28 血筋
遠くで、鳥の鳴く声が聞こえる。
昨日の夜、コーヒーを飲むと寝れなくなると言われていたけど、全然そんなことはなく、ふかふかのベッドに横になって、毛布に包まった瞬間には寝落ちしていて、気がついたらまだ陽の昇らぬ夜明け前だった。
昨日は一日中、初めてのことだらけで、疲れていたのかもしれない。
それでも、陽が昇る前には、目が覚めてしまう。
早速、昨日買ってもらった新しい服に身を包み、コートに袖を通しながら階段を降りる。
ふと、二階の奥の部屋の扉が気になった。
あの扉の向こうで、今ラヤが眠ってると思うと、ちょっとどきりとした。
そんな気持ちを振り払うように静かに急いで外へ出る。
しっかりと、鍵を鍵穴に差し込んで左に回すと、がちゃりと音がした。
鍵を抜いて、扉を引こうとしたが、扉はがっちりと固定されていて、開かなかった。
透明の天井の下は、いつも暖かい。
今日は昨日ほど霧は濃くなくて、塔を見ながら、セレスのところへ向かっていった。
まだ遠くだけれど、その存在感はこの空間においても異質で、すぐに分かる。
大きな扉の前で、彼女は待っていた。
「おはよう、セレス」
「おはよう、ハルト」
二人で並んで歩いて、自然と展望室へ行く小部屋がある通路へと歩いていく。
セレスが手を振ると、また左右に扉が吸い込まれるように消えていく。
何回見ても、まるで魔法を使ってるみたいだった。
この小部屋はエレベーターと言うもので、各層毎を移動するための装置なのだと、昨日、降りる時にセレスに聞いた。
耳がおかしくなるのは、気圧の差だと言う。
気圧がなんなのかは、セレスの説明ではいまいちハルトには難しかった。
ふわりと浮遊感がして、到着したことがわかる。
扉が左右に消えて、再び絶景が広がる。
今日は霧が少なかったからか、雲海と呼ぶほどの雲はなく、遠くの方までよく見えた。
塔の反対側の北側に周り、川を見つけて、自分が歩いてきただろう道を目で追った。
そしてその先。
西側の峠ほどではないが、ほんの少し雪化粧を施されて朝陽に照らされ輝く北の峠の、その向こう側、見えない遠くの故郷の方を見ながら、ハルトがつぶやいた。
「……僕の故郷は、ここから遠くの北にあって、海は少し遠くて、段々畑や田んぼが広がっていて、全部で60人ちょっとしかいない小さいけど、素敵な村だったんだ──発熱から始まって、いろんなところから出血して、それから10日前後で、みんな、……みんな死んでったんだ」
セレスになら、ハルトは心に秘めた思いを話すことができた。
それがなんでなのか、ハルト自身も理由はわからなかった。
ただ、セレスなら、きっとどんな事を言っても、ハルトのことを否定しないだろうと言う、安心感があった。
「最後まで残ったのは、僕と母さんで、その母さんも、結局発症してしまって……僕に旅に出ろって……人と出会えって、そう言って……死んだんだ」
「そう……なのね」
「僕もきっと旅の途中で、みんなと同じように死ぬのかもしれないって、ずっとそう思って旅を続けたんだ……なのに、僕はまだ、こうして生きてる。──生きて、こうして、優しくされて、みてよ……服まで買ってもらったんだ……」
「…‥おそらく、ハルトの母方の血筋には、その病に対する抵抗力があったのかもしれません」
「……抵抗力?」
「おそらくですが、ハルトのいた村は、致死率の高い伝染病に見舞われたのでしょう。母方の血筋には、抗体があったのかも、しれません」
そう言われて、ハルトはふと母のことを思い出した。
「そう言えば母さんは、もともと村の住人じゃなかったんだって……どこからか、うちの村に流れ着いてきた夫婦の赤子で、夫婦は亡くなって村のみんなに育てられたのが、母さんなんだって」
「ハルト、あなたは母親の血に守られていた可能性があります」
「そう……なのかな? ……じゃあ、なんで母さんは、助からなかったの?」
「……発症を遅らせることは出来たけれど、完全には防ぎきれなかったのかも、しれません」
母の優しかった顔を思い出した。
一度思い出したら、沢山の思い出が蘇ってきて、ハルトはどうしようもなくなってしまった。
母さんと一緒に文字の練習をしたことや、ヤマじいと、父さんと、一緒に野営したこと。
料理も母さんと父さんとヤマじいに、色々教わったこと。
塩を取りに海まで、若者だけでみんなで行って、海で遊んだこと。
楽しかった思い出が、蘇ってしまう。
「辛い時は、いつでも言ってください。わたしは話を聞くことしかできないですが、話すことで、楽になることもあります」
「……ありがとう、セレス……」
しばらく、見えない故郷を眺めるように、北の峠を見続けた。
セレスが言うように、母の血が生き残った理由なのだとしたら、ほんの少しだけ、ハルトは救われた気がした。
「……すみません、ハルト。区画に異常を検知したので、確認しにいかなければなりません」
「僕もついて行ってもいい?」
「……構いませんよ」
構わないとは言ったものの、セレスは一瞬、ほんの僅かに困ったような表情を見せた。
また展望室をぐるりと回り、上がってきたのと同じ南側のエレベーターに乗って降りていく。
「そう言えば、どうしてこの塔は、大崩壊後もこうして動いているの?」
「この塔は、元々はクリーンエネルギー実証試験施設。他のインフラから完全に切り離され、火星テラフォーミング計画の一部として設計された」
「衛星軌道上に設置された量子コンピュータ群、クラウド量子ノードの登場以前から運用、試験されていたから、使われていたのが従来型のコンピュータなの。だからこそ、大崩壊による連鎖的なシステム停止を免れた」
とセレスは説明する。
説明されるも、ハルトには話が全く理解できなかった。
顔に出ていたのか、セレスがハルトを見て、眉を八の字にして首を傾げる。
「わかりやすく言うなら、この塔は古いから、大丈夫だったの」
と噛み砕いて説明するセレス。
「……思い出すことも、忘れずにいることも、大切な生きる力になる。だから、ハルト、一人で抱えないで。周りを、頼ってもいいんですよ」
検知された異常は、柵から逃げ出した羊が原因だった。
もこもこした白い生き物が気持ちよさそうに座ってもしゃもしゃと草を咀嚼していた。
セレスが近づくと、羊はちらりとこちらを見て、また草をはむ。
ハルトはその穏やかな姿を見つめながら、少しだけ、心が軽くなったような気がした。




