第3話 経費削減の嵐
「今日から、ポーションの無料支給は廃止です」
朝のギルドホールに、私の声が冷徹に響き渡った。
ざわめきがピタリと止む。
数百人の冒険者たちが、一斉に私を睨みつけた。
「はぁ!? ふざけんな!」
「俺たちの命綱だぞ! 死ねってのか!」
罵声の嵐。
酒ジョッキが床に叩きつけられる。
殺気立った男たちが、受付カウンターへと押し寄せてきた。
私は眉一つ動かさず、眼鏡のブリッジを押し上げる。
想定内の反応だ。
「死ねとは言っていません。『無駄飲み』をやめろと言っているのです」
私は帳簿を広げ、突きつけた。
「先月のポーション消費数、三千本。対して、報告された負傷者の数は延べ二百人。計算が合いません。擦り傷程度で一本銀貨五枚もするポーションをガブ飲みしたり、余った分を街で転売したりしていませんか?」
「うっ……そ、それは……」
数人の男が視線を泳がせる。図星だ。
このギルドは「福利厚生」という名のザル運用で、湯水のように経費を垂れ流している。
「てめぇ! 新入りが偉そうに指図すんじゃねぇ!」
一人の巨漢が、私の胸ぐらを掴もうと身を乗り出した。
その拳が届く寸前──
ガシッ。
「……おい。俺の金庫番に手を出すな」
低い、地を這うような声。
レオンハルトだ。
彼が男の手首を万力のように掴み上げていた。
「ギ、ギルド長……! でもよぉ、この女がケチなこと言いやがって!」
「ああ、わかってる。ミラベル、あんまり虐めてやるな」
レオンハルトは私に向き直り、困ったように頭をかいた。
「ポーション代くらい、俺が出してやるよ。あいつらも命張ってんだ。気持ちよく仕事させてやりてぇ」
出た。
この男の悪い癖だ。
「親分肌」といえば聞こえはいいが、単なる「甘やかし」だ。
「ギルド長。あなたがそうやってポケットマネー──出所は知りませんが──で補填し続ける限り、彼らは一生、コスト意識を持てません」
私はレオンハルトの腰元を指差した。
彼が背負っている大剣。
柄の部分が擦り切れ、刃にも微かなこぼれが見える。
「それに、部下に振る舞う金はあるのに、ご自分の剣を研ぐ金はないのですか?」
「うぐっ……い、今は俺の話じゃねぇだろ」
「いいえ、あなたの話です。トップが身を削って部下を養う組織など、長続きしません。共倒れです」
私はため息をつき、提案を持ちかけた。
この脳筋たちを黙らせるには、論理よりも「現物」だ。
「賭けをしましょう、ギルド長」
「賭け……だと?」
「一週間。たった一週間でいいので、私の指示に従ってください。ポーションは申請制、採取した素材は泥を落としてから納品すること」
私はニヤリと不敵に笑う。
「もしそれで成果が出なければ、私はここを辞めます。逆に成果が出たら……その浮いたお金で、あなたの剣を『最高級メンテナンス』に出させていただきます」
レオンハルトの目が輝いた。
彼は実は、以前から街のドワーフ鍛冶師に頼みたい「特級研磨」があったのだ。
高額すぎて諦めていただけである。
「……面白ぇ。乗った!」
レオンハルトが拳を鳴らす。
「おい野郎ども! 一週間だ! 一週間だけ、この『ケチな金庫番』の言うことを聞いてやれ! ダメだったら俺が酒を奢ってやる!」
「へいへい、大将が言うなら……」
冒険者たちは渋々ながらも矛を収めた。
私は心の中で勝利の計算式を組み立てる。
勝算は百パーセントだ。
◇
そこからの私は、鬼軍曹と化した。
「そこのパーティ! ゴブリンの耳は川で泥を落として! 汚れたままだと『洗浄手数料』を引かれますよ!」
「はい、ポーションの申請ですね。……この程度の切り傷なら、ポーションではなく『薬草軟膏(コスト十分の一)』を塗ってください。効果は同じです」
「経費精算書の書き方が違います。やり直し!」
ギルドホールには、私の指示が飛び交った。
最初は「面倒くせぇ」と反発していた冒険者たちだが、三日目あたりから空気が変わり始めた。
「……おい、マジか。ゴブリンの耳、洗って出したら買取額が二割増しになったぞ」
「軟膏ですぐ治ったし、浮いたポーション代がそのまま報酬に上乗せされてる……?」
彼らは気づき始めたのだ。
私のやり方が、ギルドの金をケチっているのではなく、「彼らの手取りを増やしている」ことに。
現金なものだが、それでいい。
数字は嘘をつかない。
そして、一週間後。
「……集計が出ました」
夕方のギルドホール。
私は全員の前で、一枚の羊皮紙を掲げた。
「今週のポーション消費量は五分の一。素材の買取価格は、洗浄と分別のおかげで平均一・二倍に上昇」
私は眼鏡を押し上げる。
「差し引き、今週だけで金貨五十枚の『黒字』です」
しん、と場が静まり返る。
金貨五十枚。
それは、彼らが命がけで大型魔獣を一匹狩る報酬に匹敵する額だ。
それが、「無駄を省いた」だけで捻出されたのだ。
「す、すげぇ……」
「俺たちの稼ぎ、こんなにドブに捨ててたのか……?」
「そして、約束通り──」
私はカウンターの下から、一本の大剣を取り出した。
昨晩レオンハルトから預かり、私のコネを使ってドワーフの工房にねじ込み、徹夜の特急作業で仕上げてもらったものだ。
「ギルド長。あなたの剣です」
鞘から抜かれた刃が、夕日を浴びてギラリと輝く。
刃こぼれは完全に修復され、刀身には魔力を帯びた美しい波紋が浮かんでいる。
「特級研磨」に加え、「風の魔石」を埋め込んだ一級品だ。
「おおぉ……!」
レオンハルトが子供のように目を輝かせ、震える手で剣を受け取った。
「これだ……! 俺がずっと頼みたかった『剛炎仕上げ』……! すげぇ、羽毛みたいに軽くなってやがる!」
彼はブンッ、と剣を振るった。
風を切る音が鋭く響き、空気がビリビリと震える。
その切れ味は、素人目にも以前とは段違いだった。
「これが……経費削減の力か……」
レオンハルトが呆然と呟く。
私は小さく頷いた。
「我慢した分だけ、強くなれるのです。お金も、剣も」
「……参ったな」
レオンハルトは剣を収め、私を見てニカッと笑った。
「お前の勝ちだ、ミラベル。いや──『姉御』と呼ばせてもらうべきか?」
「やめてください。給料分働いただけです」
私がすげなく返すと、周囲の冒険者たちがドッと沸いた。
「すげぇや姉御! 俺の剣も直せるか!?」
「次の依頼、素材ピカピカにしてくるから高く買い取ってくれよ!」
彼らの目から、敵意が消えていた。
代わりに宿ったのは、尊敬と、これからの利益への期待。
単純だ。
けれど、この単純さが、今は心地よい。
「順次対応します。並んでください」
私が羽ペンを構えると、彼らは我先にと列を作った。
今度は怒号ではない。
活気ある、仕事の音だ。
その様子を眺めながら、レオンハルトが私の隣で小さく呟いた。
「……ありがとな。大事にするぜ、この剣も、お前も」
「え?」
聞き返すと、彼は「なんでもねぇ!」と赤くなって顔を背けた。
耳まで赤い。
(……変な人)
私は首を傾げつつ、帳簿に向き直った。
まあいい。
これで第一段階、クリアだ。
ギルドの赤字体質は改善の兆しを見せた。
だが、私はまだ知らなかった。
私のこの「小さな成功」が、遠く離れた祖国で、とんでもない波紋(経済制裁)を引き起こす引き金になることを。




