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50 静けさ

 早朝の弓の練習を終えたハルトは、行きがけにすれ違った北門の自警団の二人に会釈をして街へ入る。

 自警団の二人も、目が合うと笑って軽く頭を下げてくれた。

 その日の朝も、大通りは変わらず慌ただしく人々が行き交っていた。

 だが、どこか言いようのない違和感が、空気の奥に潜んでいた。

 ハルトは気にせず、そのままラヤの店へと足を運んだ。


「ただいま」

「おかえりハルト。またその格好、また何か獲ってきたの?」


 ラヤはカウンター越しに笑顔を向け、そのまま仕事机へと向かった。


「今日は弓の練習だけだよ」

「そっかぁ、ちょっと残念。またハルトの料理、食べたいなぁ」


 そう言ってラヤが笑って迎えてくれる。

 雉雑炊は、気に入ってもらえたらしい。


「おかえりハルトくん、あ、そこの書類、お願いね」

「わかりました」


 ルウォンとも挨拶して、帳簿の整理と荷解きの手伝いを始めた。

 ジノーとヴィータはもう外に仕事に出ているようだった。

 ハルトは手が空くと、雑巾を取り床掃除を始めた。

 黙々と動き続ける。

 何かしていないと、落ち着かない気がしていた。

 お昼頃、ジノーとヴィータが一度帰ってきて、いつもみたいに、みんなで昼食を取る。


「今日はね、いろんな種類のパンを買ってきたよ」


とヴィータが紙袋から出したパンを皿に並べていく。


「これ、甘くてサクサクしてる……なんて名前?」「それはね、メロンパンだよハルトくん」

「なかはふわふわしてて……おいしい」

「わかる! ここのベーカリーのメロンパンは絶品だよねー!」


 ルウォンが説明してくれて、ラヤも頷きながら口に運び、穏やかな時間が流れた。

 昼食後、お茶を飲んで一息つくと、ラヤは椅子から立ち上がった。


「それじゃ、ちょっと行ってくるね。たぶん今日も長引くかも」

「商会連の会議ですか?」

「うん、灰の使徒の件。話がまとまればいいんだけど……」


 ラヤの表情に、わずかに影が差していた。


「気をつけて」

「ありがとう。ルウォンと一緒にお留守番、よろしくね」


 ジノーたちも再び出ていき、店内には静けさが戻った。

 ハルトとルウォンは、それぞれの作業に静かに集中していた。

 遠くの通りを馬車が通る音が、妙に大きく聞こえた。


 ラヤが会議から戻り、ジノーとヴィータも、それぞれの仕事を終えて夕方近くに帰ってきた。

 ローテーブルをみんなで囲んで、今日の仕事や会議の内容の報告が終わると、

 その日の夕食は、ラヤが用意する“パスタ”という麺料理に決まった。

 麺料理はどれも美味しかったので、ハルトは期待してわくわくした。

 ルウォンが以前に仕入れたという乾麺と、瓶詰めの赤いソースを棚から取り出すと、ラヤは大きな鍋に水をはり、加熱する台へとそれを移動させる。

 小さい体でなにやら大変そうだが、みんな特に手伝う様子もない。

 ジノーは窓を開けてタバコを楽しんでいて、ヴィータとルウォンは話し込んでいた。

 もしかしたら、手伝いは不要なのかもしれないが、ハルトはラヤの手伝いをしようと厨房に向かった。

 すると思いのほか、ラヤに色々と指示されることになった。


「ほら、茹ですぎると台無しだから、ちゃんと時間見ててよ」


 そう言われて、ハルトはタイマーという道具の数字をじっと見つめた。

 けれど“0”になった瞬間音が鳴り、見ていた意味はなかったのではないかと思いつつも、ラヤに指示されて流し台に置かれたザルに湯を注ぐ。

 溢れる湯気が顔を包んだ。


「うむ! アルデンテ、アルデンテ!」


 一本摘んで口に運んだラヤが満足そうに笑う。

 五つの皿に黄色い麺を盛り付け、小さい鍋で湯煎していた瓶を手袋をして取り出して、それぞれに赤いソースをかけた。


 ローテーブルを囲んで、赤いソースのかかったパスタという料理をみんなで食べた。


「ハルトはパスタは初めてだろ?」

「うん、おいしい……」

「ハルトは麺料理好きみたいだね」


 会話がぽつりぽつりと続き、笑い声が小さく響いた。

 食事が終わる頃には、窓の外に夜がすっかり訪れていた。


「送ってくよ、ヴィータ」

「ありがと、ジノー」

「送り狼にならないでよジノー?」

「ラ、ラヤさん、ハルトの前でそんなこと言わないでくださいっすよ!」


 送り狼がなんなのかはわからないが、軽く手を振って二人は出ていった。

 ちょっと男まさりなイメージのヴィータが赤面しているのをハルトは初めてみた。


 その後、ルウォンは印刷機の横の棚から無地の紙を取り出して机に置いた。


「さて、ハルトくん。せっかくだから“エイゴ”覚えてみないかい?」

「エイゴ……覚えられるかな」

「先ずはアルファベットだね」


 ラヤとルウォンが、ハルトに“エイゴ”を教えてくれることになった。

 エイゴは、ハルトの村で使われていた書き言葉とはまったく違っていた。

 村では、文字と話し言葉が一致せず、文の構造も複雑だった。

 でもエイゴは、発音がそのまま文字になっていて、むしろ簡単に思えた。

 アルファベットという大小ある26文字を紙に写しながら覚えている間に、ルウォンは三階と地下室を小さく息を切らせながら登ったり降りたりしていた。


「しばらくここに寝泊まりすることにしたんだ」

「え、そうなの!?」

「女性と子供だけじゃ、何かあったとき心配でしょ?」


 笑って言ったルウォンの背中には、どこか大人の頼もしさがあった。

 ハルトはそれに何も返せなかったが、どこかで、少しだけ安心していた。

 静かな夜。

 あたたかな食事。

 新しい文字。

 誰かが近くにいるという気配。

 だがその穏やかな時間の中で、ひとつの疑問が静かに残っていた。


 ──本当に、「灰の使徒」なんて来るのだろうか?

 この店からは見えない風の塔。

 赤い光はいつも通りに点滅を繰り返しているのだろう。

 今のところ、風は変わらず塔に向かって吹いていた。

 けれどその沈黙こそが、嵐の前触れなのだと、誰も気がついていなかった。


 ハルトは眠気に負けてエイゴはおしまいにして、二人に挨拶してから三階へ向かった。

 三階の窓から大通りの方へと目をやる。

 誰もがうつむき、足早に歩いていた。

 まるで、街全体が何かを避けているような——そんな気がした。

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