崩壊する理想 ― 魔族マルバス
風が、焦げた。
大地は黒く焼け、空は血のように赤く染まっていた。
ここは――〈カルマの峡谷〉。
かつて五大魔帝の一人、“業火のマルバス”が封じられた地。
ユウキたちは、神界の使徒ノアからの警告を受け、この地へと向かっていた。
「五大魔帝の残り三体が、魔王復活の儀を進めている――」
その中心に、マルバスがいるという。
「……空気が違う。」
ライガが鼻をひくつかせる。
「この匂い、炎と……血だ。」
リリアが杖を構える。
「気をつけて。ここは“理”が歪んでる。世界そのものが、燃えているような……。」
ユウキは静かに頷き、剣に手を添えた。
「感じる。……強い魔力だ。」
峡谷の奥から、重い足音が響く。
――地そのものが鳴動しているかのような圧。
そして、姿を現した。
黒鉄の鎧を纏い、背に四枚の炎の翼を持つ巨躯。
紅の瞳が、灼熱の光を放つ。
「貴様が、“超越者”か。」
声だけで、大地が揺れた。
炎の魔帝――マルバス。
「俺は魔王陛下の軍勢の筆頭。
理想などという“人の戯れ言”を焼き尽くす者。」
ユウキは一歩前に出る。
「……理想を笑うな。お前たちが奪った希望を、取り戻すために俺はここにいる。」
マルバスが嗤った。
「ならば見せてみろ、希望とやらを。――我が“絶望の炎”で焼かれる前にな。」
轟音が走る。
マルバスが腕を振ると、空間が灼け、業火が奔った。
ユウキは即座に叫ぶ。
「――〈超越世界〉ッ!!」
蒼光が迸り、光の道が展開される。
理想の未来――“マルバスを倒す道”が見える。
ユウキはその“未来”へ踏み込む。
回避、反撃、連撃――完璧な戦略が脳裏に浮かぶ。
そしてその通りに動く。
だが――その瞬間。
マルバスの瞳が、こちらを見た。
その目が、“未来の先”を見ていた。
「……お前、まさか……!」
マルバスが嗤う。
「貴様の理想、その先を我は視たぞ。“絶望の眼”に映らぬ未来などない!」
――次の瞬間、“未来の道”が崩壊した。
光が歪み、ユウキの身体が弾き飛ばされる。
「なっ……!? 道が――消えた!?」
リリアが叫ぶ。
「ユウキ! 超越世界が、破られてる!!」
マルバスの両手に炎が渦巻く。
「貴様の未来など、我が“真炎の眼”で視尽くした。
理想はただの幻だ――未来を読まれる“理想”など、無力!!」
炎の拳がユウキを直撃する。
世界が反転し、視界が真紅に染まった。
「ユウキ!!」
リリアの悲鳴。
ユウキは地に叩きつけられ、血を吐く。
“未来”が見えない。
“道”が消えている。
〈超越世界〉の光が、完全に途切れていた。
「くそっ……! 動け……!」
だが、マルバスは歩み寄る。
その足音一つで、地が震える。
「愚かなる人間。理想を描くということは、己を欺くということ。
お前の力は“信念依存”。心が折れれば、何もできぬ。」
ユウキの剣が、指先から滑り落ちた。
「……俺は……まだ……!」
「否。お前はもう、“理想を信じられぬ”。
我が炎は、信念を焼く。心が燃え尽きた時――貴様はただの人間になる。」
炎が迫る。
熱が皮膚を裂き、呼吸が苦しい。
リリアが叫び、結界を展開するが、
その魔法は一瞬で焼き砕かれる。
「リリア! 逃げろッ!」
「いやよ! あなたを置いていけるわけない!!」
マルバスが手を掲げた。
その掌に、太陽のような火球が生まれる。
「終わりだ、超越者。」
ユウキは最後の力で立ち上がり、剣を構えた。
「俺は――諦めない……!」
だが、その声は届かない。
炎が全てを飲み込み、
光が、闇に変わった。
――静寂。
大地は灰になり、空は黒く染まる。
焦げた空気の中で、リリアの泣き声が響いた。
「ユウキ……お願い、目を開けて……!」
ユウキの身体は焼け焦げ、剣も砕けていた。
彼の瞳から、もう光は消えていた。
リリアの涙が頬を伝う。
「あなたの“理想”は、……どこへ行ったの……?」
マルバスは背を向け、静かに呟いた。
「人の理想など、脆いものだ。
……だが、我は忘れぬ。超越者。
お前の絶望が、新たな魔王を呼び覚ます。」
そう言い残し、炎の帝は闇の中へと消えた。
燃え尽きた大地の中で、
ユウキの手が、微かに動いた。
“理想を、信じたい――”
その想いだけが、彼を現実に繋ぎとめていた。




