10 セレス
「はい、ハルトくん。156万と2100ミル」
ルウォンから、紙袋を手渡される。
中には10000と書かれたお札が、沢山入っていた。
落っことすなよ、とハルトはジノーに揶揄われ、アンタじゃないんだから、と今度はヴィータがジノーを揶揄う。
これが、ハルトが人生で初めて手にした、お金だった。
それはずしりと重かった。
手にしてみても、これがどれほどの価値なのかは、まだよくわからなかった。
「みんなの今日のオークションの手取りは、23万4300ミルだよ」
「初めてっすよ、一日で23万だなんて……」
ハルトに渡したのと同じくらいの厚みの紙幣の包みを、ルウォンは他の皆にも配っていった。
ジノーは取り出して1万ミル札数枚と、沢山の1000ミル札を扇子のように開いて、にまにまと満足気にする。
ラヤはルウォンから二つの紙袋を受け取り、それを上着の内ポケットへ納めながら言った。
「無駄遣いするなよ、ジノー」
「当たり前っすよ! ……ちゃんと自分も貯金してますから」
ジノーは憤慨しているが、一瞬、隣に座るヴィータの顔を盗み見た気がした。
彼女はと言うと、紙袋の中のお札をちらりと眺め、目尻を少し緩めて、うっとりとした笑みを浮かべていた。
「ハルトくんは、この街について聞きたいこととかは無いかい?」
「色々あるだろ、教えてやるよ」
ハルトがお腹がいっぱいになった頃、ルウォンが聞いてくれて、ジノーも話に乗っかった。
みんな顔が赤くなっていて、お酒を愉しんでいるのがわかった。
「えっと、それじゃあ、まず、あのおっきな塔は何なの? あれを目指して僕はここまで来たんだ」
「あのデカい塔はソーラーアップドラフトタワーって言って、風力発電を行い電気を作ってんだ」
「電気?」
「そうさ、このウィンドリムはあの塔で作られた、電気を使った生活をしている街なのさ」
ジノーが答えてくれるが、ハルトの疑問は解決されるどころか、深まっていく。
「上を見てご覧、ほら、灯りがついているだろう? これが電気の力、電力で光る、電球なんだ」
ラヤが天井を指差す。
ハルトは天井に吊り下げられている電球を直視して、目がチカチカする。
電力と言うのが、科学の力なのだろう。ハルトはそう思った。
「発掘隊や旅人は、遺跡を探索して、アーティファクトを発掘して持ってくる。そしてこの街はリバースエンジニアリング──つまり、そのアーティファクトを分解して構造を解析、今ある技術で再現する事で人類文明の復興を目指しているんだ」
酒で酔ったラヤは饒舌に語る。
「あの塔が夜になると赤く光るのは何でなの?」
「それは、何でだろう、ヴィータわかる?」
「うーん、私にもわからないわ。子供の頃からそう言う物としか思ってなかったから、改めて言われると確かになんでなんだろうね」
遠くからでも存在を主張するように赤く点滅を繰り返していた塔。その理由はこの街に暮らす人々でもわからないものらしかった。
ヴィータたちが、当たり前のものとして受け入れていた塔の光。
ハルトはその理由が余計に知りたくなってしまった。
「そう言えばこのお金が使えるのは、この街の中だけなの?」
ハルトは目の前に置いていた紙袋を手に持つ。
それにラヤが答えてくれる。
「ううん、ウィンドリム経済圏内ならどこでも使える」
「ウィンドリム経済圏?」
「ここから南の方には、人の住む集落がちらほら点在していて、そこの人たちにウィンドリムでリバースエンジニアリングして作られた道具を売って、逆にウィンドリムは食糧や資源などを購入して、経済が成り立っている」
「それらの集落や、港町で使われている共通紙幣が、このウィンドリムで作られているミル紙幣だよ。この紙幣が使える範囲をウィンドリム経済圏と言うんだ」
ラヤが丁寧に解説してくれる。
「その範囲は年々広がっているのよ。人類の復興は、私たちにかかってるってわけ!」
ヴィータが興奮気味にそう付け加えた。
「でもなぜ南側だけで北側には、僕の住んでいた村とは交流がなかったの?」
「北の峠には野生化して、先祖返りした野犬の群れが居着いているから、迂闊に近づけないんだ」
「北の野犬は大型種だからな、何人も挑んだんだが、帰らなかった人の方が多い」
「ハルトくんは、野犬は大丈夫だったのかい?」
ラヤとジノーが説明してくれて、ルウォンが心配そうに聞いてくる。
「大きな野犬の群れなら、遭遇した。遠巻きにこちらを伺っていたけど、襲ってくることはなかったんだ…‥理由はわからないけど」
その時のことを思い出して、肝が冷える思いがした。
ハルトにも本当に理由はわからなかったが、まるで、そこに何か理由があるように──そう思うと、胸の奥がざわついた。
酔った大人たちは、感心したようにハルトの言葉に耳を傾けていた。
「そう言えば、塔に居たあの銀髪の女の子、彼女は何者なの?」
「セレスのこと? あの子はねぇ……この街の灯火を守る、機械人形だよ」
「……機械、人形、なんですか?」
「うん。規格外の、人形ね。あの子は、まだ私たちが触れちゃいけない領域。あの板、あったでしょ。アーティファクトの中でも一番高く売れたやつ。あれの……さらにその先」
彼女は、セレスと言う名前らしい。
そして、機械でできた人形だとラヤは言う。
ハルトには、彼女はただの少女にしか見えなかった。
いや、確かにあの静かな佇まいは──ただの少女ではなかったかもしれない。
その存在は、少し、浮世離れしていたように感じられた。
続けてルウォンが言う。
「正直、リバースエンジニアリングはおろか、分解さえできない。壊したら最後、たぶんもう誰にも再起動できないからね」
宴は続く。
ハルトはセレスのことを思い返していた。
しかし、陽の出前に起きて、陽が沈む頃には眠る生活をしていたハルトは、久しぶりの満腹感と、暖かな室内の温度に包まれて、いつのまにか、深く静かな眠りへと落ちていった。




