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15 理由

 服が入れられた機械が振動して、ごうんごうんと音を立てていた。

 それが止んだと思えばまた再開し、音と振動は断続的に繰り返されていた。

 投げ渡されたタオルはふかふかしていて、肌触りが良くって、水をよく吸う上質なものだった。

 身体を拭き終え、綺麗な服に着替え、タオルで髪を拭きながら、ハルトは少しむすっとした表情を作って部屋に戻った。

 ラヤもルウォンもちょうど仕事を切り上げたみたいで、ローテーブルの前に座り、お茶を淹れて休憩を始めたところのようだった。


「なによ、何やらご不満みたいね?」


 にやにやと笑いながら、ラヤがハルトを揶揄った。


「シャワー、とても気持ちよかったです。ありがとうございました」

「素直でよろしい」


 ラヤの顔を見るのが恥ずかしくて、顔を少しそらしながらも、ハルトはきちんとお礼を言って椅子に腰を下ろした。

 ラヤは今日も、見た目とちぐはぐな仕草で、優雅にお茶を飲んでいた。

 無言のまま、ルウォンがハルトの分のお茶も淹れてくれて、カップを手渡してくれた。


「ありがとうございます」


 ハルトはそう言って受け取り、ルウォンがにっこりと微笑む。

 温かなお茶を口に運び、ほっと一息ついた。

 昨日とはまた違った香りがして、今日のはどこか懐かしさを感じる、葉の甘みを含んだ優しい味だった。


 しばらく3人でお茶を飲んでくつろいでいると、店のドアが開き、ジノーとヴィータが営業から帰ってきた。

 今朝とは違い、ヴィータは紙袋を胸に抱えていた。


「ただいまっすー」

「ただいま、今日のお昼はサンドイッチ買ってきたわよ」

「おかえり二人とも! ヴィータありがとね! ハルト、席変わってあげて」

「ハルト、シャワー借りたのか? 男前になってるじゃんよ」

「ジノーくん、ハルトくんの髪で遊ぶのはやめてあげなよ」


 営業の二人が帰ってきただけで、店の中は一気にわちゃわちゃと活気づいた気がした。


 ハルトは、昨日寝かされていた長椅子から、手招きするラヤのとなりの一人用の椅子に移り、その空いた席にヴィータが座った。

 ハルトの前髪を掻き上げていたジノーは、ルウォンにたしなめられて苦笑しながら、ヴィータの隣に腰を下ろす。

 ルウォンは空いていたカップにお茶を注ぎ、二人の前に並べると、皿を取りに厨房へと向かった。

 ローテーブルの真ん中に置かれた紙袋からは、食欲をそそる良い匂いが漂っていた。




 “サンドイッチ”という食べ物は、パンという独特の香りとふわふわとした食感の生地に、焼いた肉の薄切りと刻んだ野菜を挟み、ハルトの食べたことのないピリ辛のソースで味付けされていた。

 一口目からしっかりと美味しくて、思わず目を見開いてしまうほどだった。

 穀物といえば白米や雑穀米しか食べたことのなかったハルトにとって、昨日の焼きそばも、今日のサンドイッチも、舌がびっくりするような衝撃だった。

 五人でヴィータが買ってきたサンドイッチを食べながら、ヴィータは午前中の仕事の進捗を、軽くラヤに報告していた。

 その間、ルウォンとジノーは、ハルトがむすっとしていた理由を聞いて納得したらしく、ラヤに大切なものを見られてしまったハルトを慰めてくれていた。


「それでむすっとしてたんだね、ハルトくん。確かにそれはちょっとひどいね」

「男としての沽券に関わるもんな! うちのボスが悪い!」


「なによ男連中で盛り上がっちゃって?」

「ぷぷ、実はね、ハルトったら──」


 ヴィータが話に興味を示した途端、すかさずラヤが得意げに説明してしまう。

 ハルトは赤面しながら、必死に否定した。

 でも──本当に、久しぶりだった。

 誰かとこんなふうに、感情を交わしながら話して、一緒にご飯を食べるなんて。

 それを、楽しいと感じてしまっていた。


「で──ハルトは、なんでそんな子供なのに旅人なんてしてるんだ?」


 会話の流れで、何気なくつぶやかれたジノーのその一言が、心の奥に突き刺さる。

 楽しかった分だけ、それを思い出した瞬間に、罪悪感が雪崩のように押し寄せてきて、押し潰されそうになった。

 ──生きていたら、みんなもこうして笑っていたんだろうか。


 あの日の朝、息を引き取っていた母の顔が、ふと浮かんだ。ハルトは、胸の奥がぎゅっと締めつけられるのを感じた。

 手にしていたサンドイッチの温かさが、急に遠くに思えた。


「おい……」


 ルウォンが小声でジノーを嗜める。

 ジノーは失敗した、と言った感じで視線を泳がせ、口元だけをわずかに引き上げた。

 気まずさは、むしろその笑みによって強調されていた。

 ハルトは動きを止め、口を開きかけて、また閉じた。

 目の前のサンドイッチに目を落とし、ただ静かに見つめていた。

 ハルトは黙ったまま、サンドイッチの重みを感じる指先へと、視線を下げていった。

 指先がわずかに震えていたのを、隣に座っていたラヤだけが気づいた。


「このバカ」

「あいてっ」


 ヴィータがジノーの頭を小突く。


「──無理に話さなくていい、旅人に旅の理由を聞くのは、本来マナー違反なんだ」


 ラヤがそう説明してくれる。

 その外見に似合わず、歳上らしく、大人らしく、優しくハルトに語りかけた。


「あ、そうだハルト。今度グリーンナフサ持ってきてやるよ! ジッポで火をつけてみたいだろ?」

「あらあら、ジノーったら、また兄貴風吹かせちゃって」

「火をつけるのはいいけど、ハルトくんに煙草すすめたらダメだからね?」

「わーってるっすよ! 昨日のは冗談だったって」


 白けた場を取り繕うようにジノーが話を切り替える。

 ラヤやルウォンもそれに乗り話題を逸らしてくれる。

 ──やっぱり、この人たちは“大人”なんだ、と思うハルト。

 そして、その話の流れに乗れない自分はやっぱり、“子供”なんだと、痛感する。


 楽しげに笑うラヤたちの声が、少し遠くに聞こえた。

 自分だけが生き残って、大金を手に入れて、温かい食事をしている──。

 そんな自分を、どこかで許せないままでいる。

 許せる日は、はたして、来るのだろうか。

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