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金の亡者と言われた令嬢は貧乏ギルドを建て直す!  作者: 秋月 もみじ


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第1話 断罪の損益分岐点


シャンデリアの過剰なきらめきが、私の眼鏡のレンズに反射する。

王立学院の卒業パーティー。

本来であれば、未来ある若者たちが希望を語り合う場だそうだ。


けれど今、会場は凍りついたような沈黙に包まれている。


ホールの中心。

一段高い場所に立つ王太子オスカー様が、私を指差して叫んだ声が残響していたからだ。


「ミラベル・フォン・オーランド! 貴様との婚約を、この場を持って破棄する!」


周囲の視線が、一斉に私へと突き刺さる。

嘲笑、憐憫、そして下世話な好奇心。


私は、ゆっくりと眼鏡のブリッジを中指で押し上げた。

レンズの向こうで、瞬時に数値を弾き出す。


(会場の人口密度、約三百人。注目度、百パーセント。……この状況での弁明コストは、算出不能(エラー)ね)


私は表情筋を動かさないよう意識しながら、静かに口を開く。


「……理由をお伺いしても?」


「白々しい! これを見てもまだシラを切るつもりか!」


オスカー様が放り投げたのは、束ねられた羊皮紙の山だった。

バサバサと音を立てて、私の足元に散らばる。


私はその一枚を拾い上げた。

几帳面な筆跡で数字が羅列されている。

出金先は『鉄の山組合』。金額は、金貨五千枚。


──ああ、これ。

先月、北部の飢饉対策費の補填で借りた短期債務の、利子分の返済記録だ。


「その『鉄の山組合』なる怪しげな組織! 調べさせたぞ、実態のないペーパーカンパニーではないか! そこに架空の経費を計上し、国庫から金を横流ししていたな!」


オスカー様が勝ち誇ったように鼻を鳴らす。

その隣には、私の妹であるエリンが張り付いていた。

愛らしいピンクブロンドの髪を揺らし、怯えるようにオスカー様の腕にしがみついている。


「お姉様……酷いとおもいます。民が苦しんでいるのに、そのお金を自分の宝石やドレスに変えてしまうなんて」


エリンの瞳から、ポロリと涙がこぼれる。

美しい涙だ。

女優としての時給を払ってもいいくらいの出来栄えである。


私は足元の書類と、二人の顔を交互に見比べた。


(認識の齟齬(そご)が甚だしいわね)


オスカー様は「鉄の山組合」が、ドワーフ族の地下銀行の隠語口座だという基礎知識すらないらしい。

彼らは表には出てこない。だが、彼らへの返済が一日でも遅れれば、この国への鉱石輸出はストップする。


私が着服した?

とんでもない。

むしろ、私の個人資産と公爵家の予備費を注ぎ込んで、ドワーフたちを接待し、やっとの思いで返済期限を延ばしてもらったのがこの記録だ。


「エリン。貴女が今着ているその特注のシルクドレス。代金がどこから出ていると思っているの?」


私が尋ねると、エリンはビクリと肩を震わせた。


「そ、それは……お父様が……」


「父上の領地経営は三年連続の赤字よ。そのドレスも、オスカー様が私に贈ったことになっている最高級の宝石も、すべて私が『運用』で出した利益から支払われているのだけれど」


「嘘だ! 口から出まかせを言うな!」


オスカー様が遮るように怒鳴る。彼の瞳には、一点の曇りもない正義感が宿っていた。


「王族の予算が尽きるなどあり得ない! 税収は十分にあるはずだ。貴様がガメていなければ、もっと我々は豊かであるはずなんだ!」


彼の顔は本気だった。

心底、そう信じている顔だ。

「金は湧いてくるもの」だと教わって育った、哀れな権力者の顔。


(……ああ、そうか)


私の頭の中で、何かが冷徹に、パチンと弾けた音がした。


これまで必死に繋いできた糸。

国の信用という名の、細い細い糸。


それを切ったのは、私ではない。彼らだ。


私は脳内の電卓を叩く。


現状維持(ステイ)を選択した場合。

誤解を解くために、ドワーフ銀行の頭取を証人喚問し、膨大な帳簿を開示する必要がある。

だが、彼らに複式簿記を理解する知能はない。

説明に要する時間は数ヶ月。その間の精神的ストレス。実家の名誉失墜。

そして何より、私が身を粉にして働いたとしても、この王太子が上に立つ限り、国家財政はいずれ破綻する。


将来の期待値──マイナス無限大。


対して、撤退(ドロップ)を選択した場合。

横領の汚名は着るが、私は「王国の借金管理」という地獄のデスマーチから解放される。

隠し口座にある個人資産は、老後まで遊んで暮らせる額だ。


将来の期待値──プラス評価(黒字)。


(……損切り(ロスカット)のタイミングね)


今が底値だ。

これ以上、この優良物件ではない泥舟に投資し続ける理由は、論理的に存在しない。


スッ、と私の胸のつかえが取れた。

万年肩こりの原因だった重りが、消え失せた気分だ。


「……申し訳ございません」


私は深く頭を下げた。

謝罪ではない。決別の一礼だ。


「弁解の余地もございません。私の……不徳の致すところです」


会場がどよめく。

あっさりと罪を認めた私に、オスカー様が拍子抜けしたような顔をした。


「み、認めるのだな? 罪を!」


「はい。この国の金銭管理は、私にはあまりに荷が重すぎました」


嘘は言っていない。

あんなザル会計の尻拭いは、もう御免だ。


「よかろう! その殊勝な態度に免じて、極刑は免除してやる。だが、私の視界に入らぬよう、今すぐこの国から消え失せろ!」


「慈悲深いご配慮、感謝いたします。それでは、これにて」


私はドレスの裾を優雅に翻した。

未練がましい視線を向けることもなく、出口へと向かう。


衛兵たちが一瞬動こうとしたが、私が鋭い視線を向けると足を止めた。

王太子は「消え失せろ」と言った。

拘束しろとは言っていない。

ならば、私がここを立ち去るのを止める権限は、今の彼らにはない。


カツ、カツ、カツ。

ヒールの音が、軽快なリズムを刻む。


(急がないと。最終便に間に合わないわ)


ホールの扉を出た瞬間、私は早足になった。

回廊の陰で、あらかじめ用意しておいた地味な灰色のマントを羽織る。

目立つ銀髪をフードで隠し、華やかな正面玄関ではなく、食材搬入用の裏通用口へと向かった。


通用口の先、闇に紛れるようにして、一台の古ぼけた馬車が待っていた。

貴族用ではない。

隣国ゼギラス行きの、深夜の長距離物流馬車だ。


「予約していた、ミラベルです」


御者に金貨を一枚握らせる。

彼は帽子を目深にかぶったまま、無言で荷台を指した。


乗り込むと、中は木箱や麻袋で埋め尽くされていた。

客は私一人。

貸切状態だ。最高じゃないか。


私は木箱の隙間に身体を預け、大きく息を吐き出した。


「……ふぅ」


終わった。

私の、十年に及ぶ「公爵令嬢」という名の無償労働が終わったのだ。

あの煌びやかで息苦しい牢獄から、私は自分の足で脱出した。


ガタン、と馬車が動き出す。

遠ざかる王宮の灯り。

あそこでは今頃、悪役令嬢を排除した正義の勝利を祝って、一本数万ゴールドもするヴィンテージワインが開けられていることだろう。


私は懐から、ゼリー飲料のパックを取り出した。

魔導保存された栄養補給食。味気ないが、効率的なエネルギー源だ。

朝から決算処理で何も食べていなかったのだ。

キャップをひねり、甘い液体を喉に流し込む。


「ん……美味しい」


五臓六腑に染み渡る糖分。

これだ。私が求めていたのは、この安らぎだ。


ふと、窓の外を見る。

王都ルミナスの街並みが、闇に沈んでいく。


オスカー様もエリンも、知らなかっただろう。

明日支払期限を迎える商会への手形が、総額で一億ゴールドを超えることを。


そして、その支払承認印を押せる唯一の人間である私が、今こうして国を出てしまったことを。


「……精々、頑張ってくださいね」


私は眼鏡を外し、丁寧にハンカチで拭った。

レンズの曇りが取れるように、私の未来はクリアだ。


馬車は国境へ向けて速度を上げた。

懐には、隣国の銀行口座の通帳と、実印。

そして、私自身の頭脳という最大の資産だけを持って。


さあ、新しい職場(人生)へ出発だ。

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