗に合うはずが……」
ペラッ。ペラッ。
ページをめくる手が、次第に止まる。
そして、速度が落ち、食い入るように数字を追い始めた。
「……なんだ、これは」
彼の額に汗が滲む。
「単式簿記ではない……? 借方と貸方、二つの側面から金の流れを記録しているのか? これなら、一円のズレも誤魔化せない……」
「複式簿記と申します。私が独自に体系化したものです」
私は静かにコーヒーを差し出した。
「ポーションの在庫管理、素材の買取原価、そして先ほど導入した共済金の積立予定表。すべてそこにあります。矛盾があればご指摘ください」
ギルバートの手が震えていた。
怒りではない。
それは、美しい芸術作品に出会った時の、畏敬の震えだった。
「……美しい」
彼はついに、帳簿から顔を上げた。
毒蛇のような冷たさは消え、そこには純粋な驚愕があった。
「無駄がない。不正の入り込む隙間もない。……君は、これを一人で?」
「はい。趣味ですので」
「趣味……!?」
ギルバートは絶句し、それから大きく息を吐いた。
そして、ふと視線を部屋の隅に向けた。
壁際に縮こまっているレオンハルトの方へ。
「……なるほど。あの『暴れん坊』が大人しくしている理由がわかりましたよ」
ギルバートは皮肉っぽく、だが少しだけ嬉しそうに笑った。
「え?」
「いいえ、独り言です。……疑って申し訳なかった。これは不正どころか、国が手本とすべき『完全な管理』だ」
彼は立ち上がり、私に深々と頭を下げた。
「君のような能吏が、こんな辺境に埋もれているとは。……王都に戻ったら、君の功績を上に報告させてもらう。ただし」
彼は意味深にレオンハルトを一瞥した。
「『優秀な管理者がいる』とだけ報告しておきましょう。余計な雑音が混じると、君の仕事の邪魔になるでしょうから」
ギルバートは帰っていった。
去り際、レオンハルトにだけ聞こえる声で「勉強は続けてくださいよ、殿下」と囁いたのを、私は聞き逃さなかった。
デンカ? 電化? 新しい魔導具の話だろうか。
「……はぁー、死ぬかと思った」
嵐が去った後、レオンハルトが椅子に雪崩れ込んだ。
「あいつ、俺が子供の頃の……いや、なんでもねぇ。とにかく、助かった」
「数字は万国共通の言語ですから。正しく扱えば、誰でも納得させられます」
私は帳簿を片付けようとした。
その時、レオンハルトの大きな手が、私の手の上に重ねられた。
「っ……?」
ビクッとして見上げると、彼は真剣な眼差しで私を見ていた。
「俺は、剣でしか仲間を守れねぇと思ってた」
彼の手は熱く、剣ダコで固い。
けれど、不思議な安心感があった。
「でも、お前は違う。お前は、その紙切れとペンで、俺たちの命も、未来も守ってくれたんだな」
「……仕事、ですので」
「仕事だけで、ここまでできねぇよ」
彼は私の手を、ぎゅっと握りしめた。
「ありがとな、ミラベル。お前が来てくれて、本当によかった」
ドクン。
心臓が、計算外の音を立てた。
至近距離にある琥珀色の瞳。
そこには、上司から部下への労いを超えた、何か甘い色が宿っているように見えた。
(……な、なに?)
顔が熱い。
冷徹なはずの私の脳内CPUが、処理落ちを起こしかけている。
これは「照れ」という感情だろうか?
未知のパラメータ異常だ。
「……て、手を離してください。仕事の邪魔です」
私は慌てて手を引き抜いた。
レオンハルトは「わりぃ」と笑ったが、その笑顔はいつになく優しかった。
私は背を向け、赤くなった頬を両手で包む。
調子が狂う。
数字は裏切らないが、この男は私の予測を軽々と超えてくる。
だが、私はまだ気づいていなかった。
今日、あの「毒蛇」ギルバートが持ち帰った報告書が、祖国に残された元婚約者たちにとって、致命的な「死刑宣告」の引き金になることを。




