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49 文明の道具

 ハルトはその日も、陽の出前に起きた。

 弓に弦を掛け、前日に準備しておいたリュックと矢筒を背負い、弓を手にして階段を降りる。

 店を後にして、大通りを北へ向かう。

 寒さは一段と増していて、今朝は吐く息が白かった。

 大通りからは変わらず、朝霧の中にぼんやりと点滅を繰り返す赤い光が見えた。

 いつもは誰もいない、北の大通りの終わりにある門に、人が二人立っていた。

 黒い上下の制服に帽子、そして白い腕章。木製の警棒を腰に携えた、自警団だった。

 そのうちの一人、眠そうにあくびをしていた男と、ふと視線が合った。

 ハルトが軽く会釈すると、男は気さくに声をかけてきた。


「こんな朝早くに、発掘に向かうのかい?」

「えっと、弓の練習です」


 そう聞かれて、握っている弓を見せて答えるハルト。


「へぇ〜、弓矢なんて物語でしか聞いたことないよ……一応、怪しいやつには気をつけろよ旅人のボウス」


 再びハルトは会釈して、自警団の横を通り過ぎた。

 自警団がこうやって警備を始めたということは、本当にこの街に危険が迫っているんだと、ハルトはひしひしと感じた。

 でも、大人たちがこうして街を守ってくれているのなら、自分が弓を手にする意味はないのかもしれない。

 けれど、何もしないでいることはできなかった。

 直木の針葉樹──的にするのにちょうどよかった、あの木を目指して西に向かって歩く。


 木を目掛けて、ハルトは陽が昇るまでひたすら矢を放った。既に感覚は完全に戻っていた。

 むしろ、この弓矢に慣れたせいか、昔より調子が良い気がした。

 朝陽が霧をかき消していく。

 矢を引き抜いて矢筒に収め、少し離れたところにあった、ちょうどよい切り株に腰を下ろす。

 今日は、試したいことがあった。


 昨日ダイナモの所からの帰り道で、旅人向けとして西区の広場で売っていた、リバースエンジニアリングされた道具というものを、少し買ってみたのだ。

 店員に言われた通り、金属板を組み合わせ、箱型を作る。

 近くの枝を拾って薪にし、その上に〈着火剤〉と呼ばれる平たい板を置いた。

 ポケットから丁寧に取り出し、まるで新品のように輝くジッポを不恰好に回して、それに火をつけた。

 炎は一気に広がり、あっという間に小さな焚き火ができあがった。

 少し重いが、いちいち石を拾って組む必要もないし、畳めばかさばらない。

 着火剤があれば、木を削って笹掻きを作ったり、火口を用意したりする手間もない。

 すぐに火が起こせる。

 そして何より、火を一瞬で灯すライターという道具。

 文明の道具、科学の道具は、本当に便利だった。

 同じく買ってきた金属容器に水筒の水を注ぎ、火にかける。

 その間に、茶葉が紙に包まれたティーバッグというものを金属のコップに入れて、お湯が沸くのを待った。

 この薄い紙は、お湯に入れても溶けないらしい。

 どうやって作られてるのか、ハルトには全然わからなかった。

 ふつふつと沸騰し始めた湯を注ぎ、この街に来て最初に飲んだのと同じ香りのお茶を味わう。

 このお茶はウィンドリム産ではなく、ウィンドリム経済圏からの輸入品だそうだ。

 一昨日、お米を買った時におまけでつけてくれたものだった。


 お茶はこうして自然の中で飲むほうが、ハルトは好きだった。

 ヤマじいと、父と三人で、よく狩りに出ては焚き火をした。

 父は弓ではなく罠を使う狩人だった。その良さを熱く語る父に、ハルトは静かに頷いていたが──好きなのは、やっぱり弓矢だった。

 村でのタンパク源は、自分たちの成果で決まっていた。

 狩れなければ、腹が減る。ただ、それだけ。

 ウィンドリムでは肉は、家畜と呼ばれる飼育された動物達を屠殺して得ていて、毎日食べられている。

 今の自分は、あの頃と比べてずいぶん変わった。

 ここに辿り着いて、文明を、科学を使って生きている。

 それがなんだか、少し可笑しく感じられた。


 朝陽がコレクターに反射し輝いて、巨大な塔がそこに浮かび上がっていた。

 人と人は、言葉で分かり合えると信じていたセレス。

 だけど──それが無理だったときのために、こうして弓の感覚を取り戻している自分がいる。

 ……顔を合わせづらかった。

 昨日、この道具を買ったとき、すでに街の空気がどこか変わっている気がした。

 みんな何かに警戒しているようだった。

 自警団の制服を着た人達とも、昨日たくさんすれ違った。

 二日前には南区ではたくさんの馬車が走っていたのに、昨日はまばらに感じられた。


 弓は、ただ狩りのための道具じゃない。──強力な武器にもなる。

 そのことを、確かめるように、ハルトは弓を強く握りしめる。

 座ったまま背中から矢を一本取りだして、指先で鏃を確認してから立ち上がり、弓に番える。

 ここからだと結構な距離がある、的にしている木。

 木の揺れる音に耳を澄ませながら、ふとセレスの顔が浮かんだ。

 セレスと、また他愛のない会話がしたかった。

 本当は、話したいことが山ほどあった。

 クラウド量子ノードがどうしてガンマ線バーストというのでダメになってしまったのかとか、500光年ってどのくらいの距離なのかとか。

 あと、セレスが目覚めた時の話とか、セレスはこれから何がしたいのかとか。

 けれど──まだ、ちゃんと向き合える自信はなかった。

 でももし──彼女がまた、あの時みたいに笑ってくれるのなら。

 今度こそ、その隣に立って、同じ景色を見たいと思った。

 矢は読み通り風に流されて木に吸い込まれるように飛び、刺さる。

 外したら、探すのが大変だっただろうから、ほっと一息つく。

 風だけが、何も知らないふりをして、静かに吹いていた。

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