53 対峙
街の住人が寝静まった深夜、自警団が緊急事態を知らせる警笛を吹き、それに呼応するようにまた遠くで笛が鳴る。
ハルトは異変に飛び起きた。
あちらこちらから警笛の音が鳴り響いていた。
その異様さに鼓動が高鳴り、汗が吹き出す。
ただ単純に、ハルトは恐れを抱いていた。
本当に、灰の使徒という輩がこの街を燃やしにやってきたのかと思うと、怖くてたまらなかった。
それでも──震える手をぎゅっと握りしめて、太ももを強く二回叩いた。
弓に弦を張り矢筒を背負い、部屋を飛び出した。
「ハルトくん? 何する気だい? だめだよ、ここで大人しくしていよう」
ハルトは扉を開けて廊下を進んでいると、隣の部屋からちょうど出てきたルウォンと対面した。
壁越しでも外の喧騒が聞こえる。
木が焼ける匂いも、漂ってきていた。
無言で通り過ぎようとするハルトの腕を、ルウォンが握って止める。
握られた手は、強く、そしてわずかに震えていた。
「ごめん、ルウォンさん、僕いかなきゃ」
「ハルトくん……!!」
静止するルウォンの手を振り払い、階段へ走る。
三段飛ばしで階段を駆け下りると、二階でラヤが両手を広げて塞いでいた。
その表情には必死さが滲んでいた。
「ハルト! 行っちゃダメだよ!」
悲痛な声にも似たラヤの叫びを振り切り、階段の手すりを乗り越えて飛び降りた。
呆気に取られているラヤを置き去りにして、ハルトは一階に到着すると、そのまま店の外へと駆け出した。
もう2度と、大切な居場所を、無くしたくなかった。
だから、もしもの時のために備えていた。
街には祈りの叫びと住民の悲鳴。
焦げた匂いと煙、そして炎が、夜を赤く染めていた。
細い通りを抜けて大通りに出る。
「神への冒涜を今すぐやめろ!」
松明を振りかざし、女の髪を掴んで引きずる黒い服を着た男がいた。
その手を振り上げ、火を直接押しつけようとしている。
女は悲鳴をあげ、必死に払いのけようとしていた。
──その手は、すでに大火傷を負っているに違いなかった。
「やめろ! その手を離せ」
ハルトは声を張り上げた。
「お願いだ……話し合いをしよう!」
少し躊躇してから、男に向かってそう叫ぶ。
それに気がついた男が動きを止め、じろりと目だけを動かしてハルトを見つめる。
ハルトは怖気付いたが、それでも言った。
「やめろ……そんなやり方は間違ってる! 話し合えば、きっと……!」
男はハルトを無視して女性を扉が開けられたままの家の中へ投げ転がして、一緒に松明の火を投げ込む。
女性が悲鳴を上げて駆け出して来るが、男はまた髪を掴んで女性を引き止めると、蹴り飛ばした。
男のそのあまりに残虐な行いにハルトは戸惑いと憤りを感じた。
「話し合い……? 何を話し合うと言うんだ、君は馬鹿か? このような街を放置しては神の怒りが全人類を再び襲う!! そうしたら、今度こそ人類は滅びてしまうかもしれないというのに!!! なにを話し合うと言うんだ!!!」
女性は痛みに泣き崩れ、道の向こうでは他の家からも火の手が上がっていた。
ハルトは咄嗟に倒れた女性の前に立ちはだかり、矢を引き抜いて弓に番えると、男に狙いを定める。
「ほう? 神の代行者である私をその不敬な道具で殺そうというのかね? さらに罪を重ねるか!! この大罪人!!!」
叫ぶ男が腰にぶら下げていた、木の棒に金属の棘が刺さった鈍器をベルトから外して、ぐるぐると振り回してからハルトへ突きつけた。
騒ぎを聞きつけ、住人たちが続々と家から飛び出してきている。
農具や棒を手にしている者もいたが、誰も一歩も動けなかった。
男の異様な姿に、ただ怯え、立ちすくんでいた。
松明が投げ込まれた家から、火の手が上がり始め、男とハルトを橙色に染める。
そこへ、ようやく自警団が二人、駆けつけてきて、警棒を振りかざして叫ぶ。
「やめろーッ!!」
だが、手にした武器の差は歴然だった。
それに加えて、男は鈍器の扱いに手慣れている様子だった。
見守る住民たちの期待もむなしく、男が巧みに振り回した棘の刺さった鈍器に、二人の自警団員の警棒はいとも簡単に弾き飛ばされて、一人が蹴り飛ばされ、地面に転がった。
矢を番えるハルトの手は震えていた。
『人に矢を向けてはいけない』
──ヤマじいが何度も繰り返し教えてくれた基本の一つだ。
だから、手が震えてしまう。
街中がパニックに陥っていて、あちこちで火の手が上がっている。
電気の、文明の灯りではない、炎の灯りで街は夜に浮かび上がっていた。
黒衣の男は倒れた自警団員の頭をめがけて、棍棒を振り上げた──。




