46 雉雑炊
その日の夕方、ラヤは仕事を早めに切り上げた。
地下にしまわれていた折り畳み椅子を持ってきて、それに座って鍋の様子を見ているハルトの所へ向かう。
「……味見、する?」
ラヤの視線が、くつくつと煮える鍋に注がれていた。
ハルトがそう声をかけると、ラヤはこくりと頷いた。
ハルトは立ち上がり背伸びをして、上の棚に入っている小皿を取り出すと、お玉で少しよそった。
ラヤはハルトの雉雑炊を、恐る恐る口に運んだ。
「うんまっ!」
翡翠のような瞳を輝かせてラヤは短く呟いた。
ふと、雉の脂がにじむ湯気の向こうに、村の匂いが蘇った気がした。
まだ小さかった頃、森で取ってきたアケビを幼馴染だった村長の娘にあげたときのことを、ハルトはふと思い出した。
あの子も初めてアケビを食べた時に、こんな目をしていた。
その笑顔は、もう二度と見ることはない──そう思うと、胸の奥がじわりと痛んだ。
ラヤは下の戸棚をごそごそと探り、ガラスで出来た容器を取り出して中身を確認する。
容器の半分ほどに、琥珀色の液体が入っていた。
「ちょっとお酒買ってくる!」
「ボ、ボス、ちょっと待って。ジノーくんが帰ってくるのを待とう。何かと物騒だからさ」
コートを羽織ったラヤは、足早に玄関へ向かう。
「大丈夫大丈夫、すぐそこだし、二人ともお留守番、よろしくね!」
元気よく店を飛び出していく後ろ姿を見送って、ルウォンとハルトは視線を交わす。
二人で肩を落として、静かに苦笑いをした。
「ただいま戻りまし……なんの香り?」
「おー、なんか美味そうな香りだね、どうしたの?」
戻ってきたジノーとヴィータも、これまで嗅いだことのない香りに鼻をひくつかせる。
「おかえり二人とも、おつかれさま。今日はハルトくんが、雉料理を振る舞ってくれるんだって」
「へぇー、今日は昼も居ないと思ったら、雉を捕まえてたのかハルト! 旅人の手料理かぁ、俺食べたことないんだよね」
「雉ってこんな香りなのね」
雉雑炊については、ルウォンがハルトの代わりに簡単に説明してくれた。
ジノーとヴィータはその香りに興味津々といった様子だ。
「そう言えばラヤさんは?」
「ボスは今、お酒の買い足しに出てるよ」
「灰の使徒だなんだで不安なのに、ラヤさん一人で行かせたのか?」
「僕もジノーくんが帰って来るの待つように言ったんだけどね」
「ボスが急いで買いにいくなんてね、ハルトの手料理、楽しみね」
ジノーとヴィータは手を洗うと、食器を取って並べてくれる。
ルウォンも残りの仕事を終わらせにかかった頃に、ラヤが両腕で琥珀色の液体の入ったガラス容器を抱えて帰ってきた。
その姿はまるで“お使いを頼まれた女の子”だった。
いい笑顔だった。
ハルトの手料理で、ハレカゼ商会の店で宴会が開かれた。
湯気にのって立ちのぼるのは、雉の脂の独特の香ばしさと、出汁に溶け込んだ深い旨み。
米の甘い匂いがそれに重なり、どこか懐かしい、けれど普段は味わえないような香りが鼻をくすぐる。
ハレカゼの面々には、まるで異国の風が吹き込んできたようでもあった。
「えっと、どうぞ召し上がってください」
「それじゃあ、今日もおつかれさま! かんぱーい!」
いつものローテーブルの真ん中に鍋を置き、お玉でよそってみんなに配ると、待ちきれない様子のラヤが乾杯と声をあげ、みんなでグラスを掲げる。
結局、ジノーがみんなのお酒とハルトの飲み物を買いに出掛けた。
ハルトは柑橘の果実のジュースだった。
「いっただっきまーす。……っ! うま! やっぱり鶏とは全然違う感じだな」
「でも、やっぱり鳥肉は鳥肉ね、不思議な香り」
「ハルトくん、料理うまいねぇ」
「かーっ! やっぱりこの旨みには蒸留酒が合うね」
雉に脂の乗る美味しい時期なのに加え、ハルトの確かな腕前もあって、皆からの評判は上々だった。
ハルトは、ジノーが買ってきたジュースが美味しくてそれどころではなかった。
宴会は進み、作り過ぎて残るかと思ってた鍋は既に空になっていた。
代わりに、ハレカゼの店にあった、ハルトが食べたことのない豆が皿に盛られていた。
茶色い莢を割ると、中には薄皮に包まれた豆が二粒入っていた。
ルウォンとヴィータは薄皮を剥がして、ラヤとジノーは薄皮ごと食べていた。
ハルトも真似して莢を割って食べてみる。
薄皮は少し苦味があり、カリカリっとした食感と塩気が堪らなくて、お腹がいっぱいなのにいくらでも食べられるような気になってしまう。
お酒のつまみだから、お酒の飲めないハルトはなんとかたくさん食べたいのを我慢した。
ラヤはすっかり出来上がって、頬を真っ赤に染めていた。
ハルトに顔を近づける。
「ハルトはどうすんのさ〜? ハレカゼ商会としてはさ、このまま居ついてくれても大歓迎なんだけど、……でもね!」
「そのサバイバルスキルがあれば前人未踏の東の大遺跡まで発掘に行けるんじゃない!? そしたら、この前のオークションなんて目じゃないくらい、一生遊んで暮らせるくらいのお金が手に入るかもよ! 行って来なよ!」
「ハルトくんは覚えが早くて教え甲斐があってね、居てくれたら僕は嬉しいなぁ」
ラヤがハルトに絡む。 ルウォンも珍しく、今日は上機嫌の様子だった。
「東側遠く、大崩壊前に人口密集地だった大都市があって、そこには大量のアーティファクトが眠っているだろうって言い伝えがあるんだ」
とジノーも語る。ジノーも顔が赤かった。
「基本的に、アーティファクトはこのウィンドリムの、ソーラーアップドラフトタワーって言う電力設備があって初めて有効活用されるからね、点在しているだろう人類の生き残りにとっては無価値だから、手付かずだろうって言われているのよ」
とヴィータが補足して教えてくれる。
東側の大遺跡……とハルトはそんな世界があるのかと耳を傾けながらも、ゆっくりとまぶたが重くなっていくのを止められなかった。




