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Prologue 小さな村

(これは魔法ではなく、科学と文明の遺産の物語です)

 山間に小さな村があった。

 田んぼと畑と、木で組まれた茅葺屋根の家がまばらに点在していた。

 田んぼの稲は黄金色をしていて、たわわに実っているのに、どの田んぼもまだ人の手が入れられている様子がなかった。

 稲穂が実っているというのに、どの田んぼもまだ水が張られたままだった。

 畑も同様のようすで、せっかく実った果実は食べどきを過ぎて地面に落ちて朽ちている。

 人の気配の感じられない村の中心には井戸がある。その井戸から水を汲み上げる少年がいた。

 少年はまだ背が低いが、まだまだこれから伸びる余地があるように見えた。

 人気のない村で、汲み上げた水を入れたタライを運ぶ少年は一つの茅葺屋根の家に入って行った。

 まだ蒸し暑さの残る昼下がり、少年が家に入ったことで村は完全な静寂に包まれた。


 少年は、ベッドに寝ている母親の額に乗せていた濡れタオルを手に取り、もしかしたらと言う小さな希望で母親の額に手を当てて熱を測る。

 希望はすぐに打ち砕かれ、今、少年にできることは、タライの中の冷たい水にタオルを浸して絞り、再び額の上に乗せることしかなかった。

 母親も、きっと長くはないだろうと言うことは、村の人々を見てきたからもうわかっている。

 少年の二つ年上の、村長の娘の、姉のように慕っていた少女が始まりだった。

 前日まで元気だった彼女が、突然、高熱を出して寝込んだ。

 嘔吐や下痢の症状もあり、大人たちは「重めの風邪だろう」と、さほど心配していなかった。

 だが、その楽観は長く続かなかった。

 翌日の夜、彼女は血を吐き、目が真っ赤に充血していったという。

 そして、最後には錯乱し、十日ほどで息を引き取った。

 ──その時からだった。

 村の人々が次々に高熱を出して、倒れていったのは。


 少年も、その両親も、まだ病にかかっていない村人たち総出で看病に奔走したが、この謎の発熱に侵された人たちは誰1人として回復しなかった。

 そして、父も、その病に倒れた。

 父は、最後まで少年と母を気遣い、このくらい大丈夫だ、と笑ってみせた。

 発熱から十三日目。

父は、母の手を握ったまま、静かに息を引き取った。

 それからもう2週間が経った。

 たった2ヶ月足らずの期間で、この小さな名もない村は、少年とその母親の2人だけになった。


「……ハルト」

「母さん、大丈夫?」


 母親は目を開け、愛おしい息子の顔を見る。

 ハルトと呼ばれた少年は、疲れたような顔をしている。頬に泥がついていて、汚れていた。


「……ヤマじいも、埋めてきたよ」


 一瞬、母親の目に寂しさが滲む。


「そう……1人でよく頑張ったわね、偉いわよハルト」


 母親が無理をして笑顔を作る。

 ハルトはその笑顔を見るだけで涙が込み上げてきそうになるのをグッと堪える。

 母親はからだを起こして、額に乗せられていたタオルを手に取ると、ハルトの顔の泥を拭ってやる。


「いいよ母さん、無理しないで寝ていてよ」

「ハルトももうわかっているでしょう? 私もきっともう長くはないの。やりたいことをやらせて頂戴」


 熱で赤い顔で、真っ赤な目をしている母親がハルトの顔を弱々しくも拭き終わり、そのタオルを受け取ってタライに浸して、かわりに母親のか細い手を両手で握る。


「……母さん」

「……いい? 世界はもう終わったわけじゃないの。どこかに、まだ人がいる」

「あなたは行って、誰かと出会いなさい。そして、話して、笑って、生きるの」

「……それが、私の願い。だから……どうか……独りで終わらないで……」


 そこまで言うと、母親はベッドに横になった。


 今夜は眠らないつもりだった。

母の額の汗を拭き、濡れたタオルを何度でも絞り直して、一分でも一秒でも、少しでも長く母との時間を過ごしたかった。

 しかし、しばらくまともな食事をとっていなかったことと、村人たちを何人も埋葬してきた疲労が重なってか、いつの間にか母親のベッドに寄りかかるように眠ってしまっていた。

 夜明け前、遠くから鳥の鳴く声が聞こえた気がした。

 ハルトはハッと目を開ける。途切れていた意識が戻った次の瞬間には、ヒヤリとしたものが背筋に走った。

 信じたく無かった。震える手を、母親の頬にあてる。

 そこにはもう──温もりはなかった。

 ハルトは、声を出さずに涙だけがぽろぽろと音もなく頬を伝っていた。




 大崩壊。

 ハルトが生まれるずっと前、科学を極めた人類を襲った、未曾有の大災害があった。

 人類の文明は原因不明の大崩壊により滅びを迎えたと、小さな頃から村の長老たちに教えられてきた。

 科学とは一体どんなものなのか──ハルトはとても知りたかった。

 まだハルトが五歳の頃、小さな村に旅人がやってきたことがある。

 その男に、科学を見せてもらった。

 小さな手のひらに収まるくらいの金色の箱の蓋を開けて、中の部品を指で擦ると、一瞬で火がつくのだ。

 ハルトには、まるで魔法のように思えた。

 感動して何度も、火をつけては蓋を閉じて火を消すのを繰り返していたら、〈燃料〉が無くなるから、そのくらいにしてくれと笑われ、金色の箱を男に返した。

 燃料はどこで手に入るのかと尋ねたら、遺跡から発掘して使っているんだ──あの旅人はそう言った。その言葉を今でも、鮮明に覚えていた。

 長老たちは科学に驕った人類に対し、神さまがお怒りになったんだと、よく言っていた。

 だから、長老たちは科学を使うあの旅人をあまり心良くは思っていなかっただろうなと、今になって思う。

 村人ではない人間なんて初めて見た村の若者たちや、自分を含めた子供たちは興味津々で、旅人が滞在していた少しの間、旅人の話に目を輝かせ、みんなで聞き入っていた。

 うちの家にも招いた。両親が心をこめた手料理を振る舞い、家族で、旅の話に耳を傾けた。

 父も母も、そして自分も、まるで夢物語のような冒険譚を聞かせてくれる旅人の話を楽しんだ。

 そんなことを思い出しながら、母親の埋葬を終えた。

 このスコップも、これでもう使うことは無いのだろう。

 ハルトは両手を合わせて、神さまにお祈りをした。

 死んでいったみんなが、もう苦しまないですみますように、と……




 空き家となった茅葺き屋根の木の家から、少しの罪悪感に苛まれながら、ハルトは旅支度の品を集めた。

 小刀、火打石、鉄鍋。着替えは、できるだけ耐久性の高そうなものを選んだ。

 村の倉庫からは保存食をもらった。

 不作の年に備えて、毎年みんなで仕込む干し肉や乾燥野菜だ。

 毛布は、母の使っていたものを選んだ。

 小さく丸めてリュックに括りつける。

 そして──ヤマじいの弓と矢。

 それは彼が生前、何よりも大切にしていたものだった。

 ヤマじいは、村一番の狩人だった。

 若い頃、一人で森の奥へ分け入り熊を仕留めたという武勇伝を、宴のたびに何度も聞かされた。

 晩年は腰を痛めていたけれど、矢羽の手入れだけは決して怠らなかった。


 「おまえにも、そろそろ譲ってやらにゃあな」

 少し楽しそうにそう言って、不器用な手つきで頭をくしゃくしゃ撫でてくれた日を、昨日のことのように思い出せる。

 その感触が、ふと脳裏によみがえる。

 ハルトはそっと弓に手を添え、矢筒を背にかける。

 「……貰っていくよ、ヤマじい」


 これらは、ただの旅道具じゃない。

 それぞれに、大切な人たちの想いが宿っていた。


 最後に、水筒に井戸の水を汲み注いだ。

そして、旅に出る準備が整った。

 どのみち、一人で生きていくのなら、この村に残っても、旅をしながら一人で生きていくのも、あまり変わらないだろう。

 母の最後の言葉を思い返す。


『……いい? 世界はもう終わったわけじゃないの。どこかに、まだ人がいる』

『あなたは行って、誰かと出会いなさい。そして、話して、笑って、生きるの』

『……それが、私の願い。だから……どうか……独りで終わらないで……』


 子供の頃に憧れた旅人と言う生き方。それでも、村で慎ましく幸せに暮らせればそっちの方が良かったと思う。

 大切な家族、村人たちみんなが笑顔で、笑って過ごせたなら、それが一番だった。

 旅立つ前、ハルトは最後にもう一度、村を見渡した。

 茅葺の屋根に夕日が沈み、黄金色の稲が風に揺れている。


「……行ってきます」


 小さく呟いたその声に、返事はなかった。

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