43 虚勢
昼食をおえて短い休息の後、ジノーとヴィータが午後の外回りへと出掛けて行った。
ハルトは引き続きルウォンの手伝いをした。
そうして緩やかに午後が過ぎていき、日差しもだいぶ傾いてきた頃に、ようやくラヤが商会連の会議から帰ってきた。
「ただいまー! あたしがコーヒー淹れるからみんなで飲もうよ! 休憩しよ休憩」
いつもと変わらない様子のラヤに、ハルトは違和感を覚えた。
ルウォンがラヤの上着を受け取ってハンガーに掛ける。
ハルトは厨房へ行き、引き出しからコーヒーを入れる道具や豆を取り出し、砂糖も取って準備した。
ラヤに覚えがいいね、と褒められる。
ラヤに座ってて、と言われて、ハルトはいつも食事の時に座るローテーブルの脇、一人掛けの座椅子に腰掛けた。
「お待たせ、ハルトはこれね」
そう言ってカップを渡される。
湯気とともに香ばしい香りがふわりと漂った。
コーヒーは変わらず甘くて、美味しかった。
その甘みが、ハルトの不安を少しだけほぐしてくれるみたいだった。
「それでラヤさん、どうだったの?」
ルウォンが、ハルトが言い出せないことを聞いてくれた。
ラヤは、カップに口をつけて、優雅に香りを楽しみ、ゆっくりとカップをテーブルに置いた。
「灰の使徒絡みだよ。近隣のフラベ村が襲われたらしい。自警団には頑張ってもらわないとだね」
「ジノーくんから聞いたよ、二週間前だって?」
「そう、流石ジノーは耳が早いね」
前屈みで話を聞くルウォンに対して、ラヤはカップの中の黒い液体を覗きながら答える。
「じゃあ、自警団にはロス村に行ってもらうの?」
「いや──自警団には、ウィンドリムの警護を強化してもらう。その為の予算集めが今回の会議だよ」
カップに伸びるラヤの指先が、ほんのわずかに震えていることに、ハルトは気づかなかった。
「そう……なんだ」
ルウォンが動揺しているのを、ハルトは初めて見た。
空気が冷えていく。
ハルトは口を開けなかった。
ロス村へは、自警団を派遣しない。
それは、きっと“見捨てた”ということなのかもしれないと、ハルトは思って怖くなった。
ラヤはそんなハルトを見て冗談めかして笑う。
「大丈夫! 心配いらないよ、いざとなったらルウォンが助けてくれるから」
「えぇ、僕が助けられるかな?」
「その大きな図体は飾りかー?」
「や、やめてよラヤさん」
ラヤがルウォンのお腹を指でぶすぶすと突き刺して笑う。
ルウォンも笑っている。
だけど、それが心から笑っているものじゃないことくらい、ハルトにもわかった。
その日の夕方。
ハルトは、今日はもう眠いから先に寝るね、と言って、一人きりで三階へと上がった。
静まり返った部屋の中で、毛布にくるまりながらぼんやりと考える。
科学を否定しながら、北上を続けるという集団、灰の使徒。
自分に、何かできることはあるのだろうか──そんな考えが、頭を離れなかった。
昼間、ジノーが言っていた言葉が胸の奥でこだまする。
『言葉が通じても、話が通じない相手がいる』
もしそれが本当だったら。
もし、ここウィンドリムが次に狙われるのだとしたら。
もしこの街が、火の海に沈んだら──。
そんな光景を想像してしまった瞬間、背筋にぞくりと冷たいものが走った。
それでも、まぶたは徐々に重くなり、毛布の温もりに包まれながら、ハルトは静かに眠りへと落ちていった。




