12 対話
風の音が支配したその場で、彼女は塔の壁面を指さした。
そして歩き出した彼女の後ろをついていくと、そこには扉があった。
その扉は普通なら十分に大きなものだったが、巨大な塔の壁面にあっては、小さくさえ見えた。
セレスが、円い輪のようなドアノブを回し、厚みのある扉を手前に引く。
大きさと重厚さに反して、扉の動きは驚くほど軽やかだった。
セレスに続いて、ハルトも塔の中へと足を踏み入れる。
扉が閉まった瞬間、世界が変わった。
さっきまで鳴り響いていた轟音は嘘のように消え、残されたのは、ハルトとセレスの足音だけだった。
塔の中は、まるで別世界に迷い込んだかのようだった。
さまざまな色の光があちこちで灯り、幾何学的な構造物が入り組むように並んでいた。
映像が映し出される大きな窓が並び、おそらく“エイゴ”なのだろう文字が流れている。
無数の色と、太さの異なる紐の束が床や天井を這い、大きな機械へとつながっていた。
無秩序に見える構成が、どこか美しい調和を纏っていた。
セレスは、踵が長く高くなった靴を履いていて、歩くたびにコツン、コツンと小気味よい音を響かせる。
ハルトはその後ろを、周囲を眺めながら静かについていった。
やがて、先ほどまでの機械群とは違う、大きな箱のような装置が並ぶ空間に出た。
その装置には窓がついていて、内部には円柱状の、色とりどりの模様をした、手のひらに収まりそうな物が整然と並んでいる。
窓の下にはいくつかのボタンが配置されていたが、そのボタンはどれも、ハルトでも読める文字で、赤く〈売切れ〉と光っていた。
壁際には長椅子があり、セレスはそこへ腰を下ろした。
ハルトも少し距離をあけて、その隣に座った。
「どうして、ここに来たの?」
しばらくの沈黙ののち、また彼女が先に口を開いた。
静寂の中に響く彼女の声は、鈴の音のように美しく聞こえた。
「君と、また話がしたくて」
「……そう」
また沈黙が落ちる。
ここに来るまでの間に、いろいろと話そうと考えていたはずなのに、彼女を前にすると、その言葉たちはぐちゃぐちゃになってしまう。
何から話していいのか、わからなくなる。
けれどハルトは、胸の奥にたまった何かを振り払うように、勇気を出して口を開いた。
「君は、機械でできてるの?」
「ええ。わたしは有機的に生まれ出た生命体ではなく、無機物で作られた存在よ」
セレスの銀色の瞳が、まっすぐハルトを見つめる。
その吸い込まれそうな目に見惚れている自分にふと気づいて、また言葉を失いかけた。
だがセレスのほうから、やさしく声をかけてくれた。
「無事にウィンドリムには、着けた?」
「……うん。無事に着いて、親切な人たちに助けてもらったんだ」
「ウィンドリムに住んでいる人たちは、みんな優しいからね」
セレスはにっこりと笑った。
その笑顔も、とても愛らしかった。
「僕は、小さな村から南に向かって、遺跡や峠を越えて、ここまで来たんだ」
「どうして、ここに来たの?」
「わからない、どうして……だろう」
少し間をおいてから、ハルトは思い出したように尋ねた。
「そういえば、夜になるとこの塔が赤く光るのは、どうしてなの?」
「飛行機やドローンがぶつからないようにするためだそうよ。──今はもう、空を飛ぶものは鳥だけになってしまったけれど」
また、わからない単語があった。
けれど、“空を飛ぶ何か”のために赤く光っているということだけは、ハルトにも理解できた。
空を飛べるような機械が、昔はあったのかもしれない。
けれどそれも、大崩壊で、失われた。
それでも夜になると、塔は赤く光る──それが、忘れられた過去を照らしているように思えた。
「僕は……ただ、偶然うまくいっただけなんだ。──それなのに、みんな本当に良くしてくれる……」
「なぜ、あなたはそんなに辛そうなの?」
「え?……なんで、だろう……」
少しの沈黙ののち、ハルトはぽつりとこぼすように言った。
「……僕の住んでた村は、僕を残して、みんな死んでしまったんだ」
「そうなんだ……それは、辛かったね」
「僕は、何もできなかったんだ。でも、そんな僕だけが生き残って、成功して……」
「本当にたまたまなんだ、僕が何か凄かったわけじゃない。偶然、何もかも上手くいって、ここまで来れただけなんだ」
「それが──あなたには、重荷になっているのね」
「重荷……なのかな?」
「あの時だってそうだ、峠で野犬に囲まれたけれど、僕はなぜか、見逃された……」
「……もしかしたら、そのとき、あなたが“死の匂い”をまとっていたから、野犬たちも、襲わなかったのかもしれませんね」
セレスの一言に、ハルトは言葉を失った。
その言葉には、自覚が、あった。
「みんなは死んで、僕だけが生き残ったのに……」
「……僕は、生きていていいのかな」
「あなたが幸せを感じることが、誰かの不幸を否定するわけではありませんよ」
「生きることと、悼むことは、同時にできます」
「じゃあ……僕が生き残ったことに、意味はあるの?」
「偶然は、選ばれた者だけに起きるものではありません」
「けれど、偶然に意味を与えるのは──あなたの生き方です」
少しの沈黙のあと、セレスはハルトに問いかけた。
「あなたは──“どうして今、自分が生きているのか”を考えたことはありますか?」
「……セレスは、考えたことあるの?」「私は、常に考えています。託されたから──」
そう言って、彼女はハルトを見ながら、微笑んだ。
けれどその瞳は、ハルトのずっと後ろを見ているようだった。
やがてセレスは、塔のメンテナンスがあるからと言って、立ち上がった。
「あまり、ここには来ないほうがいいわ」
ハルトは少しうつむき、静かに尋ねた。
「……でも、また来たいよ。セレスが嫌じゃ、なければ」
ハルトの言葉に、セレスは眉を八の字にして、困ったように笑った。
「……嫌では、ないですよ」
ハルトは塔をあとにして、朝陽が照らす、静かな街へと戻っていった。
“機械人形”と呼ばれる彼女。
人間ではない、科学によって造られた命。
その微笑みは、人のものと、何が違うのか。 そこに、何か本質的な違いがあるのか──若く、まだ世界をよく知らないハルトには、それがわからなかった。




