9 打ち上げ
戸をくぐると、柔らかな淡い暖色の灯りに包まれた店内には、酒に酔った人たちの賑わいが満ちていて、ハルトは少し戸惑った。
──ランプや蝋燭の炎ではない、もっと明るくて均一な、科学の灯りだった。
「大将! 今日も来てあげたよ!」
「いらっしゃいラヤちゃん! 待ってたよ! いつものお座敷ね、今日は大盛り上がりだったんだって?」
ジノーたちに続いて入ったラヤが、カウンターの奥にいる若白髪の店主に挨拶する。
他の客もラヤに話しかけて、すぐに会話が始まった。
ジノーとヴィータは慣れた感じで二階へ続く階段を登って行った。
ラヤは店主と、他の客とも会話が弾んでいる様子で、ハルトはそれを眺めていると、ルウォンに後ろからそっと肩を叩かれた。
「上に行こうか」と促されて、ハルトも階段を登った。
2階には他のお客さんが居なかった。
階段の上は小上がりになっていて、ジノーとヴィータは履き物を脱いで棚に入れて奥の座敷へと入って行った。
戸惑っているとルウォンが優しく教えてくれる。
「ここで靴を脱ぐんだ。ほら、こっちの棚に入れて」
言われるがまま、ハルトは靴紐を解き、ルウォンの真似をしてブーツを棚に入れた。
ルウォンがにっこりと微笑む。
そのルウォンに続いて開けられた引き戸の内側へ入ると、井草の香りが鼻をついた。
綺麗に井草が編み込まれた床で、脚絆越しでも足裏に心地よかった。
中央の長いテーブルの足元は、ヤマじいの家の掘り炬燵のような作りをしていて、机の手前に座ったジノー達の対面、奥の席に座ったルウォンの隣に、ハルトは腰掛けた。
しばらくしてから、ラヤが入ってきて、ルウォンとハルトの後ろを通って、ハルトの隣に座った。
その後、店員が手にメモ帳を持ってやってきた。
「ご注文は?」
「みんなはビアでいいね、ハルトは何飲む?」
ラヤはテーブルの横にあった紙を広げる。
それには色々と横書きで書かれていた。
けれど、ハルトには読めなかった。
「……もしかしてだけど、ハルトくん、エイゴは話せるけど、読めない?」
「うん、この文字は、習ったことがなくて読めない……」
「──ごめんハルト。話してるし、ニホンゴで名前も書けてたから、てっきりエイゴも読めるもんだと思ってたよ」
ラヤは申し訳なさそうに笑った。
ルウォンが慌てて、書かれている飲み物を読んで、どんな飲み物なのかを説明してくれるが、どれも初めて聞くので、結局わからなかった。
「お姉さん、とりあえずビア4つと、あとコークを一つで。あとは大将お任せで」
みかねたラヤが決めてくれて、店員は元気よく返事をすると、階段を降りて行った。
ハルトは、少し恥ずかしくなり、縮こまる。
ジノーが「気にするなって」と慰めてくれた。
少ししてから、片手でジョッキを器用に5つも持って、さっきの店員さんが階段を上がってきた。
机に置かれたそれをジノーが配り、みんなで受け取った。
ジョッキは、遺跡で見たような透明の容器だった。
表面が結露していて、中の液体がとても冷えているのがわかった。
小麦色の飲み物には白い泡が乗り、細かい気泡が絶えず上がっていた。
ハルトのだけは、泡こそなかったが、黒っぽい液体に同じように気泡が弾けていた。
そこには、まだ本格的に冬になったわけでも無いのに、氷が浮かんでいた。
「それではオークションの成功を祝して、かんぱーい!」
乾杯はハルトの村でも宴の席で行われていたから、知っている。
掲げたジョッキを軽く打ち付けて、一口飲む。弾ける喉越しに、ハルトは衝撃を受けた。
甘くて、冷たくて、しゅわしゅわとしていた。
刺激が強くて、一口飲んで、口を離した。
他のみんなは慣れている様子で、二、三口飲んでから口を離した。
ふと、ハルトは思い出す。
村の収穫祭では、大人たちはみんなで作ったどぶろくで、子供達は甘酒で、火を囲んで乾杯していた。
去年の収穫祭の時、火を囲んで、母さんが甘酒をよそってくれていた事を思い出す。
ちょうど今頃、みんなで収穫祭をするはずだった。
あんなことが、起こらなければ。
もう二度と、あの火を囲む夜はやってこない。そう思った途端、甘さも冷たさも消えて、喉の奥で何かがつかえた。
「どうハルト、コークは美味しい?」
「……うん、とっても。──みんなが飲んでるのは、どんな味なの?」
「まぁ、苦みがあって、いわゆる、大人の味だよ」
「なんで僕だけ、コークなの?」
ラヤに感想を聞かれて、不意に浮かび上がってきた記憶をしまいこみ、不思議に思っていた、なぜ自分だけ違う飲み物なのかを聞いてみた。
「そりゃハルトにはまだ酒は早いだろ?」
「ウィンドリムは20歳未満はお酒は飲んじゃダメなんだ。もしかしてハルトくんの住んでいた場所ではもうお酒飲めたのかい?」
「えっ? いや、僕の住んでいた村でも、20歳まで飲んじゃダメだったよ」
それに対してジノーが応えてくれて、ルウォンが聞いてくる。
そして、それに対して応えつつ、ハルトは混乱する。
「えっ……ラヤちゃん、お酒飲むの?」
「なによ、変な顔して」
「だって、20歳未満はお酒飲んじゃダメなんでしょ?」
沈黙が、場を包む。ジノーは、口元を手で押さえる。
「……は?」
「あっははっ、出たな、地雷ワード」
ジノーが堪えきれずに吹き出した。
ルウォンが慌ててハルトに説明する。
「ラヤさんは僕たちの中でも最年長だよ、ハルトくん。26歳」
「えっ!?」
「まぁやっぱそう思うわよ……ね、うん」
ヴィータは、同情の眼差しをラヤに向ける。
ラヤは一気にご機嫌斜めといった様子で、じっとりとハルトを睨みつけている。
「……まぁ、いいけど。もう慣れてるし」
ラヤはジョッキを持ち上げ、ひと口ごくりと飲んだ。
ひと息つくと、少しだけ遠くを見た。
その背中には、微妙に漂う哀愁があった。
てっきり、歳の割にすごく大人びた女の子だと思っていたラヤは、まさかのずっと年上の26歳だった。
背も自分よりも全然低いし、顔立ちはとても幼く見える。
それに、歳上というには、あまりにも、起伏がなかった……
「どこ見てんのよ」
「僕は25歳で、ジノーとヴィータは24歳かな?」
「私は来月で24ね。まだ23歳よ」
「ハルトくんは幾つなの?」
ルウォンがなんとか場を和ませようと、みんなの歳の話をし始める。
「えっと、僕は14歳です」
「14歳で160万近くも稼ぐなんて大人じゃない。ハルト、アンタも飲みなさい」
「ちょ、ちょっとラヤさん、それはダメだよ」
ハルトにビアを飲ませようとするラヤだが、ルウォンに止められる。
ジノーとヴィータはそれを面白そうに眺めていた。
またしばらくしてから、店員さんが料理の乗った小皿を次々と持ってきて並べていく。
テーブルには、小さな串に刺さった肉の塊や、緑のソースがかかった蒸し野菜、そして炙られた魚の身が皿にのっていた。
ハルトの見たことのない料理がずらりと並び、嗅いだことのない美味しそうな香りで満ちていて、みんなが箸を延ばすのを待った。
早く食べてみたいのだけれど、最初に箸をつけるのは年長者からだと、村では教わっていたからだ。
「遠慮しないでじゃんじゃん食べていいよハルト。お・ね・え・さ・んの、奢りだからね」
そう言われて、黄色い卵料理に、箸を伸ばして口に運ぶ。
甘くて、しょっぱくて、ふわふわで、美味しかった。
卵料理はたまにしか食べられないご馳走だったから、ハルトは自然と笑みが溢れる。
そんなハルトを眺めて、ラヤは少し赤みが刺してきた顔で満足そうにジョッキを傾けた。
ルウォンはビアを飲みつつ、お札の束を数えて、分けて封筒へと入れていった。
ジノーとヴィータが今日の営業先での契約についての報告をラヤにしている間に、ハルトはあれやこれやと、初めての料理に舌鼓を打っていた。




