第2話 赤字ギルドの就職面接
国境を越え、ガタガタと揺れる乗合馬車に揺られること三日。
私はゼギラス通商連合国の辺境都市、ベルンに降り立った。
足腰は痛み、ドレスは埃っぽい。
だが、私はまず駅前の安宿でシャワーを借り、トランクから予備の服を取り出した。
紺色のシンプルなワンピースに、白い襟。
髪は乱れのないよう、きっちりとシニヨンにまとめ直す。
最後に、愛用の銀縁眼鏡を装着。
鏡に映るのは、疲れ果てた亡命者ではない。
一人の「有能な事務官」だ。
「……よし」
気合を入れ直し、私は街へ出た。
「……騒がしいわね」
第一声は、呆れを含んだものだった。
石造りの街並みは実用的で無骨。
道行く人々は皆、忙しなく歩き、大声で商談や交渉をしている。
優雅さの欠片もない。
だが、死に体だった祖国の王都とは違う、圧倒的な「熱量」があった。
(経済が回っている音だわ)
私は目的地へとヒールを鳴らす。
目指すは、街の中心にある「冒険者ギルド・ベルン支部」。
事前に得ていた情報によれば、ここは慢性的な人手不足で、経理担当者を募集しているはずだ。
ギルドの扉──というより、城門のような分厚い木戸を両手で押し開ける。
「おいコラァ! 計算が合わねぇぞ!」
「また引き間違えたんじゃねぇのか!?」
入った瞬間に飛んできたのは、怒号と熱気だった。
広いホールはカオスそのものだ。
依頼掲示板の前には人だかりができ、昼間から酒場スペースでエールを煽る冒険者たち。
そして窓口では、顔を真っ赤にした受付嬢が、大柄な男たちに詰め寄られていた。
「だ、ですからぁ! 規定の手数料を引きまして……」
「先週はもっと手取りが多かったぞ! ピンハネしてんじゃねぇ!」
男がバン、とカウンターを叩く。
受付嬢の目には涙が浮かび、手元のそろばんを持つ手が震えていた。
私は眉をひそめた。
暴力的な空気に対してではない。
あまりに非効率な「停滞」に対してだ。
(あの行列……処理待ちの冒険者が十五人。このままでは窓口機能が麻痺するわ)
計算が合わない?
違う。計算以前に、情報の共有ができていないのだ。
私はため息を一つつくと、スタスタと窓口へ歩み寄った。
男たちの後ろから、カウンターに置かれた買取明細を覗き込む。
オークの牙が二十本。ゴブリンの魔石が五個。
「……邪魔だ、どきな」
私は男の脇をすり抜け、震える受付嬢の手から明細書を奪い取った。
「あっ、あの……!?」
「黙って聞いて。オークの牙、単価は銀貨二枚ですが、破損品が三本含まれています。これは二束三文、ジャンク扱いで銅貨五枚換算」
私は早口でまくしたてながら、カウンターのペンを走らせる。
「ゴブリン魔石は質が良いですが、ご存知ないのですか? 先日の法改正で『魔石税』が二パーセント引き上げられました。さらにギルドの共済費積立が天引きされます」
男が呆気にとられた顔で私を見下ろした。
熊のような大男だ。
だが、数字という武器の前では、筋肉など無意味だ。
「つまり、先週より手取りが減ったのは『破損品の多さ』と『国の税率変更』のせいです。受付の方の計算ミスではありません。むしろ、彼女は端数を切り上げてあなたに有利な計算をしてくれていますよ」
私は再計算したメモを、バン! と男の目の前に叩きつけた。
「差引支給額、銀貨三十八枚と銅貨五枚。文句があるなら、こんなところで喚かずに税務署へどうぞ。……次の方、お待ちです」
男はポカンと口を開け、それからメモと私の顔を交互に見た。
ぐうの音も出ない正論。
何より、私の口調が「これ以上無駄な時間を取らせるな」という絶対的な圧力に満ちていたのだろう。
「……ちっ、わーったよ! ねーちゃん、ありがとな!」
男は大人しく金を受け取り、すごすごと引き下がった。
受付嬢が「は、はい……!」と目を丸くしている。
私は眼鏡の位置を直し、コホンと咳払いをした。
さて、デモンストレーションはこれで十分だろう。
「おい」
背後から、地響きのような低い声が聞こえた。
振り返ると、そこには赤い髪の巨人が立っていた。
身長は一九〇センチ近いだろうか。
鍛え上げられた胸板は、服の上からでも岩のようだとわかる。
琥珀色の瞳が、獲物を狙う猛獣のように私を射抜いていた。
(……猛獣ね)
威圧感が凄まじい。
だが、私は冷静に彼の服装を観察した。
着崩しているが、素材は上質。腰に下げた剣の手入れも行き届いている。
何より、周囲の冒険者たちが彼を見て背筋を伸ばしている。
「ここの責任者の方ですね?」
私は怯まずに問い返した。
男──ギルド長レオンハルトは、面白そうに口の端を吊り上げた。
「ああ、そうだ。いい度胸だな、お前。どこのお嬢様だ?」
「ミラベルと申します。職を求めて参りました」
「職? 冒険者か? 悪いが、その細腕じゃスライムも倒せねぇぞ」
「いいえ。私が倒すのは魔物ではありません」
私はカウンターの奥、執務室から溢れ出している書類の山を指差した。
「あの『未処理書類の山』という名のモンスターです」
レオンハルトの表情が引きつった。
図星だったらしい。
「……あれが見えるのか。地獄の入り口だぞ」
「経理および事務全般の担当を希望します。拝見したところ、このギルドの回転率は最悪です。金銭管理もザルでしょう。私が整理します」
「ハッ! 言うじゃねぇか」
レオンハルトは豪快に笑うと、近くにあった未決済の請求書の束を鷲掴みにし、私の前に積み上げた。
その高さ、約三十センチ。
「口だけのお嬢様じゃ務まらねぇんだよ。この『先月分の経費精算』、いつまでに終わる?」
試されている。
私は書類の厚みと、内容の雑さを瞬時に見積もった。
日付はバラバラ、領収書は汚れている、科目の仕分けもされていない。
普通なら三日はかかる量だ。
「……そうですね」
私は手袋を締め直し、眼鏡の縁に指を添えた。
魔力を流し込むと、レンズに微かな青い光が走る。
私の固有スキル『絶対計算』と、この解析眼鏡があれば──
「お茶を一杯いただく間に、終わらせます」
◇
三十分後。
執務室には、紙が擦れる音だけが響いていた。
「……おい、マジかよ」
レオンハルトが、執務机の向かいで目を白黒させている。
私の視線は高速で書類をスキャンし、手は自動筆記のように羽ペンを走らせる。
生活魔法『ソーティング(整頓)』の応用で、紙片がひとりでに空を舞い、三つの山に分類されていく。
『承認済み』『却下(記載不備)』『要・再調査』。
計算はすべて終了し、合計金額が算出されている。
「終わりました。ギルド長」
私は最後の帳簿をパタンと閉じた。
レンズの光が消える。
「結論から申し上げますと、このギルドは現在、深刻な財政難……いえ、『火の車』です」
「ぶふっ」
レオンハルトが飲んでいた茶を吹き出しそうになった。
「使途不明金が全体の四割。原因は、どんぶり勘定による過払いと、複雑怪奇な補償制度。それから……」
私はジロリと彼を睨み上げた。
「ギルド長、あなたの『ポケットマネーによる補填』です。公私混同も甚だしい」
レオンハルトは気まずそうに視線を逸らし、首の後ろをガシガシとかいた。
「いや、だってよぉ……金がねぇとあいつらも飯が食えねぇだろ?」
「その甘さが赤字を生むのです。今日から私が財布の紐を握ります。よろしいですね?」
私は有無を言わせぬ口調で宣言した。
これは交渉ではない。通告だ。
この惨状を見過ごすことは、私の会計士としてのプライドが許さない。
レオンハルトは、琥珀色の瞳をしばたたかせ、じっと私を見つめた。
その鋭い視線が、私の本質──あるいは、私が抱える事情のようなものを探っている気がした。
だが、彼はすぐにニカッと、太陽のような笑顔を見せた。
「気に入った! 合格だ、ミラベル! 今日からお前がここの金庫番だ!」
「……身元も聞かずに即決ですか?」
「俺の勘が言ってる。『こいつはすげぇ』ってな。それに、お前からは嘘の匂いがしねぇ」
野生の勘、というやつだろうか。
論理的ではないが、悪い気分ではなかった。
「では、試用期間の契約書を用意します。残業代はきっちりいただきますので」
「ガハハ! 高い女だな! だが、頼もしいぜ!」
彼がバンと私の背中を叩く。
衝撃で肺の空気が抜けた。
痛い。けれど、この痛みには悪意がない。
(……単純な人ね。でも、裏表はなさそう)
私は眼鏡の位置を直しながら、密かに息を吐いた。
王宮での、あのねっとりとした陰湿な空気とは無縁だ。
ここでは、数字と結果だけが評価される。
私は窓の外、活気に満ちたベルンの街を見下ろした。
祖国の王太子よ、見ていなさい。
あなたたちが捨てた「陰気な女」が、ここで何を成し遂げるかを。
「まずは……この汚い執務室の掃除からですね」
私は腕まくりをした。
私の新しい戦場は、ここだ。




