虚骸の王 ― 記憶の果てにて
――黒い塔が、空を貫いていた。
漆黒の外壁は常に蠢き、まるで“生きている”ように呼吸している。
そこは〈虚骸の王ベルゼナ〉が支配する領域。
名を〈虚殻城〉と呼ばれる場所だった。
ユウキとリリアは、荒野を越え、その城の前に立つ。
空気は重く、息をするだけで精神を削られる。
「……ここが、最後の魔帝の城か。」
ユウキの声には、恐れよりも静かな覚悟があった。
リリアが小さく頷く。
「ここを越えたら、いよいよ魔王ね。」
「いや――もしかしたら、“魔王の始まり”がここにあるのかもしれない。」
ユウキの中に、かすかな痛みが走る。
胸の奥で、何かがうずくような違和感。
それは懐かしい記憶に似ていた。
重い扉を押し開けると、そこは無数の“人影”で満たされていた。
兵士、民、子供、老人――皆、うつろな瞳をして動かない。
だが、よく見ると彼らの身体の一部は“欠けて”いた。
「……まるで、魂を抜かれたようだ。」
リリアが震える声で囁く。
「ベルゼナの権能……〈虚骸界〉。
魂と肉体の結合を切り離し、“空の器”として支配する力。」
そのとき、頭の奥に声が響いた。
――《よく来たな、ワクラ・ユウキ。俺の記憶の継承者よ。》
ユウキは反射的に剣を構える。
「ベルゼナ……!」
黒の霧が渦巻き、王座の上に男の影が現れた。
かつては人間だった面影をわずかに残しながら、
全身が灰のように崩れかけている。
その瞳には、光も闇もない――ただ、“空虚”があった。
「……異世界転生者、かつては“神の勇者”。
俺の名はベルゼナ・クロウ。
そして、今は――虚骸の王だ。」
その声には、どこかユウキに似た響きがあった。
「お前も転生者……どうして魔族の側に堕ちた。」
ベルゼナは笑った。
だがその笑みは、痛々しいほどに壊れていた。
「堕ちた? 違う。
俺は“目覚めた”だけだ。
神は俺たちを駒として送り込み、理想を与えた。
だがこの世界の理想は、いつも血の上にしか成り立たない。」
ユウキが眉をひそめる。
「……だからお前は、世界を否定したのか。」
「否定したわけじゃない。“認めた”んだ。
理想は偽りだと。絶望こそ真実だと。
そして、“希望”は――何より人を壊す。」
ユウキの胸が痛む。
マルバスも、ルミエルも、そしてベルゼナも。
皆、何かを信じようとして壊れた。
だが、ユウキは剣を強く握り締めた。
「それでも俺は、信じる。
理想が嘘でも、絶望が真実でも――
“願い”は、誰にも奪えない!」
ベルゼナの瞳がわずかに光る。
「……その言葉、俺も昔はそう思っていた。
だが、願いはやがて“重さ”になる。
そして、お前もその重さに潰される。」
黒い霧が爆発し、城が震えた。
ベルゼナが立ち上がり、右手を掲げる。
その掌から、無数の黒い糸が伸びる。
「〈虚骸界〉、展開。」
ユウキの影が揺れ――突然、その“影”が形を取り始めた。
「なっ……!」
影の中から現れたのは、ユウキ自身だった。
だがその目は虚ろで、血のように赤い。
「……お前は……俺?」
ベルゼナが静かに告げる。
「お前の“理想の成れの果て”。
〈超越世界〉が進みすぎた先――
その結末が、“俺”だ。」
影のユウキが動く。
斬撃が交錯し、光と闇が爆ぜる。
ユウキはかろうじて受け止めながら叫ぶ。
「……お前は、俺じゃない!」
「いいや、違わない。」ベルゼナの声が響く。
「お前の〈超越世界〉の能力――“想い描く未来への道を切り拓く”。
それは裏を返せば、“他の全ての未来を切り捨てる”ということだ。
選ばれなかった無数の可能性が、こうして俺として残る。」
ユウキの動きが止まる。
その言葉は、心の奥を突き刺した。
「……それが、〈超越世界〉の代償。」
ベルゼナが静かに笑う。
「お前が描く理想が増えるほど、世界の裏には“虚骸”が増えていく。
つまり、お前は自分の理想で世界を削っているんだ。」
ユウキの手が震える。
(……俺の理想が、誰かの“死”を作っている……?)
だが、リリアの声が響いた。
「ユウキ、違う! あなたは奪ってなんかない!
あなたの願いで救われた人が、どれだけいると思ってるの!」
ユウキの瞳に光が戻る。
「……そうだな。
理想の代償があるなら――俺は、その全部を背負う!」
〈逆転の理想〉が輝く。
蒼と紅の光が、虚骸の闇を貫いた。
ベルゼナの影が崩れ、黒い糸が断ち切られる。
ベルゼナはゆっくりと目を閉じた。
「……やはり、お前は俺とは違うな。
“願い”を抱いたまま、絶望を超える者……。
その名に相応しい――“超越者”だ。」
彼は穏やかに微笑んだ。
「魔王のもとへ行け。
俺たちの“虚骸”が否定できなかったものを、お前が見せてみろ。」
その身体が崩れ、黒い霧は風に溶けた。
残されたのは、静かな城の奥。
そこに、ひとつの扉があった。
黒い文様が刻まれたその扉には、こう記されていた。
――《超越世界の起点へ戻れ。汝、己を殺して進め。》
ユウキはその言葉を見つめながら呟いた。
「……魔王の玉座は、この扉の先か。」
リリアが手を伸ばす。
「ユウキ……怖いの?」
ユウキは小さく笑った。
「怖いさ。
でも、それでも行く。
俺が描いた“理想の未来”の先に、答えがあるなら。」
扉が、静かに開いた。
光でも闇でもない――“始まりの色”が、二人を包み込んだ。




